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2007-05-28

[]新ブログ 22:33 新ブログ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 新ブログ - 西川純のメモ 新ブログ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』の同志のブログは、このブログが属しているManabiaiグループにあります。右の「最新日記一覧」をご覧下さい。また、「学び合い」でネット検索して、ざっと記事を読めば、同志のブログかどうか分かります。また、『学び合い』と使っていれば同志だと直ぐに分かります。どんどん、同志が情報発信してただいています。嬉しい。

 この前の埼玉での会で『「学び合い」の道は、油断せず、あきらめず、そして、楽しく。 』との名言を使いながら、飄々と『学び合い』の実践を語られたI先生に、「ブログを作ってください。そして情報発信してください」とお願いしました。そしたら、もう、作られました。http://blog.goo.ne.jp/goo0124-1969です。

 出来るだけ、高頻度で更新し続けることが、ブログで大事だと思います。量によって質は自ずと高まるものだと思います。というより、私自身がI先生の語りをいっぱい読みたいと期待しつつ、紹介いたします。

[]選択 08:34 選択 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 選択 - 西川純のメモ 選択 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 これを読まれている方には、何らかの主任を務めてられる方も多いと思います。中には、教頭(副校長)、校長の方もおられると思います。そうでない方も、自分がそうだったらと想像してください。

 あなたが勤められているのは、教員数三十数人の大規模な学校です。でも、なかなか大変な職員集団です。心の病で休みがちの先生もいます。回りの先生方としょっちゅう大げんかをする先生もいます。教職経験が少なく、要領の悪い先生もいます。そして大多数の先生は、それなりの能力はあるのですが、やる気がなく、自分の仕事が要領よく終わらせて、さっさと家に帰ります。三十数人の先生方には、十弱の派閥があり、喧嘩をするわけではないですが、関わりは少ないようです。もし、このような学校に勤めていたとします。あなたは○○主任、もしくは管理職として、学校全体の企画を成功しなければならないとします。どうでしょう。「ふ~」というため息が聞こえるようです。おそらく、あなた一人が殆どの仕事をこなし、それをみんな仕事のように形を整えるという戦略を採るでしょう。そして、ヘトヘトになるでしょう。

 そこで神様(まあ、ものすごい権力を持った管理指導主事もしくは課長・次長)が現れました。神様から二つの選択肢を与えられ、そのうちの一つの願いを実現しようと言われます。

 第一は、そんな先生方を直ちに他校に異動させます。そして、あなたが願う、どんな先生でも良いから「一人」その学校に異動させます。その先生はどんな先生でもOKです。例えば、「大村はま」、「斎藤喜博」でも結構です。ただし、その先生お一人に学校をおしえてていただきます。

 第二は、教師の全取っ替えは同じです。その代わりに三十数人の人をその学校に異動させます。ただし、ごく普通先生です。それなりの能力のある先生もいますが、要領の悪い先生もいます。そして、大多数は普通先生です。ここまでは、今の学校と同じです。違うのは、殆どの先生(つまり必ずしも全員ではありません)がやる気を持っています。能力のある先生普通先生も要領の悪い先生も、とにかく、自分の最大限で問題を解決しようとします。そして、三十数人は学校目標を実現するために「一丸」となれる先生方です。誰かが困ると、すぐに誰かのところに相談に行き、それでも解決できないと、いつのまにか回りの先生方が集まって解決します。

 さて、あなたは、どちらを選択しますか?おそらく、迷い無く「第二」を選択するはずです。第二の学校だったら、素晴らしいことが出来ることは自明と思います。一方、「第一」は絶対に選ばないはずです。それを選ぶぐらいだったら、現状のバラバラ教師集団の方がまだ良いはずです。だって、三十数人規模の学校を、どんなスーパーマン教師だって一人で教えられないのは理の当然です。

 さて、何人かの同志だったら、上記は何を意味する寓話だと察したのではないでしょうか?上記を「先生」を「子ども」に「学校」を「クラス」に置き換えてください。

 第一は、あなたが願う、どんな先生でも良いから「一人」そのクラスに異動させます。その先生はどんな先生でもOKです。例えば、「大村はま」、「斎藤喜博」でも結構です。ただし、その先生お一人にクラスを教えてていただきます。

