■ [大事なこと]授業参観
当然、一斉指導でやっていました。一斉指導としては、良い授業だと思います。ゼミ生の声は通り、子どもあしらいも上手です。教材の提示も明確です。また、子どもが展開予想とは違った反応をしても、当初の教案にしがみつくことなく、別な手だてをするところなど、なかなかのもんです。このまま就職しても、十分にやってけると思いました。
が、彼の指導ではなく、一斉指導を改めて1時間見て「情けなく」なりました。特に、彼の担当学年が、最近、上越で『学び合い』をやりはじめたクラスの学年と同じなので、なおさら、そう思います。『学び合い』だったら、「教科書80頁の1番を全員で分かるようにしてね。はいどうぞ」で15分で完了するようなことを、45分+5分もかけても不十分でした。改めて、一斉指導は非効率だと思いました。例えば、以下の部分に端的に表れています。
●隣の子どもが問題を解けているのに、その子に聞かず、机間巡視して個別指導をしているゼミ生を待っています。そんなことしなくても、隣の子に「何やればいいの?」、「どうすればいいの?」と聞けば解決できるのに、と思います。教師であるゼミ生は一人ですので、十数人の子どもを全て見て回るわけにはいきませんし、見てもらえる子どもも待ち時間が無駄です。第一に、分からないことを、隣の子どもに聞けないクラスって、私は異常に感じます。
●ゼミ生が個別指導をした子どもをじっと見ていると、必ずしも理解しているようには見えません。少なくとも、その後の問題を解決できず白紙です。つまり、ゼミ生が一生懸命に説明しても、ようは、答えをまる写ししているにすぎません。よく、「子どもたちが学び合えば、答えをまる写ししてしまう」と心配される先生がいらっしゃいます。しかし、まる写しするような子どもであれば、教師が教えようと、子どもが教えようと、結局、まる写しするんです。だから、まる写ししてもしょうがない、ということを理解させることが大事なんです。
『学び合い』ではみんなが「分かる」ことを求めます。その結果、みんなが全員が分かっているかをチェックしあいます。教師の目を逃れられたとしても、クラスみんなの目を逃れる術はありません。
●正しい問題の解き方を伝えようと思って、出来る子を黒板の前に立たせ説明させていました。ところが、子どもの声が小さく、教師の方向を向いてしゃべるので聞こえません。また、省略の多い説明なので、意味が取りづらい。結果として、「聞こえません~」、「分かりません~」という反応が帰ってきます。そのため、その子の発言を教師が補足してみんなにしゃべります。しかし、実際は、補足という域を超えて、教師オリジナルな説明をしています。つまり、黒板の前に立っている子どもの意味は、腹話術師の人形の「パクパク」以上の意味はないのです。
大人だって、みんなの前で不安なことを発表するなんて出来ない人は多いはずです。それを、いきなり求めるのですから無理があります。『学び合い』だったら少人数の普通の会話の中で説明します。従って、出来る子は少なくないですし、やっているうちに出来る子は増えます。そして、小さなグループで自分の意見が是認されることによって、大人数の前でもしゃべれるようになれるのです。職員会議で発言する前に、周りの人と小声で相談することってありますよね。あれです。
最終的な私の感想は、「あんな非効率な分かりにくい授業で、算数を分かる子がいるんなんて驚異的だ」と思いました。でも、一斉指導に慣れた目には、その異常さ、非効率性は見えにくいだろうな~、と暗い気持ちになりました。
追申 慌てて追申します。子どもたちを見ていると、そのクラスはいいクラスだな~と感じます。ゼミ生の指導して頂いている担任の指導力を感じます。学校の先生方も、暖かくゼミ生を受け入れて頂いていることを感じます。本当に感謝です。上記は、あくまでも一斉指導に対してであり、個々人をどうのこうのという意味ではないことを明確にしたいと思います。