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2006-09-12

[]学び合いが出来る教師の条件 08:17 学び合いが出来る教師の条件 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学び合いが出来る教師の条件 - 西川純のメモ 学び合いが出来る教師の条件 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 我が同志のYzさんのブログに『学びあいのある授業をつくれるのは、教えることができる技術のある教師でなければできません。(言い切れる確信を持っています)』とありました。この言葉の表現は、正しくもあり、かつ、誤っていると思います。確かに、学び合いを実証し活動している、同志と私が思っている方々は、例外なく「教えることが出来る技術のある教師」です。それも、最上レベルに達した方々です。しかし、この言葉を正確に理解するにはYzさんレベルの理解が必要です。そのレベルに達していない人がこの言葉を聞けば危険だと思います。なぜなら、「だから、まずは教材の技術を高めて、指導の技術を高めて、・・」となり、結局、元の木阿弥になってしまいます。「そんなことはないんだ。まず、子どもたちを信じる、それが最初だ」と、最高の技術がある方々が主張しなければなりません。

 私は断言します。学級崩壊を繰り返すようなレベルなら確かに無理でしょう。でも、日本の圧倒的大多数の教師のレベルならば、学び合いは出来ます。これを理解するには、前提として、学び合いにおける教師の役割を考えなければなりません。学び合いクラスにおいては、教師は管理職であって、教師ではなくなります。それでは誰が教師になるかといえば、クラス子どもたち全員なんです。もし、教師がいつまでも子どもたちと同次元にいて、先輩教師として、子どもたちに「教え方」を伝えるならば、教師は教える能力が必要です。しかし、管理職となればそのような能力はいりません。

 リッカートという経営学者は、管理職としての業績と、その業種の現場における専門能力との相関を測定しました。その結果、極めて弱い相関しかないんです。つまり、平社員、主任、係長レベルならば、その現場における専門能力が重要です。ところが、課長、次長、部長、さらに取締役となるに従って、そのような専門能力は意味を持たなくなります。いや、「自分の時はこうだった」という悪しき囚われの押しつけが起こります(教科専門に強い人が、その人の考え方を子どもたちに押しつけるのと同じ)。では、管理職としての業績に最も影響を与える資質は何なのでしょうか?リッカートによれば、その会社がどのような社会的な意味を持っているかを、そして、どんな発展が望めるかを語れる能力です。我々の同志が、何故、教える技術が高く、そして、学び合いの出来る教師になったのか、それは、教える技術が高いからではありません。それは、教育に対して高い志を持っているからです。その志が高い故に、教材や教える技術を高めるために汗し、結果として技術は高まりました。それは結果であって、原因ではありません。

 確かに、社長でも一流の社長もいれば、三流の社長もいます。教師の中には、一流の管理職になれる人もあり、三流の管理職にしかなれない人もいるかもしれません。でも、考えて下さい。スーパ教師がたった一人の学校と、そこそこの教師30人 (つまり子ども。実際は我々教師以上の力を持っています)と、そこそこの校長(つまり普通の教師)の学校と、どちらが長期間にわたって安定して業績を上げ続けられるでしょう。私は後者だと考えています。

 私は、子どもに教師たれと求めます。同時に、教師に校長たれと求めます。それ故に、「教える」ことを捨てろ、と主張します。