■ [大事なこと]鬼の霍乱

私は教材・指導法は馬鹿馬鹿しいと主張しています。そして、「教えるな」と主張します。が、私の授業はコテコテの教材・指導法のオンパレードです。小技・大技を繰り出します。オール1の高校生、暴走族の高校生に物理学を教えた私です。学校制度にフィットした大学生や教師の八割強に、指導要領の縛りのない内容に関して、面白くて、ためになる話をするのは「ちょろいちょろい」と不遜に思っています。
が、一度、西川研究室に入れば、全然違います。最初の半年は徹底的に議論しますが、それ以降はごちゃごちゃ言いません。最初の半年ですら、『学び合い』を基本としています。西川ゼミでの私と授業での私は全く、全く違います。でも、理由があります。
『学び合い』は管理者としての立場のある人が出来るものです。小学校の担任、中学校・高校の教科担任が出来ることです。私は3時間あれば『学び合い』は出来ると豪語します。でも、それは、その3時間の後に1年間、毎週数時間の授業を担当できることが前提です。大学の授業のように、半年間に最大15回しか授業を出来ないとはレベルが違います。それ故、講演会と同じに、教材・指導法、そして話術で押し倒すように語ります。
私には博士課程に3人の学生さんがいます。三人とも修士課程で2年間教えた現職院生さんです。当然、『学び合い』で指導しています。最近、3人の学生さんの指導会がありました。前日からKanさん、Mさんが来ました。鬼の霍乱です。発表方法(プレゼン)に細かい指導をしました。一方、前日から来れなかったKrさんは無しです。それから1週間ぐらいたって、Kanさんからメールをいただきました。
『先日は研究指導ありがとうございました。プレゼン指導を受けているときに「わー、俺、教えてもらってる・・・。」と思って、感動してました。その後、Mさんと「教えてもらっちゃったよねえ。」と感動をシェアしてました。翌日、MさんがKrさんにその話をしたところ「そんなことあるはずがない。」と相手にしてもらえなかったそうです。』
40代のおっさんたちを、心の底から可愛い思います。この業界で二十年以上修羅場を生き抜き、人に誇れる成果を上げていたのですから、伝えるべきものは山ほどあります。その殆どは「実証的教育研究の技法」という本に書きました。しかし、本に書けない部分もあり、これも小山ほどにはあります。伝えようとも思いますが、私が伝えようと思ったことの殆どは、修羅場の中で自らが気づいたことです。私が教えなくても気づくはずです。
我々の『学び合い』で教師が求めることは、教師が知っていることを感激して学習者が受け入れることではありません。教師の予想を超えることを、かるがると学習者が乗り越えることです。それによって教師は成長できます。もっと凄いドリームメーカーに。もし、愚かな教師がゴチャゴチャしゃべり始めたならば、やんわりとたしなめてください。そして、ゴチャゴチャしゃべろうとした自分の愚かさを大笑いさせてください。
期待しています。