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2007-10-20

[]知識理解型授業 21:08 知識理解型授業 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 知識理解型授業 - 西川純のメモ 知識理解型授業 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 アベタカさんブログhttp://blog.abetaka.jp/?eid=695595)に、「しょせん学び合いの授業は知識理解型の授業でしょ」とアベタカさんに言った人がいるそうです。ブログコメントを書きましたが、何故か、怒りが収まりません。最初に書きますが、言うまでもないことですが、アベタカさんへではありませんよ。アベタカさんブログに書いたことに反応すると、すぐにアベタカさんがご説明いただきます。恐縮いたします。それ故、最初に書きました。

 さて、相当いかって書くので、乱文・乱筆はご容赦をください。まず、「しょせん学び合いの授業は知識理解型の授業でしょ」という人は、おそらく、知識理解型の授業ばっかりやってる人だと思います。それ故、自分の中にある知識理解型授業の枠組みにぴったり合うように、『学び合い』のごく一部のキーワードをつなぎ合わせているのだと思います。これを書くと長くなりますが、認知心理学には「精霊の戦い」という文章の解釈に関する研究があります。西洋文化圏とは全く違う文化における神話なのですが、それを西洋文化圏の人が読むと、西洋文化に無理に置き換えて解釈します。つまり、認知は文化の産物だということを示す研究の一つです。それを思い出しました。

 私は課題として「みんな全員で90点以上とれ」ということを課題例としてあげます。どうも、知識理解型授業の人は、それを「90点以上とれ」という意味にとられます。さらに、それを「平均90点以上とれ」にとられます。そして、私が大事にしている「みんなで」をいつの間にか抜け落ちます。だって、そういう人は「みんなで」が重要だとは思っていないからです。そして、「90点以上」が大事なのでそこが残ります。そして、「90点以上」なんてしょせん知識理解型授業だと非難します。しかし、誤解も甚だしい!

 私にとって90点なんてどうでもいいんです。もっと言えば、そのテストがどんなテストだと言うこともどうでもいい!極端に言えば、「鼻くそ丸めテスト」だって良いんです。でも、なんやかや言っても、日本教育は指導要領に規定されています。それは合法的なプロセスで決まったことなんです。そして、子どもも親も、業者テスト入試の点数を上げたいと願っています。それに「深い読み」のような子どもに分からない課題では、子どもが主体になりません。だから、「鼻くそ丸めテスト」ではなく、業者テスト等のテストを使うことを勧めるるだけのことです。

 我々のこだわっているのは「みんなで」なんです。なぜなら、それが学校教育で本当に学ぶ意義であるし、それがあることによってのみ、限りなく全員がそれを学ぶことが出来るからです。そして、それはホモサピエンスの本性だと確信しています。どうして「みんなで」を理解してもらえないのか、そして「平均値ではなく全員が90点以上」が大事なのか理解してもらえないのか、悲しくなります。

 さらに加えれば、思考力・判断力って何でしょう?まず書かなければならないのは、我々の知識・技能はすべて文脈依存的であり、領域固有なんです。社会科で学べる思考力・判断力は、社会科での思考力・判断力に過ぎません。数学で学べる思考力・判断力は数学の問題解決における思考力・判断力なんです。考えてください、二次関数の解を求める思考力・判断力が無いことが、その人の社会生活・家庭生活にどれほど関係するでしょうか?少なくとも、大学入試後においては、おそらく「鼻くそ丸め方」と五十歩百歩です。いや、大学入試後だったら、「鼻くそ丸め方」の方が関係するかもしれません。

 では人間にとって最も大事な思考力・判断力とは何でしょうか?それは「手引き書」にも書いたように、対人関係における思考力・判断力なんです。それを獲得するために、それを司る前頭葉ホモサピエンスは発達させました。漢字の書き取りでも良いです。九九をおぼえるだけでも良いです。そんな暗記であっても、ひとたび人と人と関わりながら解決するならば、対人関係の思考力・判断力の学習につながります。それらをどのようにして暗記するかを考え、それを人に伝え、それを相互交渉の中で洗練する過程が、いかにすばらしい学びになるかは、『学び合い』でそれらを実践している同志だったら、よくご存じなはずです。ましてや「ごん狐」の解釈、「封建制度の成立と崩壊」を学ぶ過程でそれが無いわけがない。逆に、人と人との相互交流のほとんど無い一斉指導で、それらが成立するわけ無い。いや、その教科の題材に限定され、さらに個人に限定された思考力・判断力でさえ危うい。一斉指導において、思考せず、判断せず、ぼーっと時間を過ごすだけの子がどれだけ多いかは、子どもを見とれる教師だったら周知の事実です。

