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2007-06-01

[]再び涙 22:26 再び涙 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 再び涙 - 西川純のメモ 再び涙 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 下に書いてある「一年生」を読んだ同志からのメールです。読んで、また泣きました。メールやりとりをしているだけで、こんな感激をいただける。ありがたいと思います。(一年生、をお読みになってない方は、まず、下の一年生をお読み下さい)

 緊急避難的な対応の後、最終的な解決を子どもに任せたところは、『学び合い』を会得された証拠だと思いました。今年度より『学び合い』を試み始めた方です。しかし既にこのレベルに達しています!

西川先生 こんばんは、○○です。

【大事なこと】一年生を読んで感動しました。今の自分にはその様子がありありと想像できます。なぜかと言うと「学び合い」を始めてから同じようなことが何度かあったからです。

 5分、10分・・・と時間が過ぎていくとこちらから関わっていこうかとイライラしますが、我慢して見守っていると切れている子供椅子に腰掛けさせて落ち着かせるなど何処で身に付けたのと吃驚してしまうほどです。イライラする必要など全くないことが後から分かります。トラブルを解決した子供達は、何もなっかたようにその時間の学習までも終わらせてしまいました。よく子供同士のトラブルがあった時すぐ対応するようにと言いますが、普通の学級では、授業があるからと後回しにされます。それでは、肝心の学習にも身が入るわけはありません。子供もにとってそれを解決しないと前に進めないからです。たとえ直ぐに教師が関わったとしても子供のように上手く解決はできません。子供が納得しないままに適当な所で仲直りさせるのがおちです。子供達は、それをずっと根に持ちそれ故教師の前では、おとなしくしておいて裏でコソコソと言うことがおこるのでしょう。そんな事で今まで精神的にかなり参っていましたが「学び会い」のお陰で邪魔さえしなければその後には、「感謝・感激」が待っていることが分かりました。

 話は変わって、○日前の出来事です。

 内科検診がありました。男の子達は、上半身裸になってかなり興奮気味でした。「静かに受けましょうね。」と言ってあったのにかなり騒がしい状態でした。子供達が何とかしてくれるだろうと待っていましたがなかなか静かになりません。養護の先生に注意されました。興奮している子供達は、なかなか静かになりません。お医者さんが、冗談交じりにうるさい子は、「パンツも取ってもらおうね。」と言うと図に乗って「いいよ。」ときました。もう我慢の限界です。腕をつかんで二人の子をロ-カに放り出しました。短気が私のいけない所です。次の手を打たなければと思い学級に戻った子供達に話ました。

T:「君たちの態度はどうでしたか。」

C:「お医者さんに迷惑をかけた。」

T:「それじゃその責任を取らないといけないよね。みんなで話し合ってどうするかまとめて下さい。」

しばらくして

C:「全員で謝りに行きます。」

T:「分かりました。そうして下さい。」

しかしお医者さんは、すでに帰った後でした。

C:「保健の先生が、伝えておくと言っていましたよ。」

T:「君たちは人に任せて責任を取ったことになるのですか。」

~その後の子供対の会話から~

みんな病院に行くと忙しいから迷惑だよね。」

「何人かで行けば。」

「それでも対応しないといけないから同じじゃない。」

電話はどう。」

「それも同じだよね。」

 結局子供達の出した結論は、みんな手紙を書こうと言うことになりました。中心になって話し合いをまとめた子は、家でも自分達の判断が正しいのか家族に相談してそれで良いと言っていたと翌日私に報告してくれました。

今日、お医者さんがまた検診に来るよと伝えると養護の先生といつ頃持って行ったらいいのかの打ち合わせまでして無事手紙を届けました。素晴らしドラマを見ているようです。20数年教員をしてきてこういう気持ちを味わったことはありません。

