お問い合わせ  お問い合わせがありましたら、内容を明記し電子メールにてお問い合わせ下さい。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。             

2007-05-01

[]喧嘩 22:03 喧嘩 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 喧嘩 - 西川純のメモ 喧嘩 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 全国テストに関して、我が同志より意見をいただき、じっと考えました。同志にすら私の考えを伝えきれないのですから、これを読んでいる方に伝え切れていないことは容易に想像できます。同志の方でしたら、どうせ合って話せば伝えられるし、同志の方のお考えも理解できる。でも、これに関してはブログで公開しているので、文字で表現すべきと考え、加筆しました。

 私にとっては全国テストは、たかがテストという意識です。だから、お上にたてついても絶対負けるに決まっているんですから、喧嘩しません。むしろ相手を逆手にとって、こちらの手段にすればいいと安直に感じます。宮仕えしている身だったら、この戦略は有効であることは了解だと思います。お上にたてつかず、お上の仰せに従いつつ、そのルールをこっちが利用すれば良いんです。

 だって、全国テストを選別に使ったとき、勝ち組負け組、どちらの方が人数が多いでしょうか?勝ち組負け組、どちらの市・県が多いでしょうか?自分が頭を使わなくたって、負け組言い訳を考えてくれます。総合学習も導入当初は教師は戦々恐々としていました。でも、今では、誰もが担当しなければならないのですから、誰もが出来るものでいいという風になりました。学力向上事業だって、結局、ビックリするような成果を上げられない学校が多いので、統計処理でなんとでも出来る報告書でOKになっています。もちろんバカな管理職のもとでは問題が起こるでしょう。でも、そのような管理職のもとでは、したたかにやらざるを得ないのは全国テストだけではありません。そして大多数の管理職は「しょうがないな~、無難にこなそう。」と思うでしょう。そして、「そこそこの結果は出してくださいね」と願うでしょうが、教師管理の手段には使わないはずです。そんなことしたら、どうなるかは分かっていますから。そして、バカな管理職以上にいるであろう、賢い管理職は、私と同じように、それをしたたかに利用するはずです。リッカート研究にあるように、成果を出す管理職は、部下を競争させませんから。ということで、たかがテストと思っている次第です。

 あははは、が、小中学校では違うと言われれば、それまでです。もし、総合学習の変質とは違った過程を経る可能性は無いとは言えません。

 さて、そこで考えました。私の中で、お上に逆らっても、「喧嘩」をしても絶対に許せないものは何か?それは、自ら管理する集団内部において「序列」を導入する人です。具体的には、数学の点数が80点は、数学の点数が60点より良いと「本気」で信じている人です。極めつきは、そのような考え方で、習熟度別集団を作る人です。この部分は同志の考えと同じです。いや、多くの方より先鋭とも言えます。だって、私は全国テストが悪いのではなく、「序列」につながったテストであれば、それは全県テスト、全市テスト、全校テスト、学年テスト、そして5段階の成績、かけっこの順位のいずれも悪だと思います。しかし、序列に繋げられなければ、全国テスト、全県テスト、全市テスト、全校テスト、学年テスト、そして5段階の成績、かけっこの順位でも、悪とは思いません。

 しかし、圧倒的多くの教師は数学の点数が80点は、数学の点数が60点より良いと「本気」で信じているのではないでしょうか?しかし、数学にせよ、国語にせよ、たかが「数学」、たかが「国語」と相対化し、それ以上に大事なものがある、という視点を持てなければ、序列は生まれます。たかが全国テストに善悪はありません。むしろ『数学の点数が80点は、数学の点数が60点より良いと「本気」で信じている』ことのほうが私には恐ろしい。

[]高い志 18:17 高い志 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 高い志 - 西川純のメモ 高い志 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 最近、あるところでばったりとある方に合いました。その方は普通学校から特別支援の学校に異動されました。なんで異動したのだろう、と気になっていました。聞くと、自分から希望されたとのことです。年齢は既に若いという範疇ではありません。顔は、相変わらず若いのですが、頭には白髪が目立ちます。そこで「何故?」と聞きました。それによると、自分のクラスに特別支援の子どもがいて、その子に十分に対応できなったそうです。それをきっかけにして、特別支援の学校に身をおかなければ、本当のところは分からないと感じたそうです。

 今のままの能力で、十分に、その後の人生を生き残れるだけの実力のある方です。若くはない年齢で、さらに学び、よき教師になろうとする方です。が、その声には「さらり」としたものしかありません。「勢い」だけで身を投じたわけではないことを感じます。私は、あの方の年齢で、そのような行動は出来なかった。

 ただただ頭が下がります。

[]Mさんのコメントに対して 08:39 Mさんのコメントに対して - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - Mさんのコメントに対して - 西川純のメモ Mさんのコメントに対して - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日のMさんのコメントに対して、私の「夢」を書きたいと思います。