 ここまで書いて、やっと、ちょっとすっきりした。

[]教職大学院 19:16 教職大学院 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教職大学院 - 西川純のメモ 教職大学院 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日福井教職大学院のことに関して発表してきました。上越教育大学以外に4つの大学発表がありました。正直びっくりしました。日本には、これだけ凄い大学教師がいるんだと思いました。各大学とも、練りに練った計画案です。同じ教職大学院を構成する仲間として、嬉しくなります。

 期せずして、使っているワードは違いますが、臨床と協働を大事にしています。そして、既にある都道府県教育センターにおける研修とは違って、教職大学院理論と実践との往還が大事であるということは全く同じです。

 が、違うところがあります。それはスタッフだと思います。多くの大学は、学術研究を積み上げた研究者と実践を積み上げた実践者が、協働することによって、両者の指導を受けた受講者の中で学術と実践の往還がなされることを担保しています。しかし、それは上越教育大学は既に二十年以上前からやっていたことです。それ故、その限界をよく知っています。しかし、しょうがありません。多くの大学では人事的にカツカツの状態でやっているんです。その中で、厳しいことを求められるスタッフを一定人数以上集めることは本当に大変です。

 上越教育大学教職大学院スタッフは、小中高で教師の経験があり、実践に関しての業績を持ち、かつ、博士修士の学位を持ち学術業績のある人で構成されています。つまり、その人の「中」で学術と実践の往還がある人が教職大学院担当することで、学術と実践の往還を担保します。

 私は、上越教育大学教職大学院スタッフを知っていますので、その中に自分がいると言うことを誇りに感じています。

[]社会科 19:04 社会科 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 社会科 - 西川純のメモ 社会科 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 手順は全く簡単である。まず、物をいくつかの山にまとめる。もちろん、量によっては一山でもよい。設備がその場にない場合は、次の段階としてどこかの場所に行くことになるが、そうでない場合は準備完了である。やりすぎないということが重要である。つまり、一度にあまり多くの量をこなすぐらいなら、少なすぎる量をこなす方がよいということである。短期的には、このことはそう重要なことでもないように見えるかもしれないが、やっかいなことはすぐに起こる。これをミスると高くつくこともある。最初は手順全体が複雑なものに見えるだろう。しかし、しかし、すぐにそれは単なる生活の一側面に過ぎなくなってしまうだろう。近い将来この仕事が必要でなくなるという見通しを立てることは難しい。誰にも分からないことである。手順が完了すると、物をまたいくつかの山にまとめあげる。それから物を適切な場所に入れる。やがてそれらの物はもう一度使われ、そしてサイクル全体を繰り返さなければならなくなる。しかし、これは生活の一部なのである。

 さて、上記の文章を読んでどう思われたでしょうか?Bransfordというひとの論文にある、私の大好きな一節です。これは、全体像が分からないと、文章はチンプンカンプンであるということを示すものです。

 ロシア文学の大作、例えば「戦争と平和」を読むのは大変です。○○ヴィチばかりがぞろぞろと出て、何がなんだか分からなくなります。ロシアの文化的背景も分からなければなりません、戦争と平和あたりだとフランス革命も分からなくなります。こりゃ大変です。でも、一番いい方法は、その映画を見ることです。全部見ると7時間、短縮番でも3時間ですが、あれを見ると全体像が見えるので読めます。全体像が見えると、後から後から出てくる人名も、その全体像の中に収まるからです。実は、子どもたちにとって社会科の授業は、いきなり「戦争と平和」を読むのと同じぐらい、チンプンカンプンなんです。

 『学び合い』において子どもたちの会話を聞いていると、以前のメモのように基本的なワードの説明以外にも様々なことを語っています。その一つに、その単元の全体像なんです。例えば、信長秀吉家康の三人を扱った単元では、「信長が天下統一したが途中で死んで、秀吉が継いだが秀吉が死ぬと家康が取って代わって、その後、家康の子孫が長い間日本を支配する」というような全体像を語ってくれます。

 さて、一番最初に書いた文章は「洗濯」の事を書いています。それを知ってから、もう一度、読み直してください。全然、違って読めるはずです。

 かって認知心理学を学び、それで山ほど論文を書きました。最終的には、それでは授業改善は無理だという結論を得ました。しかし、認知心理学で学んだことにより、現状の一斉指導は無理が多いことを証明するためには、今でも役に立っています。

Bransford,J.D.,& Jhonson,M.K. 1972 Contextual prerequisites for understanding: Some investigations of comprehension and recall. Journal of Verval Learning and Verval Behavior, 11, 717-726