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2007-04-27

[]第0近似 09:53 第0近似 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 第0近似 - 西川純のメモ 第0近似 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 物理学は計算ばかりとお思いの方もおられるでしょうが、最先端の実験物理学はそうではありません。複雑な現象をいきなり、精密な計算で分析できるわけありません。大凡の「つかみ」で論を立てることが大事です。そのことを第0近似やオーダーエステメイトと言います。複雑な生物物理的に扱う、生物物理学では大事な考え方です。生物物理学で学んだことは、大多数忘れましたが、この第0近似は、複雑な教育を扱うとき非常に便利な考え方です。第0近似の代表的な話に、物理学者ピアニストを人数を推論する逸話があります。記憶が定かではないが、大凡、以下のような話です。

物理学者エンリコフェルミシカゴ大学学生に聞きました。彼は基礎的なデータにより百数十人であると推定したのです。非常に常識的なデータと推論で、現象を大づかみに把握するのが第0近似の考え方です。

 さて、本日、学部3年のTと個人ゼミをしました。その中で、『学び合い』が成立しない場合があるか?ということを議論しました。Tが様々な『学び合い』が成立しない状況をあげて、私が、ことごとく常識的なデータと推論で論破することを繰り返しました。その中で、彼自身の経験した逸話が出ました。それによると彼のクラスに、一人枠の上越教育大学への推薦を希望する同級生が3人いたそうです。彼は、「その3人は学び合わないですよね」と聞いてきました。そこで、私は「別に、その3人が学び合わなくてもいいじゃない。そんな推薦入試枠を争う同級生がいなくても、クラスには合わない奴がいるのが普通だよ。『学び合い』では、合わない奴と学び合うことを強いない。選択の自由は彼らにある。」と言い、第一段階の論破は終了です。しかし、それで終わりではありません。

 私は「3人」いるという話を聞いたとたん、私の中の第0近似の警報ランプがなり出しました。私の頭の中では以下のような過程を経ました。ただし、以下で記載する数値(大学生人口のみですが)はその後調べたものです。その時は、大凡の概数で処理しました。

 日本大学生人口は300万人弱です。従って、1学年は75万人弱ですので、70万人ぐらいです。上越教育大学学生数は160人です。つまり、つまり、5000分の1にすぎません。しかし、高校偏差値で輪切りになっているので、必ずしもランダムではありません。そこで、高校偏差値で5段階に分けたとしましょう。かなり細かく分けたと言えるでしょう。おそらく、本学を受験したいと思う高校生がいる段階は複数にわたるはずですが、それをあえて1段階だけだと考えます。とすれば、その段階の高校生の1000分の1が本学を希望するということになります。地域的な効果を考えれば、200人に一人ぐらいと考えていいでしょう。以上の推論の結果、40人のクラスに本学を希望する生徒が3人もいる可能性は極めて低いことが推論されます。途中の推論に誤りがあったとしても、以上の最終結論はゆらがないはずです。

 以上を私の第0近似が引き出しました。偶然では起こりにくいことが起こったら、それは、何らかの必然があることを意味します。40人のクラスに3人も本学希望者を生み出す必然を生み出せる人は誰か?と考えます。そうすれば「教師」であることは明々白々です。一人の教師の情報量は限られています。その教師のみが情報源となれば、偏った判断が生じるのは理の当然です。ここまでの結論を読んだ多くの教師は、「それなら、もっと受験に関する情報を「教師」が集め、提供する努力をすべきだ」と考えます。しかし、我々はそう考えません。だって、どんなにやっても教師というフィルターをかけたものです。そして、高校生受験に関わるとしたら、担任の影響は大で、それについで進路担当先生ぐらいでしょう。従って、1、2人の教師のフィルターをかけた情報にすぎません。

 我々はどうするか?まず、自分の人生を考える必要があるという、根本的なところを説教するでしょう。そして、「自分の人生なのだから、自分で考えるべきで、そのためには自分で情報収集・判断しなければならない」と説教するでしょうね。一人一人が、自分の人生を考え、自分で多様な情報を収集して判断したならば、同じクラスに3人も推薦枠を争う状況は生まれないはずです。

 つまり、『学び合い』の限界を示すつもりで言ったTの事例は、『学び合い』をやらずに教師がお節介を焼いていることを示す事例であることを語りました。以上で論破終了です。

 ふと思いました。新ゼミ生との個人ゼミビデオに撮り、それを配信するのはいいな、と思いました。