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2007-09-22

[]最後に残った子 22:29 最後に残った子 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 最後に残った子 - 西川純のメモ 最後に残った子 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 最近、ある同志から、中級段階の悩みのメールをいただきました。内容は、ほとんどすべての子が学び合い学力向上がみられているが、最後に残った子には発達傷害があるため「全員」を達成しがたいそうです。それでも「全員」を求めるべきか?という質問です。この部分は、「手引き書」に書き加えるべきだと思いました。とりあえず、以下のように回答しました。

 最後に残った「その子」が特別支援の必要な子だったら、どうでしょうか?結論から言えば、それでも『学び合い』は有効です。詳細は、今後出すであろう特別支援に関する『学び合い』に関する本に書きますが、簡単に書きます。

 ADHD:これは本当に簡単に解決できます。何故なら、『学び合い』の授業では、だれもが立ち歩いて勉強します。ADHDの子も1時間座り続けるわけではないの、座るべき時に座ることが出来ます。したがって、ADHDの子が目立ちません。ADHD子どもの中には、学年が進むと症状が改善する例が多いと聞いています。前頭葉の発達が原因とされています。しかし、そのような時になっても、小学校中学校で受けた、「お前は悪い子」というラベルは二次障害で残ります。そして、中学校のある日、先生から怒られたら、とにかく、それ以上の剣幕で反抗すれば教師がおとなしくなる、ということに気づく子がいます。私が高校で教えた子は、その様な子が多かった。『学び合い』ではADHDの子は、問題なく勉強することが出来ます。

 学習障害:図形認識が不得意な子、逆に音声認識が不得意な子がいます。多くの場合は、介助員がついてサポートします。しかし、介助員のサポートを詳細に分析すれば、その多くは子どもでもサポートできるレベルです。従って、『学び合い』によって問題なく学習を継続することが出来ます。

 知的障害(ダウン症等):『学び合い』でも、学力向上の効果は限界があります。しかし、そうであっても、それらの子どもが居心地のいい時間と場所を与えることが出来ます。それによって、先に述べた二次障害の発生を避けることが出来ます。

 自閉症『学び合い』でも、学力向上の効果は限界があります。しかし、そうであっても、それらの子どもが居心地のいい時間と場所を与えることが出来ます。それによって、先に述べた二次障害の発生を避けることが出来ます。思い出してください。教師が「いこうよ」と引っ張るとパニックになってしまうのに、ある子が「いこうよ」と引っ張ると素直について行くことはなかったでしょうか?これは、相性の問題で、いかんともしがたいのです。

 アスペルガー:このタイプが、例外的に時間がかかります。なぜなら、『学び合い』子ども同士の関わりによって課題を解決します。しかし、アスペルガーの中には、関われば関わるほど「イライラ」させる子がいます。この場合は、「仲良く」なることを強いるのではなく、「課題を解決」することを求めます。

 想像してください。校長が教員に仲良くすることを求めたら、おそらく、見た目は仲良くなりますが、陰に隠れて陰湿になります。しかし、校長がすべてのクラスで高い課題達成を「全員」に求めたら、関わりを持つようになります。関わると不快になる同僚がいたとして、正常な職場ならば、その人を攻撃するようなことをしないでしょう。まあ、一定の距離を置きつつ、無視をしない関係、つまり「大人」の関係を持つでしょう。子どもも、そうなります。

人間能力は高度に文脈(状況)に依存することが知られています。一般には、「畳の上の水練」と知られています。だから、教師と「その子」と二人だけの架空の状況でのソーシャルスキルトレーニングの効果には限界があります。「その子」が学ばなければならないのは、教師に対するソーシャルスキルではありません。「その子」が学ばなければならないのは、クラス子どもたちとのソーシャルスキルです。従って、子どもたちと実際に関わり合い、その中でのトライアンドエラーの中で学んだことが身につきます。もしかしたら、ソーシャルスキルを理解できないかもしれません。でも、「その状況」でのソーシャルスキルを覚えることが出来ます。最悪の場合は、「その子」は変わらないかもしれません。しかし、周りの子どもが、その子に対するソーシャルスキルを学ぶ可能性は低くはありません。

