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2007-03-19

[]総合学習との違い 22:52 総合学習との違い - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 総合学習との違い - 西川純のメモ 総合学習との違い - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ある先生からメールを頂きました。そこで、最近の我々の成果を返信しました。その結果、その方から以下のメールをを頂きました。

『凄いですね。でも、何か子供達だけで自主的に学ぶというと私には、総合学習の時間の悪いイメ-ジがあるのです。総合学習の時間に対して私の所属している○○研の○○先生は、「調べ学習と称して校内をウロウロ。これでは、「騒動臥駆蹴(がくしゅう)」になってしまいます。」とユ-モア混じりに批判しています。それが、この「学び合い」では凄い効果を上げているというのが正直言って信じがたいです。もしそうであるならば今までの実践を180度転換する価値があると思います。』

それに対する私の返信は以下の通りです。

 悪しき総合学習との大きな違いは、何をすべきかではなく、何を成すべきかを語ることです。例えば、「○○を調べる」はすべきことを語っていますが、何を成すべきかを語っていません。「○○を話し合おう」も同じです。一方我々は、「他県の○○小学校クラスみんなが、自分たちのクラスのことをもっと知りたいと思うような本を作ろう」や「クラス全員が納得できる説明を考える」を語ります。その成すべきことのために、必要であれば「○○を調べる」し、必要であれば「○○を話し合い」ます。

 想像してください、「地域を調べよう」で興味を持つ子どもはどれだけいるでしょうか?興味がない子がやるのは、とりあえず図書館に行って、調べている「ふり」をします。だって、「○○を調べよう」という教師の求めていることはちゃんとやっているんですから。それが「騒動臥駆蹴」の実態です。

 一方、地域に興味がない子であっても、人には興味があります。その人に関わる目標で、人と関わりながら達成できる課題であれば、ふりはしません。さらに言えば、ふりでは「他県の○○小学校クラスみんなが、自分たちのクラスのことをもっと知りたいと思うような本を作ろう」を達成できないことは、子どもは理解できます。

 子どもが自主的に学んで問題が生じるわけありません。問題が生じるのは、自主的に学んでないからです。

[]泣く 22:52 泣く - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 泣く - 西川純のメモ 泣く - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は息子の卒園式です。一杯、泣くつもりでしたが、泣けませんでした。もちろん、息子は立派になっています。しかし、泣きそうになるときに、笑いを誘うことをやるので涙が引っ込みました。

 しかし、別な意味で泣きました。家内によると、卒園式の後の謝恩会でバカなことを連発し、謝恩会の雰囲気をぶち壊したそうです。家に帰ってから、家内が2時間、家内と私で2時間徹底的に叱りました。原因想像できます。友達がいるところでバカなことをすると「ウケル」ので、謝恩会でハイになっているため、超バカを連発したのだと思います。そこで、「バカ」をやったときに笑われるのは、笑わしているのではなく、軽蔑で笑われることを教えました。家内から聞く、その時の状況は情けないものです。あまりにも情けないので、泣けました。でも、そうなった原因は分かります。アドラー心理学の知見ですが、ある子どもクラスでバカを連発するとしたら、それはクラスが序列社会だからです。学び合うクラスにおいては、バカをやる必要性はありません。なぜなら、普通の自分のままでも、クラスの中に居場所があるからです。残念ながら、そして幼稚園先生方は悪気無く、クラスに序列を持ち込んでいるのだと思います。そして、残念ながら、おそらく息子の進学する小学校は、ごく普通学校ですので、序列を持ち込んでいるのだと思います。

 我が同志が上越で、我が息子を担任してくれれば・・。そう思うと、泣けます・・・・