 第二は、三十数人の子どもたちは、ごく普通子どもです。それなりの能力のある子どももいますが、要領の悪い子どももいます。そして、大多数は普通子どもです。ここまでは、普通クラスと同じです。違うのは、殆どの子ども(つまり必ずしも全員ではありません)がやる気を持っています。能力のある子ども普通子どもも要領の悪い子どもも、とにかく、自分の最大限で問題を解決しようとします。そして、三十数人は学校目標を実現するために「一丸」となれる子どもたちです。誰かが困ると、すぐに誰かのところに相談に行き、それでも解決できないと、いつのまにか回りの子どもたちが集まって解決します。

 上記のように書き換えられます。我々から見ると、一斉学習や、そして今までの全ての教育論は、第一を目指しているとしか思えません。そして、それは、三十数人の多様性を低く見積もっている一方、一人の教師の能力を高く見積もっているからです。しかし、三十数人の分かり方は全部違う、三十数人の性格は全部違う。その多様性が、現状の教師が考える教師三十数人規模の学校クラスの多様性を越えるものです(従って、「教師が三十数人規模の学校クラスの多様性」の「本当」の多様性は気が遠くなるほどです)。一方、我々教師は凡夫にすぎません。全ての時間を費やしても、「大村はま」、「斎藤喜博」にはなれません。そして、そのレベルであっても、三十数人の子どもの多様性には対応できません。

[]夢 08:34 夢 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 夢 - 西川純のメモ 夢 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 この前の埼玉での研究会でAbさんと一杯話しました。その際、子どもたちが主体的になったとき実現できる、多くの人が荒唐無稽と思うような夢を語り続けました。それを聞いたAbさんから「先生は本当に子どもの能力を信じているんですね」と言われた。思わず、ニヤリとしました。同時に、私が「夢」と書いていることを正確に表現しないといけないなと感じました。

 私が本ブログに書いている「夢」、また、色々な人にお話しする「夢」は、実現できるかどうかがハッキリしていないから夢なんです。が、ハッキリしていないのは、それをまともに信じてやってくれる人、そして、その人を許す学校が生まれるか否かがハッキリしていないという「部分」がある故に夢なのです。もし、ある人がそれをやったとき、実現するかに関しては、全く不安がありません。だって、私は子どもの能力を信じていますから。ただし、根拠無く信じているわけではありません。上記の「選択」で書いた以下の学校想像してください。

 『それなりの能力のある先生もいますが、要領の悪い先生もいます。そして、大多数は普通先生です。ここまでは、今までいる学校と同じです。違うのは、殆どの先生(つまり必ずしも全員ではありません)がやる気を持っています。能力のある先生普通先生も要領の悪い先生も、とにかく、自分の最大限で問題を解決しようとします。そして、三十数人は学校目標を実現するために「一丸」となれる先生方です。誰かが困ると、すぐに誰かのところに相談に行き、それでも解決できないと、いつのまにか回りの先生方が集まって解決します。』

 そんな学校で出来ることを想像してください。私はそのように考えているので、爪のあかほどの不安もありません。だから、それをやっていただける方の耳には、しつこく語り続けます。

 私は子どもの能力を信じています。正確に言えば、子ども集団の能力を信じています。一人一人の子どもの能力は、教師と同じぐらい有能であり、教師と同じぐらい愚かであると考えています。教師と子どもには経験の違いがあります。しかし、その程度だったら、良質なテキストを与えれば、それを読み取れる子どもはいますし、その子から回りの子に広げます。そのような子どもが三十数人の集団となって課題を解決したら、、「大村はま」、「斎藤喜博」を軽く越えます。だって、どんなスーパーマンだって、分身の術は使えないし、24時間しかないという物理法則に縛られています。一人の人間が三十数倍の能力は発揮できないことは、バカみたいに当然のことです。

 例えば、ある子ども2ケタの足し算の引っかかっていたとします。別な子が、その子がどこに引っかかっていることを同定し、それに対して説明するにどれだけの時間がかかるでしょうか?それが2分としましょう。想像してください、、「大村はま」、「斎藤喜博」だったら、その三十数分の一の時間(即ち、3、4秒)で出来ると思いますか?

 逆に言えば、そんな程度のことしかやっていないのにもかかわらず、指導したと教師が誤解できる程度のことなのですから、三十数倍かければ、本当に分からせることが出来ます。

 こんな小学生でも分かる理屈から、私は子どもの能力を信じています。

 追伸 従って、教師の仕事は、目標の設定、評価、環境の整備であると考えています。