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2007-01-21

[]セオリー通り 12:56 セオリー通り - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - セオリー通り - 西川純のメモ セオリー通り - 西川純のメモ のブックマークコメント


 本日は学部の学び合いの授業の最後の日です。そして評価の日です。先週には、みんなの前で「自分の評価は○です」と言えばいいことを宣告しています。私としては、全員をAにしたいことはオーラで伝わったはずです。

 本日、「自分の評価はAだと思う人?」と聞くと、大多数の人が手を挙げてくれました。ところが、それ以外もいます。そこで「自分の評価はBだと思う人?」と聞くと、17人のうち4人が手を挙げます。正直、「目が点」になってしましました。そこで、「何故、Bなの?」と純粋に聞きました(私には想像できませんでした)。ある学生さんは「数回、休んだから」と言いました。ある学生さんは「本の読みが雑だった」と言います。「へ・・?そんなことで自分をBにするの?」と思いました。彼らに対して、彼らの活動は十分にAに値すると評価すると宣言しました。しばらく、学生さんの活動があり、授業の終了です。終わりだな、と思っていると一人の学生さんが手を挙げて発言を求めました。曰く、「さっきはBだと思う人というので手を挙げなかったが、自分はCだと思う」です。私は思いっきり「え??????」と思いました。そこで「何でCなの?」と聞くと?「自分は欠席も多かった」と言います。そして、みんなに対して「迷惑かけてすみませんでした」と 他の学生さんに対して言います。学生さん一同は、ニコニコ笑って、そんなことないよと言っていました。

 先ほどのAで手を挙げてくれた学生さん、自分をBだと言った学生さんのことで、不覚にも泣きそうになりましたが我慢しました。しかし、自分がCだと言った学生さん、そして、それを受け入れた学生さんの姿で、本当に泣きそうになりました。でも、ぐっと我慢しました。

 まさにセオリー通りです。みんなという課題においては欠席はありません。上記の学生さんが「欠席した」というのは、私が演説した授業の時です。みんなという課題においては、一斉授業では考えられないほどの集中力があります。みんなという課題においては、教師の評価より厳しい評価を自分に課します。最後の学生さんが全員に謝ったことに、その理由があります。それは、教師の評価を誤魔化すことは出来ても、みんなの評価を誤魔化すことは出来ないことを知っているのです。まさに、我々のセオリー通りです。

 私が評価を初めて学んだのは23歳の大学院の時です。そこで学んだのは子どもの評価は教師の評価であることです。そこで、そのことを語った後に「私はこの授業の私の評価をAにしたい。それ故、全員をAに評価する」と宣言しました。

 私は25歳で初めて教師になりました。現在まで22年間教師をやっています。授業でいっぱい子ども達から感激させてもらいました。研究指導でいっぱい子ども達(その中には40代のオッサンも含まれます)から感激させてもらいました。しかし、最後の、最後の評価の段階で、ウルウルしたのは本日が初めてです。本日の私の経験は、学び合いの授業で自己評価をさせた教師にとってはおなじみのことでしょう。多くのゼミ生から聞いたことです。そして、私は「セオリー通り」と言い放っています。しかし、自身の実践の場でセオリー通りのことが起こると、それでもウルウルします。学び合いは凄い、と思います。