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2007-04-10

[]教師と親 21:27 教師と親 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教師と親 - 西川純のメモ 教師と親 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今日、ふと気づきました。息子が小さい頃から、一貫して私が息子に言っていることの一つに、「出来るか、出来ないかは問題ではない。真面目にやることが大事だ。真面目にやって出来なくてもいい。不真面目にやって出来ても意味がない。」です。我がゼミで、私が一貫して言っていることは、「遊んでいても良い、何してもいい、結果を出してね。」です。見事すぎるコントラストです。前者プロセスを評価し、後者結果を評価しています。でも、これで良いのだと思います。学校社会の縮図です。社会に出る準備をしているのです。社会結果を評価されます。だから、社会を体現する教師は結果を評価しなければなりません。が、同時に学校においてもプロセスを評価する集団を保証しなければなりません。それ故、『学び合い』が重要です。もし、一人一人の子どもサポートする集団を提供せずに、結果を求めたら大抵の人はつぶれます。

 親と教師の違いに気づいても、私は教師に「結果」を求めて欲しいと思います。教師に親と同じようなプロセスを評価して欲しいとは思いません。だって、数十人の子どもプロセスを評価できるわけなく、中途半端(というより全くしない)結果になるのは目に見えています。

 同時に、プロセスを評価できる集団を提供して欲しい。これは親には絶対できません。

 我が息子の担任は本当に優秀な方だと思います。指導能力、話術、志、全てにおいてビックリするほど、凄い先生です。こんな先生の担任のクラスになれて息子は幸せだと思います。が、旧来の枠組みの中で指導するはずです。旧来の枠組みでも十分に出来る方だとお見受けしました。が、旧来の枠組みだと、どんな優秀な先生であっても「ぬけ」が生じます。その「ぬけ」が我が息子でないことを心より願います。機会があったら、その先生と話したいな~、と思います。でも、教育学教授が話しに行ったら、動きが取れなくなるのは目に見えているので遠慮します。お預けしたら、親は何も出来ません(今の学校システムでは)。

[]目標 21:27 目標 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 目標 - 西川純のメモ 目標 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 研究授業を見させていただくと、大抵、クラスの壁には「学級目標」が書いてあります。子ども達に「このクラス目標は何?」と聞きます。大抵、答えられません。おそらく、目標は教師一人が決め、そして、それを子ども達が納得させるプロセスが省略されているのだと思います。

 本日の朝、息子が家を出ると、5年生か6年生とおぼしき子どもが通学しています。服装を見ると、息子と同じ学校子どもです。息子はあわてて家を出て、その子に追いつこうとします。不安な通学を一緒に出来ると思ったのだと思います。私もあわてて車に乗り、その様子を見える位置に移動しました。結果として、息子は必死にその子に追いつこうと駆け寄っているのですが、その子は息子を無視してどんどん歩きます。その無視しても、駆け寄っている息子の姿は健気です。

 入学式では、在校生一同が声を合わせて、何かあったら自分たちに頼って欲しい、というようなことを言っていました。その練習をするための時間はどれだけかけたのでしょうか?そして、1年生はどんな気持ちで学校にくるのか、そして、自分たちは何をするべきかに、クラスでどれだけ時間をかけたのでしょうか?少数事例で全体を推し量ることの非科学性は十分に分かりますが、前者に比べて後者が著しく少ないことは、容易に想像できます。

 本当に、何を成すべきかという目標が設定されていれば、圧倒的大多数は、本日の上級生のようなことはしません。

 少なくとも「ぬけ」があることは確かです。

[]一歩 16:47 一歩 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 一歩 - 西川純のメモ 一歩 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、ある方とお話ししました。その中で、自分が『学び合い』を会得できるのか不安であることをおっしゃっていました。さもありなん、と思います。2006年の6月2日に「バンジージャンプ」というメモを書きました。そこでは『学び合い』の難しさをバンジージャンプに例えて、以下のように書きました。

バンジージャンプには特段の技術はいりません。踏み台より、一歩足を出すだけのことです。足を踏み出しさえすれば、後は、体に付けた紐と重力という自然の力がやってくれます。学び合いも同じです。目標をハッキリ与えるという5分程度で終わる「紐」を付ければ、後は一歩足を踏み出せば、子どもたちの学びたいという自然の力がやってくれます。なんも技術はいりません。」

 我ながら良い例えだと思います。実は偉そうに大丈夫ですよ、と言っている私だって「大丈夫かな~」と不安になる旧来の尻尾はあります。しかし、やってみれば、直ぐに子どもたちは結果を出すので安心します。そして、「俺って、本当に愚かだな~」と思います。私でさえ「一歩」は不安なのですから、不安に思うのは当然です。結局、やってみて、実感するしかないのだと思います。私が出来るのは「一歩」歩ませるぐらいです。あとは、子どもが教えてくれます。

[]異動通知 09:15 異動通知 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 異動通知 - 西川純のメモ 異動通知 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日、異動の挨拶手紙を2通も受け取りました。ビックリです。教員の異動は年度末に決まります。ばたばたしているうちに3月31日になります。そして、直ぐに入学式、授業開きとなります。入学式の父母、授業開きの子どもたちの前では、百年前からいたような顔にならねばなりません。従って、異動の挨拶が来るのは5月の連休明けぐらいが多いように感じます。つまり、5月の連休に異動の手紙を書くことが出来るようになるわけです。ということで、昨日受け取ったということは驚異的といえると思います。

 2006年2月23日に「計画的」というメモを書きました。詳細は、それを見て下さい。そこでKanさんの言葉引用しました。彼によれば計画的とは「ちゃんとした計画を立て、きちんきちんとそれを実行すること」ではなく、早め早めに仕事を終わらすこと」なんです。実に大事な言葉です。それ故、お二方は実に計画的な方だと思います。

 あ!・・・、そういえばKanさんからの異動の手紙が届いていない・・・

 あははははは