■ [大事なこと]職員室の力

高校でも校則が厳しい学校と、校則の存在が意識されない学校がある。例えば制服などが典型である。靴下の色や長さを規定している学校もいれば、何着てもOKの学校もある。自由な学校には共通点が多いように感じる。即ち、ある時期、教師と生徒会が制服に対して交渉した。制服を強いる「理」なんてありゃしない。それは教師も分かっている。だって、教師自身が制服ではないんだから。だから、私服にしても問題が生じない生徒であることを信じられれば私服にしても、まあいいんじゃないか、で変わったのだろう。そして、それから数十年、問題が生じないから、そのままになっていた。
現場の先生から、上からの管理が厳しく、それ故に教師集団がバラバラになっているとの嘆きを聞く。確かにそうだろう。でも、ふと思いました。教師集団がバラバラだから、管理が厳しくなっているのではないか、と。私は組合の組織率や闘争力のことを言っているのではありません。正当な主張を根気強く交渉し続ける職員集団のコアが無くなっているのではないか、と、感じています。
私が勤めた高校の職員室を思い出すと、勤務に関わるデリケートな問題が起こる前には、年長の二人の先生(組合の本部委員の先生とは違います)と教頭と校長がゴチャゴチャ相談していました。漏れ聞こえる内容から、その手の内容だと察しが付きます。そして、「じゃ、そのあたりで」という声が聞こえます。しばらくすると何人かの先生方でゴチャゴチャ話し合っています。その先生方は組合のラインとは必ずしも一致していません。次の職員会議で校長や教頭から「お達し」が伝えられると、「ああ、このことだったんだ」と理解します。採用間もない私なんぞには、いいも悪いも分かりませんが、年長の先生方、中堅の先生方が納得しているので、「まあ、実害はないんだろうな」と安心します。そして、しばらくすると年長の先生や、教頭先生から交渉の過程や、そのポイントを教えてもらえます。それを聞くと、法律には血が通っているし、まあ妥当な落としどころに、落ち着くもんだと感じました。
現場の先生方と話すと、学校管理職とそのような交渉をする先生方が欠けているように感じます。そして、そのような交渉の後は、職員集団の自律的な働きで「?」の先生も、その線で押さえるという職員集団の力が無いように思います。両者は表裏一体と私は感じます。私の直感です。
■ [大事なこと]教師が必要とする技術

大学における教員養成の教育は、すこぶる評判が悪い。学生さんからは、「俺は小学校の教師になろうとしているんだ。こんなこと小学校の授業と関係ない」と言われます。また、「お上」の会議においては、教員養成系学部がミニ文学部化、ミニ理学部化していて教員養成系の目的学部・目的大学としてのアイデンティティがないと批判されています。その批判に対応するため、多くの大学ではカリキュラムを大幅に改革しています。もちろん、カリキュラムを変えても、教えている人は変わらないのですから、単に看板の掛け替えにすぎないという批判を受けるようなものも含まれています。が、心ある教員養成系大学の大学人は、自らの過去の専門の殻を破って実践的な内容を取り入れようとしています。そして、それは限りなく、現在の教育センターの研修内容に近づいています。
そのような大学人の志は高いものの、それに、どれほど意味があるかと言えば、疑問です。ミニ文学部、ミニ理学部と批判されている授業の中には、教師の心に深くしみいるものもあり、そうでないものもあります。同様に、極めて実践的な内容を扱っている授業であっても、教師の心に深くしみいるものもあり、そうでもないものもあります。だって、教育センターの講義が100%素晴らしい、というわけでもないことは受講経験のある教師であればよくおわかりだと思います(もちろん、その多くは素晴らしいものであることは、あわてて補足します)。
人相手の職業における技術は、「その場」を離れて学ぶことが出来ません。これは正統的周辺参加の考え方だし、認知心理学の文脈依存性、領域固有性の考えからも言えます。「その場」で学ぶことの典型が徒弟制度です。近世から現代に移行する際、徒弟制が否定され工業教育が始まりました。しかし、徒弟制の教育効果が否定されたのではありません。徒弟制が技術を秘伝としてオープンにしなかったために、工業教育が始まりました。教育効果で言えば徒弟制の方が、今でも高いと評価されています。例えば、最先端の理学部の研究室は徒弟制を維持しています。医学部でも長いインターン制度があります。本当の研究を離れた理学の学習、本当の医療を離れた医学の学習は、せいぜい大学学部の1、2年程度の内容が限界です。それ以上になれば、その場で学ぶしかないのです。教員養成の教育も同じです。実際の学校現場を離れた学習は、せいぜい学部1、2年が限界です。従って、学部3、4年はもちろん、大学院は不可能です。
でも現場だけでは駄目なことも当然です。経験年数と職能が必ずしも比例しないことは常識でしょう。現場の経験を組織化する必要があります。それも、いままでの大学の講義のように、「その場」を離れてではなく、「その場」で行う必要があります。そういう教育の場を作りたいと、2004年8月4日の朝に、オークラフロンティアホテル筑波の朝食会場でN大学副学長と会食した時から「悪知恵」の限りを尽くしています。