■ [大事なこと]自慢
下の「あと、もう少し、ガンバ!その後」の方より、追加のメールをいただきました。
『鉄棒の授業で「全員逆上がりができるようにする。」で取り組んでいます。昨日,Nくん(問題だった子、今は、普通になっている。)に教えてもらってできるようになった子(Kくん)が、今日は、得意になって別の子に教えていました。
「キックするように蹴り上げろ」とか言って一生懸命にアドバイスしていました。
教わっている子も必死になって練習していました。手の皮がむけても辞めません。
とうとう何とかできるようになりました。
私が個別に関わってもここまで必死に取り組ませることはできません。
今日の1時間でKくんとNくんが教えて二人の子ができるようになりました。
ビデオに撮ってあるので送りますね。 』
私の返信は以下の通りです。
『あははは
免許皆伝ですよ。
でも、『学び合い』が成立しているクラスでは、「凄いでしょ!」と自慢するんです。
あはははは
○○さんは、自慢しているんですよ。
どんどん、自慢しくてください。
とても嬉しい!』
■ [大事なこと]あと、もう少し!ガンバ!のその後
4月24日のメモである「あと、もう少し!ガンバ!」の方より以下のメールをいただきました。
音読発表会などで取り組んだ所です。
「あんまり良くないだろうな。」と期待しないでテストしました。
結果は、解答に書かれている期待得点は、
読む:86点 言語:81点 でした。
それに対してクラスの得点は、
読む:男子(95点) 女子(96点) 平均(95.5点)
でした。
『学び合い』で取り組みましたのでもちろん私の指導は一切はいっていません。
意外に取れていたので内心嬉しかったのですが、
子供達には、「嬉しい人?」と聞くとほとんどの子が「ハ-イ」と言って嬉しそうに手を挙げました。
そこで、私が「皆さんは、みんなが90点以上を目標に取り組みましたので何人かがそれ以下ですので
みんなではないので、嬉しくないになります。」「できなかったからもうあきらめる?」というと
「あきらめない」と威勢の良い声が返ってきました。
Kくんが、私の所へ来て「先生初めて90点以上取った」と報告に来ました。
とてもうれしかったです。
学び合いが成立しているのか半信半疑なのですが、こちらが指示(目標設定)さえ間違わなければ確実に学び合うような気がします。』
私の返信は以下の通りです。
メール有り難うございます。
良かったですね。
ところで、『学び合い』で一番、手がかかるのはなんだと思います?
子どもではないんです。
それは、自分の心を変えることなんです。
自分の心が変われば、その鏡である子どもは必ず変わります。
さて、「学び合いが成立しているのか半信半疑なのですが、こちらが指示(目標設定)さえ間違わなければ確実に学び合うような気がします。」
とありますよね。
あなたの心が「半信半疑」だと、鏡である子どもも半信半疑なんです。
子ども達を信じてあげてください。
もっと凄いことが出来るはずだと信じてください。
もし、結果が不十分だったら、「何故、君たちに出来ないんだ!君たちは出来るはずだ!」と心の底から説教してください。
けっして「しょうがないよな~」とは思ってはいけません。
『学び合い』の程度は数値に確実に表れます。
クラスの平均点ではありません。
クラス全員が驚異的な点数を出すことに端的に表れます。
もう少しです。
「みんな」ということの重要性を心にとめて、もっと、もっと高い課題を与え、それが出来ると信じてください。
鏡である子どもは、必ず、応えてくれます。
もし、万が一、百万が一、応えてくれないとしたら、それは、教師の心が、そのような心であると言うことです。
もう少しです!
期待していますよ!』
でも不思議です。
なんで、たかが大学教師である私が、現場の方とメールを数回やりとりをするだけで、先生方は『学び合い』を会得するのだろう、と思います。でも、それは、その先生が志の高い方であり、子どもを見とれる人だからでしょう。そして、『学び合い』は本当に簡単だからだと思います。と、分かっていても、まるで魔法のように感じます。
■ [ゼミ]巣立ち
学部3年生のゼミは、舐めるようにして、懇切丁寧な指導が出来ました。禁断の喜びと思いつつも、可愛いゼミ学生を指導する喜びは格別です。いつもだったら『学び合い』で進めていますが、今年は3年生が一人と言うことで、天下御免で個人指導が出来ます。が、連休明けの個人ゼミの際、3年生から「毎週の個人指導は今回で終わりにして、次回からは修士1年の皆さんと学び合いたい」と宣言されました。複雑な気持ちです。そうさせるように説教しまくったのですから、セオリー通りです。が、舐めるような個人指導は出来ない。
「お、そうか、いいよ~。君が考えたことなんだから、一番の判断だよ。今後は、たまに俺が「研究、どう?」と聞くとき、自信を持って応えられれば良いんだよ~ん。期待してるよ」と言いました。しめしめ、どんどん『学び合い』の術中に落ちていく。『学び合い』は学習者に手の内を晒しても、どんどん術中に落ちます。だって、本人にとって術中に落ちることはプラスであることを納得させているんですから。
でも、自慢します。日本中の学部3年生の中で、指導教員に向かって、もう、あなたの個人指導は不必要だ、と建設的に言える学生は何人いるだろうか?その一人が我がゼミにいる!