 「序列化」は学力テストによって生じるのではありません。教師の心に「序列」があればそれは生じます。たしかに、その存在を前提にする(現実的にはそれが正しいと思います)ならば、学力テストがあれば、「助長化」することは確かでしょう。しかし、それを前提とした議論に実りが少ないと私は思います。そんな前提で、犬山市への愛着が生まれるのでしょうか?犬山市の実践は、その序列化を打破することを求めていると思います。もし、犬山市の実践で序列化を打破しているならば、学力テストを導入しても、序列化にはならないはずです。テストの点数は単に点数にすぎません。それを序列に使うのは、人の心です。

 たとえ話です。ある国では、右手の小指で持ち上がられる重さが大事だと思いこんでいました。小指の力で学校での序列が決まります。そこで、小指の力だけのトレーニングだけをする学校も生まれます。しかし、小指だけをトレーニングするため、手の発達、体の発達がアンバランスです。そのため障害を起こす子が生まれます。

 その国では「小指の力、全国調査」を実施することが決まりました。しかし、A市(いうまでもなく犬山市ではありません)では、そのような調査をしたならば、地域の序列化が助長されると危惧しました。また、我々が育てたいのは、そんな小指の力「だけ」ではない、と言って拒否しました。

 それに対して、ある人は、拒否する必要はないと主張しました。理由は、その人の立場は、野球やその他の体育をバランス良くやるべきだという立場です。体育をバランス良くやれば、手の発達、体の発達がバランス良く進みます。さらに、小指のトレーニングより楽しいに決まっています。だから、全ての人が、長期間にわたって成長し続けるはずだ、と主張しています。結果として小指の力「も」伸びます。

 さて、野球やその他の体育をバランス良くやっている地域があったとします。その地域の人たちが「小指の力、全国調査」の話を聞いたら、どういう反応するでしょう。「バカだな~」とせせら笑うでしょう。そして、「どうぞ、結果を出しましょう」と言うでしょうね。そんな地域で各学校の「小指の力」の調査結果が出たら、それで序列化が起こり、地域への愛着は無くなるでしょうか?

 さて、その地域は、野球やその他の体育をバランス良くやるべきだ、と言っていますが、しかし、本音は「小指の力」が重要であると思っている地域だとします。その地域で、「小指の力、全国調査」を実施したらどうなるでしょう?で序列化が起こり、地域への愛着は無くなるでしょうね。でも、そんな程度の考えでやっていて、「野球やその他の体育をバランス良くやるべき」の実態はたかがしれています。

 現実には、「野球やその他の体育をバランス良くやるべきだ、と言っていますが、しかし、本音は「小指の力」が重要であると思っている地域」だと考えるのが妥当なのかも知れません。しかし、私としては、「小指の力」をせせら笑う気概を持てる地域だと信じたい。少なくとも、その地域には、本気で、「野球やその他の体育をバランス良くやるべきだ」と教師もいるし、クラスもいるはずです。その教師や子どもの実践に正当な評価を与える機会だと信じています。「野球やその他の体育をバランス良くやるべきだ」と信じられない程度ならば、やろうとやるまいと五十歩百歩にすぎません。しかし、その五十歩の差の恐ろしさを知っているMさんなればのコメントだと思います。

 Mさんはご存知の通り、私は「夢追人」です。それは現実に身を置く人には、現実離れしていると思われるかも知れません。しかし、夢を追うから、現実化できる。例えば、あなたの実践も、多くの人にとっては現実離れしていると判断されるでしょう。でも、それが出来ると思ったから実現できます。「全国調査」に翻弄される学校・地域ではなく、「全国調査」をせせら笑い、逆手にとって利用できる学校・地域を創る方が「夢」でしょ?

追伸

 かけっこで、みんなで手を繋いでゴールする学校があるそうです。理由は、ビリの人がかわいそうからだそうです。でも、子どもがビリだとみじめと思う理由は、教師がそう思っているからです。そう思っている教師の下で、かけっこしたとして、みんなで手を繋いでゴールしたとしても、みじめに思う子は生まれます。だって、手を繋いでゴールしても、自分は遅いと分かっているし、回りの子どもに、そう思われていることは理解していますから。しかし、冷静に考えてください。かけっこの順位が、その子の人生にどれだけ影響するでしょうか?そして、その順位が、その子の価値に影響するでしょうか?その前提で、かけっこを考えてみれば、全く違った視点を持てます。「順位が重要でないとしたら、何故、かけっこをするか?」という問いかけです。そして、「かけっこを通して、どんな人格形成を目指すか」という問いかけです。そのような問いかけに応えられ、それを子どもたちに語れる教師の下でかけっこをしたとき、ビリであることがみじめでしょうか?

追伸の追伸

 学力テストが教師の序列に使われるという危惧もあります。が、少なくとも犬山市ではあり得ないでしょう。だって、あれほどの大見得を切った市が、そんな利用をするわけありません。もし、そのような使い方をしたら、大笑いします。しかし、そのように自己分析した結果、拒否したのだとしたら、非常に残念ですが、一つの見識と思います。

 が、犬山市以外の多くの地域の場合は、問題が生じる可能性が多いと思います。それ故、犬山市以外で反対というのは、理解できます。しかし、反対と言っているだけでは、何も進みません。そして、お上の命令で実施されます。どうせ実施されるならば、逆手に取る算段を考える方が建設的です。