■ [大事なこと]なんか違う
現在、「6.3%」の子どもは特別支援の必要な子ども子どもとされています。
私の教師の原体験は東京都の定時制高校です。高校の進学率は95%です。東京都の場合は97~98%です。私の教えた学校はその最最下層の学校です。 なにしろ教え子の過半数は、中学校の内申書は純粋無垢のオール1でした。また、残りの殆どは、2がちらほらと混じっている程度です。ということで、私の教え子は少なく見積もっても80%は「6.3%」の子です。「大変な子」でした。でも、「特別支援の必要な子」と思いませんでした。もちろん、私の教えた子ども達の中には、正真正銘の境界児がいました。その子は、それは「凄い」と思いました。私の教え子の半数以上は「分数」が駄目です。その教え子の中でも「境界児」は目立ちます。でも、その子もクラスの中にいました。そして、私は特別支援を必要としませんでした。その子以外に関しては、「大変な子」とは思いましたが「特別支援の子」と思ったことはありません。その子に関しても、介助員の必要性は感じませんでした。だって、周りの子も、私の周りの先生も、「そんなもんだ」と普通に受け入れていたんです。
介助員がいるクラスで救われるのでしょうか?介助員について、その子は何を学ぶのでしょうか?漢字ですか、分数ですか?それを学んで、その子は幸せですか? クラスは社会の縮図です。介助員がなければクラス でいきられないとしたら、その子は大人になっても介助員が必要です。そんなら、普通クラスにいるべきではない。
私は「特別支援の必要な子」の存在を疑いません。しかし、そのような子は普通学級にいられない、いるべきでない子どもです。介助員をつけて、普通学級にいる必然性を私は理解できません。学校は子どもが大人になるためにいるところです。大人になって必要なことは、漢字を書ける、計算が出来るではありません(そんなのは千円ぐらいの機械でやってくれます)。他人様となんとかつきあることが、大人になって必要なことです。介助員が付いて学べることは何でしょうか?子どもに必要なのは介助員の代わりに、周りのクラスメートにサポートを受ける能力です。それが本当に出来ないなら、普通学級にいる意味がない。私は「6.3%」 の殆どの子どもは、それが出来る存在だと信じています。でも、多くの教師とは「なんか違う」ようです。
学校生活や家庭生活に問題を抱えている子どもが6.3%以上いることなん百も承知、二百も合点である。おそらく、子ども自身が「学校生活や家庭生活に問題を抱えている」と思う子どもならば、かなり多い。少なくとも青春期の子どもならば過半数を占めるはずだ。学校の教師の圧倒的大多数は相対的に「学校にフィットしている」から教師になっています。従って、自分自身を基準に考えたら、70%以上は「学校生活や家庭生活」に問題を抱えていると判断されるでしょう。その子達が、どんどん「6.3%」に組み込まれているとしか、「私」には思えないのです。私にとっては、そのような子は「大変な子」ですが「特別支援の必要な子」とは思えないんです。