■ [親ばか]一日目

本日は小学校1日目です。昨日のようなパニックもなく、ルンルンで家を出発しました。昼前に機嫌良く帰ってきました。が、夕方から生あくびばかりです。食事も眠たげに食べます。毎日、息子が眠るまで私は添い寝をしています。平常ですと熟睡して寝息が変化するのは30から45分ほどかかります。しかし、本日は10分で熟睡です。彼は彼なりに気を遣ったのだと思います。
ふと思いました。本日は学部・大学院の入学式です。新入生の人たちは息子のように爆睡しているでしょうか?それとも不安で眠れないでしょうか?でも、連休明けには、たいていの人は十年前から生活している顔で大学を闊歩するようになります。息子もそうでしょう。
■ [怒り]時間

私は若い頃、結婚式の司会を3回務めました。いずれも教師である私の先輩、同輩、後輩の結婚式です。従って、教師の出席者が多い。しゃべりたがりの人たちが続くのですから時間オーバーになってしまいます。それをなだめすかして、時間内に終わらせるのは気がつかれます。その後も、結婚式によばれると自然と司会者の立場になってスピーチを分析します。
その結果、教師だからといって長いわけではなく、短くもまとまった話をする人も少なくないことに気づきます。一方、教師以外でもダラダラととりとめのないことを話す人は多いことも気づきます。私の分析によれば、ハッキリした傾向があるようです。非営利団体の現役バリバリの組織の本当のトップ(例えば地方自治体のトップ、教育長、教育次長、また、その経験者である大校長)の話は短くもまとまっています。退職して数年以上経った校長(但し先に述べたトップは例外)の中に最悪の方に少なくありません(もちろん、例外は常にあります)。尾籠な表現で恐縮ですが、牛のション便みたいなダラダラと意味もなく流れる話です。
話が長い理由は二つです。第一に、自分の話は万人にとって意味があり、面白いと思いこんでいる傲慢さ、鈍感さがあります。万人にとって意味があり、面白い話なんて世の中にあるわけありません。よい子ちゃんの子どもや部下しか相手にしていないならば、それを気づかないのかもしれません。でも、ちょっとした観察眼があれば、「つまらないぞ~」というオーラが聞き手は発しているのですが、それを気づかないほどの傲慢さ、鈍感さがあります。中間の管理職は、極めて等質の相手(例えば学校の先生だけ)に対応すればいいので、そのような鈍感さでもやってけます。しかし、組織のトップともなれば、様々な政治家、官僚、ボス校長、地域の有力者など、多種多様な利害関係がバラバラの相手に対応しなければなりません。従って、自分の話が万人に面白いと思うなんていう鈍感さは許されません。だから、気づきますし、そのように話します。選択科目の授業や自分がメインの講師で自由意志で参加する講演会ならば、まあ許されるかもしれませんが(もちろん本当は許せませんが)、その人の意志にかかわらず参加しなければならない会でダラダラとした話をするのは暴力です。
第二の理由は、自分しか見えていないからです。その人の話す時間が定められた時間を超えれば、それを聞いている人、その人の後に話す人の予定を狂わすことになります。そして、そんな無神経な人が連続すると、参観者にとっては拷問になり、会自体が崩壊します。結局、全体の会という視点で、自分の位置・役割を捉えることが出来ず、自分の話す時間しか視野におけないからです。
私は多くの学会発表、祝辞、講義、講演を聴きました。時間を守るから「良い話」とは決まっていません。しかし、定められた時間を超過した話に「良い話」はあったためしはありません。だって、聴衆に鈍感で、全体の視点で話を組み立てられない人の話が「良い話」になるわけありませんから。
■ [ゼミ]発進!

修士2年の現職3人組は現場で実践研究を開始します。例年ですと、学校が落ち着く5月の連休明けぐらいにはいるのですが、今年は異常に早くから入ります。こんな早くから受け入れてくれる、各学校に感謝です。ただ、研究室の文化の伝承の点が不安ですが、そのことは織り込んでおり、対応して頂けるそうです。ほ・・
本日、先生を変え、学校を変え、益田市を変え、島根県を変えるため、最後のSakさんが出発しました。彼曰く、イスカンダルに出発するそうです。それを聞いて直ぐに、「いそげSakよ島根県へ、日本の教育が崩壊するまで、あと●●日・・」と浮かびました。Sak(ヤマト)発進!主砲三連装ショックカノン、副砲三連装ショックカノン、艦首ミサイル、煙突ミサイル、対空用の2連装パルスレーザー、そして波動砲、何でもかんでもぶっ放して、結果を出してね。