 凄い子供達です。「感激し、感謝する」それで給料がもらえる。ありがたいことです。』

[]難しさのレベル 22:02 難しさのレベル - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 難しさのレベル - 西川純のメモ 難しさのレベル - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ある方より、『「勉強しなさい!」を言わない授業』の書評があることを教えていただいた(http://www.geocities.co.jp/Bookend-Kenji/5682/reading/2007-04b.html)。読んでみて、「鋭いな~」と思いつつ、自分の舌足らずを反省した。そこで補足をいたします。

 「学力上位者でも自力では解けないような課題」とは「学力上位者でも手も足も出ない課題」という意味ではありません。「学力上位者でも自力では完全に出来るわけではない、また、完全に自信を持てない」という意味です。何となく分かるような、分からないようなレベル。分かるんだけど、ちょっと自信がないレベル。です。こうなると前者だと誰かと協働で解決しようと思います。後者だと、誰かに自分の考えを語って、チェックを求めるようになります。この場合、必ずしも教師から見て自分と同等の学力(または同等以上)である必要はありません。極端に言えば、ただ、聞いてくれる存在であっても、意味があります。

 しかし、このレベルがどれほどなのか、これを見極めるのはなかなか難しい。それを、常にやらねばならないというのは、かなり大変です。が、簡単にできる方法があります。それは「みんなが出来る」です。自分が出来ることは簡単であっても、周りの人に説明するのはかなり高度な課題になります(教師だったら身をもって経験していますよね)。

 本当に「みんな」とうのは、予定調和すぎるほど「うまい」のです。でも、それはしょうがありません。我々の『学び合い』はホモサピエンスが数百万年の生存競争の中で洗練された戦略に則っているのですから、「うまい」のは当たり前です。

 私としては、多くの教師の習い性である「中の下に合わす」では、『学び合い』を生じさせないことを書きたいため、ちょっと過激すぎる表現を使いすぎました。反省。でも、過激に書いてしまう熱き思いも大事にしたい。

[]語ること 13:27 語ること - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 語ること - 西川純のメモ 語ること - 西川純のメモ のブックマークコメント

 abさんのブログコメントしたことが、大事なので、ここにも書きます。多くの方から、クラス開きに何を語るべきか、聞かれます。大抵の場合は、「学びの殿堂」のKanさんやKineさんの語りを推薦します。また、『「勉強しなさい!」を言わない授業』で紹介している、Iさん、Kurさんのプロトコルお勧めです。また、クラスで問題が起こったとき、それぞれのケース毎に、どう言えばいいかも聞かれます。それなりの応えをメールで送ります。

 しかし、子どもたちに何を語るべきか、それは本当は重要ではないんです。大事なのは、どう考えているかなんです。「考え」が理解できれば、その時、言いたいことを言えば(逆に言えば、言うべきではないと思ったときは黙っていれば)、それでOKです。うまい表現でなくてもOKです。何度も、何度も、機会がある度に語れば、そのうち理解してくれます。ただし、理解してくれるのは、教師の語ったことではなく、教師が考えていることです。だから、「考え」が重要なんです。

 が、「考え」を理解しようとしている方に、それを言ってもしょうがない。むしろ、ある型を伝え、そして子どもたちが変容する姿を通して「考え」を理解してもらうしかないのかも知れません。というわけで、上記を書いてビビらなくていいですよ。どんどん、どう語るべきかを聞いて下さい。私は誠意を持って、私なりに一生懸命に分かりやすく説明します。そして、それが困難である場合は、私より説明のうまい人にご紹介します。ご安心を。

