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2006-09-14

[]判別法 22:39 判別法 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 判別法 - 西川純のメモ 判別法 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 本日、Sakさんと個人ゼミをしました。その中で、学び合いが分かっている人と、いない人を判別するポイントはどこか、ということです。学び合いが分かっているか否かは、話してみれば直ぐに分かります。でも、総合的だし、多面的なので、ハッキリ分かるんですが、どこがどうと言えずらいところがあります。煎じ詰めれば、学校教育・授業・子どもをどう考えているかという考えに帰結するんです。でも、誤解を恐れずにいくつかのことをSakさんに語りました。順不同です。

○自分のやったことを誇るのではなく、子どものやった凄いことを誇る。

 これって、自慢話なんです。でも、自分がやったことではなく、その結果として生じる子どもの姿を通して、自分を自慢するんです。当たり前のようですが、そうでない方は少なくありません。例えば、研究授業で自分が開発した教材を自慢するとき、自分がどうやって教材を開発したかを長々語る一方、その教材によって子どもがどのように活動したかが相対的に短い方が殆どです(私の経験上)。特に、理科教育学における教材開発研究などは端的で、教材開発に関わる理論的・実験的なデータを記載しているのですが、それを実際に実践したデータが皆無なんです。つまり、これだけ苦労してつくったんだから、子どもたちはその通り動くはずだ、と考えるのでしょうね。そのような先生だから、「教師は最善の教え手ではない」などと言われると、怒ってしまうんです。

○その授業の目標を端的に言える。

 学び合いが分かっていない方に、「教の授業の目的は何ですか?」と聞けば、長々と語ります。良く聞くと、それは目的ではなく、作業なんです。つまり、目的と作業を取り違えてしまっています。その結果として、授業を見ると、「この先生は、ここで何を説明しているのですか?」とか、「この場面で使っているプリントは、どんなプリントなんですか」ということが気になります。ところが学び合いが分かった方なら、端的に目標を語ることが出来ます。そして、授業を見る場合、どのような課題と目標を与えているかに着目します。

一年スパン子どもの成長を、授業と関連させて具体的に語ることが出来る。

 先に述べたように、学び合いを分かっていない方の場合、1時間であっても複雑です。その結果として、1年間は、超~複雑です。結果として、理念的・抽象的なものとなり、ありがた~いお題目程度の意味しかありません。ところが、学び合いが分かった先生の場合は、そもそも学校教育とは何かということから出発するので、ちゃんと語ることが出来ます。

 他にも山のようにありますが、よくあるパターンとしては以上のものがあります。