■ [大事なこと]マクロ・ミクロ
本日は、昨日の先生の2回目です。既に、初期段階に陥る一つの段階に達しています。
というのは、多くの子どもたちが学び合っているのに、学び合っていない子どもがいることが気になって、気になってしょうがない状態です。その先生と話すと、実に子どもたちを細かく見取っています。さすが、そのクラスの担任だと思います。でも、私の印象は「細かいな~」と思います。私の方は、一人一人の子どもは見ていません。子どもたちの動きを見ています。たとえば、「集団が生まれたり解消したりしているか?」、「複数の子どもが一緒になって聞きに行っているか?」等です。その先生が子どもをミクロに見ているのに、私は子ども集団をマクロに見ています。それ故、安心して見ていられます。
その先生も、同じようにマクロに見ています。その先生が、どんなことを話しているかなどよりも、その先生の動きを見ます。『学び合い』が分かると、滑らかにクラスを動きます。また、たったまんまでニコニコしています。しかし、その先生は、所々で立ち止まります。そして、腰をかがめたり、座ったりします。ICレコーダーを聞くまでもなく、「確認し、教えている」ことを意味しています。そして、その原因はミクロに細かく見てしまっているからです。
私だって、私のクラスであるゼミのことを細かく知れば、教師根性から細かく指示してしまう。だから、意識的に知らないようにしています。その先生にアドバイスしたことは二つです。
教師が教えること、確認すると、子どもたちは他の子どもを教えたり、確認しなくなってしまう。
「その子」をなんとかしても無駄、クラス全員を変える結果として、その子を変えるべき。もし、学び合いの姿として望ましい行動が見られたら、説教すべしです。我々は「教えるな」と言いますが、しゃべるなとは求めていません。人の道を語ることはどんどんすべきです。しかし、それを「その子」にするのではなく、「その子」を黙認している集団に説教すべき。