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2006-09-09

[]魔法言葉 08:18 魔法の言葉 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 魔法の言葉 - 西川純のメモ 魔法の言葉 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 学び合いが成立するためには、そのクラスの一番かしこい子どもにとっても難しい課題でなければなりません。これって、我々以外には全く理解できないことだと思います。我々の目指す学び合いとは、一人一人が「なんとかしたい」と願う結果として起こるんです。最初にそれをするのは、そのクラスで一番かしこい子です。本当だったら、そのクラスで一番援助を必要とする子がそうすべきなのですが、そのような子は一番最後に動き出します。だって、そんなことを出来るぐらいの子だった、とうの昔に勉強が出来るはずです。

 教師は、習い性で、課題を「中の下」に合わします。ところが、そんなレベルに合わすと、そのクラスで一番かしこい子は学び合いをしません。だって、「中の下」にあわせた課題だったら、自分一人で、5分間程度で解決できます。そうなると、その子どもは「どうすればいいの!」と教師を責めることになります。ところが、我々は「上の上の」子どもにとっても、学び合わない限り解決できないような課題を与えます。その結果、その子は学び合いをします。たいていの場合は、その子が自分で考えた答えが正しいか確認します。その聞き役を求めます。その結果、その聞き役の子が分かります。そして、学び合いの有効性を学びます。このような連鎖の結果、徐々に学び合いが広がります(ただし、ほぼ、1時間の内に終わります。そして、学び合いは、出来る子から出来ない子へという単純な形ではありませんが・・・)。従って、課題が難しければ、難しいほど、いいんです。でも、でも、その課題が、成績中、成績下の子どもにとっても意味ある課題である必要性があります。

 普通の教師だったら、「無理」でしょうね。成績上の子どもにとっても難しい課題、でも、成績中、成績下の子どもにとっても意味ある課題なんて、無理でしょうね。ところが、我々には魔法言葉があります。それは「みんなが分かる」という課題です。この難しさは教師だったら分かるでしょう。一番分かる子どもより、分かる教師にとっても難しい課題です。でも、その意味は全員が分かります。そして、「みんな」を求めることは学校教育意味に繋がります。そして、我々が授業の最初に語ることに繋がります。

 我々は学校観(つまり何で学校教育があるのか)、子ども観(つまり子どもはどんな存在か)、そして授業観(つまり教師は何をすべきか)が、本当に予定調和的にすっきりしています。「そんなうまい話は無い!」と思うのが普通でしょうね。でも、そんなうまい話はあるんです。なぜ、そんなに予定調和的にうまくいくのかと言えば、我々の考え方は、ホモサピエンスの基本戦略に根ざしているからです。その基本戦略は数百万年の生存競争の中で、洗練されています。

 Kさんのブログ(「わからぬ」)を読んで書きます。