[]一年10:47 一年生 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 一年生 - 西川純のメモ 一年生 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 つい最近埼玉県での『学び合い』の会で、ある小学校の同志と話し合いました。昨年度は、全ての教科で『学び合い』を実践をして、素晴らしい成果を上げた同志です。が、今年は1年生の担任です。授業の様子を見ていると、『学び合い』の導入が限定的です。そこで、「何故?」と聞くと、やはり一年生ということに迷いがあるようです。そこで、一年生も六年生も高校生大学生も四十の大学院生も、み~んな同じであることを語りました。その際、「一年生は分からない言葉があるので指導しなければならない部分があるのでは」とおっしゃっていました。が、いつも通り、そんなの本を与えればいいと言いました。具体的には国語辞典です。もちろん、全ての子どもが、その辞典を読み取れるわけでないことは百も承知です。が、教師が長々説明しても、全ての子どもが分かるわけではないことも承知しています。ただ、一斉学習と違って、『学び合い』の場合は、わかる子が他の子どもに教えることが出来ます。そんなこんな色々な話をしました。そうしたら以下のメールをいただきました。個人特定できないように一部修正したものを以下に付けます。やっぱ、一年生も有能だ!

西川先生

○○小学校 ○○です。

 先日は、お世話になりました。あの日の、いろいろな方との語らいと西川先生からのアドバイスが、自分にとって、大きなステップになっているのを感じています。

その1

 先生からアドバイスをいただいた「国語辞典の件」さっそく教室に置いてみました。何人の子ども達が使い方を知っていたのかは、定かではありませんが、(だって、「るってどこにあるの?」なんていう声もあちこちからきこえましたから。)あっという間に、1年生の机の上に、国語辞典が広がっている異様な光景となりました。最近、県教委や市教委の先生方の、授業参観があったのですが、さっそく、その国語辞典が目にとまったようでした。

その2 「学習班作り」

 教室も、ようやく自由な班作りでの、学習スタートしました。今まで、「1年生」にとらわれがあって、生活班での学習をしていたのですが、やっぱり、自分が学びたい人(学ぶ意味がある人)と学ぶ方が生き生きとしています。学習も進みます。

その3 「先生が泣いちゃった事件」

 先日、休み時間を終えて教室に行ったら、AとBのけんかが起きたとのこと。様子を見に行ったら、すでに、数人の女子が仲裁に入っていました。そのまま、しばらく見守っていると、「けんかは、両方悪いの。だから、Aちゃんも謝ったほうがいいよ。」「謝ったほうが、後で仲良くなれるよ。」・・・私が言いそうなことを友達が根気良く諭してくれていました。

少しずつ、泣いていた子も、落ち着いてきて、怒っていた顔も優しくなってきました。

 それでも、見守ること15分。授業もすでに始まっているし、ほかの子に、待ち時間の指示はしてあるものの、口を出そうか、どうしようか・・・でも、ここまで、待ったから我慢、我慢。と思っていたその時、「Aちゃんなら、ごめんねが言えるよね。」と諭す言葉

 私は、その言葉に、じーんときてしまいました。Aは、何をしても、気になる存在でした。1年生らしからぬ行動と態度で、担任をも友達をもいらいらさせることがしばしば・・・。「Aちゃんなら、ごめんねが言えるよね。」この言葉は、子どもを信じようとしている自分なのに、きっと今の自分には言えない言葉だったと思います。それを、子どもが、言ってくれた・・・。もう、私は、泣きそうでその場には、いられませんでした。

 そのうち、丸く固まっていた輪が、何事もなかったように解けました。

 双方に「ごめんね」が言えたとのこと。それを、待っていたほかの子ども達に報告する私の目は、真っ赤でした。「先生が泣いてる・・・。」子ども達は、びっくりでした。「感激すると、涙がでるんだよ」と私。

 その日、保護者会がありました。ちょうど、その報告をするのに、良い機会でした。次の日の連絡帳に、家でも、先生が泣いちゃった事件が話題になったとのことが書かれていました。「待っていた子ども達にも、先生の学級に対する思いが伝わったと思います。入学して、2ヶ月、毎日楽しそうに学校に通っています。」と保護者言葉

 ありがたかったです。

 これで、しばらく元気を充電できそうです。』

 教師の仕事目標の設定、評価、環境の整備です。「感激し、感謝する」は最高の評価です。子どもを信じて、感激をいただき、感謝する。それで給料がいただける。

 教師とは、なんて良い職業なんだろう・・・。ちなみに、このメールを読んで、私も泣いています。