 その他の子:上記のような明確に特別支援の必要な子以外にも、教師からは「その子」と気になる子がいます。しかし、上記で記した理由と同じ理由で、その子にとっても『学び合い』は有効です。

文部科学省は6.3%の特別支援の必要な子が普通学級にいるとしています。しかし、多すぎると思いません。だって、その子は大人になるわけですから。我が国の人口の6.3%は特別支援の必要な人たちとなります。その人数は、実は東北6県の全人口に当たります。私は健常児を、特別支援の必要な子どもと誤ってラベリングしている可能性が高いと思います。事実、プロが特別支援の子であると判定しましたが、『学び合い』をしたら、そのタイプの特別支援の子が達成できない高い学習達成度を実現した結果を得ています。

 教師:「その子」が上記のどのタイプの子であるかによって、どれだけ時間がかかるか、また、どれだけの効果が見られるかは違います。しかし、いかなる場合においても、一斉学習を下回ることはあり得ません。そして、最も効果が高いのは教師に対してです。多くの教師は「その子」に振り回されてイライラします。結果として、「その子」に強く当たります。そうすれば、クラス子どもたちは、あなたを同じように「その子」に強く当たります。そんな状態でよい授業が出来るでしょうか?無理です。『学び合い』によって「その子」の呪縛から離れることによって精神的に余裕が生まれます。

 クラスの中には、上記のような様々な子どもがいます。それらの中には、教師から考えて、どう考えても学力向上には限界がある子がいます。ところが、『学び合い』では、その子を含めて全員が高い点数を取るように求めます。そこに矛盾が生じるように感じられるでしょう。だって、目の前の子どもは簡単な足し算さえおぼつかない子どもかもしれません。周りの子どもがどんなに教えようとしても、答えを丸写しすれば満足してしまう子かもしれません。「その子」以外が100点を取るようになっても、「その子」は変化が見られません。さて、そのようなとき、どうしたらいいでしょうか?

 ありがちな対応としては、「クラス全員が90点以上」ではなく、「クラスの平均点が90点以上」もしくは「クラスのほとんどの子が90点以上」のような目標に変えます。これはだめです。なぜなら、教師がそのような基準を設けたならば、何故、教師がそのような基準を設けたのか子どもが察します。つまり、「先生はその子のことを考えて、そのような基準を設けた」と察します。そうすると、子どもたちは、その子が課題達成しない場合の対応するのは先生だ、と理解します。そうすれば、子どもたちは「その子」をなんとかしようとは思わなくなります。では、どうするか?教師はあくまでも「クラス全員が90点以上」という基準を要求し続けます。もし、『学び合い』によって子ども集団が成熟したならば、子どもたちは、その要求を受け入れ続けるでしょう。基準を達成しなくても、その基準を堅持することの意味があることを理解しているからです。安易に、「クラスの平均点が90点以上」もしくは「クラスのほとんどの子が90点以上」にすると、どのようなことが起こるかを理解しているからです。しかし、さらに成熟したならば、子どもたちは教師に対して基準を変更することを「要求」するようになるでしょう。その時は、『学び合い』学校観の原点に立ち戻って、「みんなが大人になるということに照らして、合う基準を設けられるなら、みんなで話し合って考えろ」と言えばいいのです。その結果として、「クラスの平均点が90点以上」もしくは「クラスのほとんどの子が90点以上」という基準を彼らが設定したとしても、それは教師が設定したのとは全く別の意味を持ちます。

 教師は先回りしてはいけません。個々の子どもの問題を解決するのは子どもたちです。そのような子ども集団を作り上げるのが教師の仕事です。その基本を忘れてはいけません。