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2007-05-06

[]偽学生のすすめ 20:57 偽学生のすすめ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 偽学生のすすめ - 西川純のメモ 偽学生のすすめ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 HP(http://calendar.yahoo.co.jp/jun1959914)に公開しているように、夏休みまでに、私が講演するのは以下の通りです。ご希望があれば、該当機関にお問い合わせ下さい。

 特に8月6、7日は兵庫教育大学で集中講義をいたします。1日半かけて、ごく初期の研究から最新の研究までのまとめて話します。講演会は1時間半程度ですが、6,7倍語ることになります。ご希望があれば、私にメールしてください。この、お誘いは、またします。

5月11日 大阪市枚方市 楠葉西中学校

5月14日 群馬県高崎市 八幡小学校

5月26日 埼玉県本庄市 『学び合い』を学ぶ研究会 (本メモ 4月22日参照)

7月26日 青森県三沢市 東部上北、小中学校教科研修協議会

8月6,7日 兵庫県加東郡 兵庫教育大学 集中講義

8月8日 長野県塩沢市 長野県教育センター 10年経験者研修 共通研修Ⅱ(中学校高校

8月9日 宮城県栗原市 鶯沢小学校講演会

8月10日 新潟県新潟市 学び合いフォーラム(臨床教科教育学会)

[]大胆・・のその後 08:26 大胆・・のその後 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 大胆・・のその後 - 西川純のメモ 大胆・・のその後 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日の「大胆・・」の方より以下のメールをいただきました。

『こんばんは。○○です。

丁寧な返信ありがとうございます。嬉しいです。

どうやら私は「学び合い」を勘違いしていたみたいです。誰のための授業か。根本的なところを間違えていました。自分が考えたやり方だと、今まで使われることのなかった子どもの説明能力やコミュニケーション能力は育ちませんね。このままでは私の卒論テーマである、真の「わかる」ということからも離れてしまうところでした。

「学びの殿堂」「勉強しなさいを言わない授業」「座りなさいを言わない授業」をさっそく見てみます。そして、なんとか指導教員を説得したいと思います。実習は○○日からなので、事前にアポをとって会ってきます。

どうぞ公開してください!話題にしていただいて嬉しい限りです。

私が学び合いをやろうと思ったのは、昨年実習校の授業参観に行ったときです。私は社会科なので、社会の授業を中心に●●・◎◎の授業を見学しました。そしてどの授業も先生が説明し、生徒がやらされていました。それに追い討ちをかけるように、今回私の指導教員の授業を見ていたときです。

教室の後ろで見ていた私の目の前の生徒がこう呟きました。

「何話してんだか全然わかんねぇ」

ごもっともな呟きだと思います。私もわかりませんでしたから。その先生の昔話ばかりでしたし。たしかに教えるのが難しい分野だったのかもしれません。もちろん教えるのが難しいからといって適当に流していいわけがありません。子どもたちの貴重な時間を奪っているのですから。ただ、誰のための授業なのか全くわかりませんでした。

その先生と実習の打ち合わせのときにお話しすることが出来ました。ベテラン先生らしい?ガッカリする話でした。

 こういう気持ちは生徒にも伝わるようで、知り合いの生徒が、「社会が全くわかりません。教えてください」「あの先生はクソだ」と言っていました。

塾での経験も理由の1つだと思います。

テストの点を上げるため、成績を上げるために授業をし、問題をやらせる。 講師をしてて、疑問が解決することはありませんでした。

こうした背景から私は「子どものためにわかる授業を」をテーマに実習に「学び合い」を取り入れ、生徒主体の今までに見たことも体感したこともない授業をやってみたいのです。

※ここでいう「わかる」とは、問い直しの大切さを実感することです。問い直しとは、事実を鵜呑みにするのではなく、「なぜこうなるのか」「なんのためにするのか」と改めて考え直すことで、より確かな知識へのプロセスのことです。「学び合い」でいうと、クラス全員がわかる説明を考えるということになると思います。

匿名とはいえ、中傷的で、見苦しいメールになってしまったかもしれません。

すみません。しかし、素直な気持ちです。』

 私の返信は以下の通りです。

『こんにちは上越教育大学西川です。

メール有り難うございます。

 あなたのための忠告です。指導教員を説得することはやめた方が良いと思います。読んでいる限り、無理です。今までの経験から言えば、指導力のある先生は『学び合い』を理解できます。だって、子どもを見ている方ですから、我々の主張していることを「あ~、あれね」と感じることが出来ます。

ところが、子どもを見ずに自分の世界の中で授業している人には、分からない話です。

 また、若い人だと、トライしようとする気持ちがあります。両方とも合致しない人は、説得は至難の業です。こうなると、個人を説得するのではなく、集団を説得しなければなりません。それは、あなたには不可能です(今の私にも)。

 大学の成績のA,B,Cは教員採用試験に影響はないと思います(おそらく)。しかし、教育実習の成績は影響します。無意味な軋轢を生じ、B、Cをとることはやめた方が良い。反面教師を実感することで学んだ方が良いと思います。

 あと、もう一つ、「今まで使われることのなかった子どもの説明能力やコミュニケーション能力は育ちませんね。」とありますが、ちょっと引っかかります。我々の考え方だと、説明能力やコミュニケーション能力は本質的には育たないと考えます。同時に、どんなことしても害することは出来ないと考えます。両者は歩く能力と同じに、DNAに組み込まれていると考えています。教師が出来るのは、それを授業で出すことを許すか、阻害するかのどちらかにすぎません。想像してください、授業中に歩くことを許したら、歩く能力が育つと思います?逆に、授業中に歩くことを禁止したら、歩く能力が害されると思います?以上だからこそ、「○○やってください。どうぞ」でうまくいくんです。

 が、それは初期段階です。我々のDNAの中に組み込まれているのは、ごく親しい少数の人に対してコミュニケートする能力です。親しくない人とコミュニケートして大きな集団を形成するの能力は教育依存しています。だから、『学び合い』において小グループで活発にコミュニケートすることは、とてつもなく簡単です。が、小グループ間でコミュニケーションが生じない、学び合いに入れない少数の子どもがいる、という状況になります。そこで、教師が「みんなが」、「全員が」ということを厳しく求めます。この段階を乗り越えたとき、本当の『学び合い』が生じます。

 さてさて、とにもかくにも、人を見て法を説け、と申します。説得が困難な人を説得することは時間の無駄です。いや、今のあなたの場合は、危険ですらある。やめた方が良いですよ。』