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2007-09-21

[]ユーレカ 22:27 ユーレカ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ユーレカ - 西川純のメモ ユーレカ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今から二十数年前のことです。教員採用試験合格して、来年度から教壇に立つことが決まっていたときの頃です。その頃、「もし、道ばたでタバコを吸っている高校生にあったら、俺はどうすべきなのだろうか?俺は高校教師なのだから、当然、指導すべきなのではないか?でも、どうなのだろう・・・」と悩んだことがあります。ところが、新年度に実際に教師になり、特に、最底辺校の教師になって、「私が教師であるのは、私の学校の生徒にとってであり、私の学校の生徒以外にとっては私は教師ではない」と至極当然なことを分かりました。私は一般の大人程度にすべきことをすべきですが、だからといって、私が教師として何かをすべきではないのです。また、しようとしても不可能なのです。

 本日、家に帰る車の中で、長年の謎が解けました。

私は『学び合い』はすばらしものだと確信しています。ところが、私が大学で行う授業は、徹底的に「わかりやすい」、「面白い」授業を目指しております。そして、大技・小技のテクニックがいっぱいの授業です。私の直感は、それは正しいと思っていました。何故なのだろうと考えました。一つ考えたのは、大学の授業は半期15回です。それでは『学び合い』は出来ないのでは、とも思いました。ところが、2泊3日の洗脳旅行においては、私は『学び合い』をやっています。重要なのは、期間でも、回数でもありません。

 本日、分かりました。結局、聞いている人たちの多くが、私を管理者と認識しているか、否かの違うのだと思います。短くとも、洗脳旅行に来られる方は、私を管理者と認めている方であると、私は認識しています。もちろん、西川ゼミ学生さんは私を管理者と認めている方と、私は認識しています。だから、私はもっともすばらしいと思っている『学び合い』で指導します。ところが、大学の授業の場合、それも必修でない科目の学生さんは、私を管理者と認めている方が多くはないと思っています。その場合は、「わかりやすい」、「面白い」程度のことしか出来ません。

 『学び合い』では、「人の道」を語ることが大事です。それが語れなければ『学び合い』は出来ません。道でタバコを吸っている高校生に、それはだめであるということを語ることは「理論上」はすべきです。しかし、それには無理があることは、最底辺で教えたことのある私の実感です。

追伸

 ただし、ある集団の6,7割が管理者と認めてくれるならば、その集団に属したいと思っている人にとっては、個人的には私を管理者と認めなくても集団の力で、私は管理者になれます。

[]独裁者 17:12 独裁者 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 独裁者 - 西川純のメモ 独裁者 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 独裁国家市民が、「我々は○○を熱烈に支持する」とか、「○○を命の限り守る」と叫んでいる姿がニュースに流れているのを見ることがあります。さて、我が国の人たちは、それを見てどう思うでしょうか?「あ~、かわいそうに、そう言わざるを得ないんだろうな」と思うでしょう。けっして、その独裁者が熱烈に支持されているとは信じはしないですよね。

 『学び合い』を始めると、色々な問題が見えます。例えば、今まで真面目だと思っていた子どもが、やんちゃをやりはじめたりする場合があります。また、クラスの中の特定の子は、孤立していることが見えるようになります。しかし、それは『学び合い』によって生じたわけではありません。単に、『学び合い』によって見えやすくなっただけのことです。その問題は、一斉指導の時にもあったのです。ただ、独裁国家市民のように、上っ面を整えただけのことです。

 現在先進国では、独裁国家は殆どあり得ません。何故でしょう。それは、独裁国家にくらべて民主的な国の方が、遙かに生産性が高く、国力があるからです。だから、独裁国家民主国家とは勝負にならないからです。もし、「我々は○○を熱烈に支持する」とか、「○○を命の限り守る」という言葉が額面通りで、支持率100%の国家であればかなりの効率性があるはずです。そうでなければ、「我々は○○を熱烈に支持する」とか、「○○を命の限り守る」は嘘だと言うことです。

 民主政治独裁政治に比べれば、まどろっこしい面があるかもしれません。そして、独裁国家に比べれば、民主国家マスコミは混乱の極致かもしれません。しかし、民主国家の方が、一人一人が主体者となり得るので、一人一人の生産性が高まります。また、一つ一つの問題が表出しやすいので、それらをみんなで解決することが出来ます。

 整然とした一斉指導になれた人から見れば、『学び合い』学級崩壊のように見えるでしょう。でも、『学び合い』になれた人から見れば、一斉指導のクラスは、「我々は○○を熱烈に支持する」とか、「○○を命の限り守る」と市民が叫んでいる国を見ているようで、悲しくなります。