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2007-06-27

[]混乱を楽しめる 22:42 混乱を楽しめる - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 混乱を楽しめる - 西川純のメモ 混乱を楽しめる - 西川純のメモ のブックマークコメント

 西川ゼミの人に語ることです。

 研究を計画し、実施するとき、思った通りの結果が出る場合と、出ない場合があります。当然、後者の場合、ゼミ生は混乱し不安になります。実は、指導教員の私もそうです。が、私はその不安を「見切る」ことが出来ます。何故なら、我々がやっていることは、大筋においては絶対正しいことをしています。だから、凄い結果が出るはずです。もし、そのように見えないとしたら、我々がその凄さを見いだせない、旧来のくびきに縛られているためです。

 例えば、『学び合い』が成立しているのに、そのクラスの担任は学び合わそうと思っていないと答えたとき、我々は混乱しました。しかし、『学び合い』は教師が仕組むものではなく、教師が邪魔しなければ、子どもが選択するということを分かることが出来ました。

 異学年学習の最初、子ども達は私語だらけの班が生まれました。それも殆どの班がそうです。我々は混乱しました。しかし、詳細に分析したとき、私語には素晴らしい意味があることを発見しました。

 我々の初期に開発した自己モニターという方法が、見事に失敗する結果を得て、我々は混乱しました。しかし、子細に分析したとき、方法が重要ではなく、その方法を使う教師の考え方の方が重要であることを発見しました。

 以上の発見は、現在の『学び合い』の基礎をなす発見です。そして、上記以外にも多くのの混乱がありました。その混乱の末に得たものによって、現在の『学び合い』があります。

 思った通りの結果が出るときは、それは現在の理解の地平を広げることが出来ます。しかし、思った通りの結果が出ないとき、それは現在の理解とは違った次元の地平が広がるときです。それ故、今では、私はゼミ生達が得た結果で混乱したとき私はワクワクします。おそらく、そのゼミ生にとっては地獄の時間なのかもしれません。いや絶対にそうです。しかし、私は、その先に素晴らしいものがあることを確信しています。だから、我々の進んでいる道が確かであることを、コマコマした理屈ではなく、大づかみの考え方で説明します。そして、「安心して、前に進もう」と語ります。おそらく、「気楽に何言っているんだ」と思われているのかもしれません。いや、そうでしょう。でも、私が出来るのは、「どうやったらいいか」を語ることではなく、「やるべきだ」ということを語ることです。それが『学び合い』における教師の立ち位置です。

 先ほど、ある同志からメールが来ました。悩んでいる同志へのエールです。

 『子どもたちの混乱を楽しめるようになれば、きっともっともっと楽しくなります。『学び合い』というすごいことが起こっているように思いますが、何でもないごく普通子どもたちの姿です。でも、その姿こそが、本当にすごいことなのだと今は思います。』

 正しい道です。混乱は次の次元へのステップアップの助走です。

 おそらく、気楽なおっさんの戯言かもしれません。しかし、私という、このおっさんは本気でそれを信じています。

[]私が揺るがない理由 10:15 私が揺るがない理由 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 私が揺るがない理由 - 西川純のメモ 私が揺るがない理由 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 もし、プリントや面白実験などに依存しているテクニックならば、授業者の考え方はそれほど重要ではないかも知れません(でも、それに頼るという考えは、子どもはお見通しですが)。ところが、『学び合い』は考え方です。授業者の考え方が、鏡のように子どもに表れます。私も人です。弱い人です。それ故、それが、私のクラスである西川ゼミに写されることがあります。非常に落ち込みます。が、だからといって揺るぎません。

 不遜ながら言います。もし、7割の学習者に分からせ、8割の学習者に分かったつもりにさせるぐらいのことだったら、わたしゃ授業準備せずに、口先三寸でなんとでも出来ます。その程度の話術、授業テクニック、教材は私の頭の中にたたき込んでいます。そして、十年一日のような過去に用意したパワーポイントの資料があれば、8割の学習者を分からせ、9割の学習者をわかったするつもりのことは簡単です。それ以上は出来る自信があります。しかし、そんなことが実現しても、何も意味がないこと「を」よく知っています。私は10割の学習者が分かって欲しい(分かったつもりではありません)、そして10割の学習者に心落ち着ける時間を与えたい。それが私の志です。

 もし、『学び合い』以外でそれを実現できる道があれば教えてください!『学び合い』で今、そして常に実現できるかと言われれば、分かりません。しかし、『学び合い』はそれを実現できるかも知れない、唯一無二の道だと確信しています。だって、『10割の学習者が分かって、10割の学習者に心落ち着ける時間を与える』なんてとてつもない望みを、教師一人が背負って出来るわけない。当事者である学習者集団が本気で願って、頭を使って、時間を使わなければ実現できない。

 「8割の学習者を分からせ、9割の学習者をわかったするつもりのこと」程度のことだったら、今、この瞬間から、な~んもしなくても退職までの20年弱は誤魔化せる。しかし、私は、『10割の学習者が分かって、10割の学習者に心落ち着ける時間を与える』ことを願っています。それ故、揺らぎません。