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2007-10-24

[]国語 22:51 国語 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 国語 - 西川純のメモ 国語 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 小学校の花の観察といえばアブラナです。でも、何でアブラナを観察するかご存じでしょうか?

 典型的な花を思い浮かべてください。花びらがあり、萼(がく)があり、おしべ、めしべがあると思います。花の観察を通して、そのような基本的な構造を学びます。そして、花びらの数、おしべ、めしべの数には一定の法則があることを学びます。この至極簡単なことを学べる花は、実は数少ないのです。例えば、市街地で一番目につく花は、イネ植物です。ところが、生物を学ばない人には花に見えません。だって、花は色鮮やかと言うイメージがあります。小学生に、これが花だ、と言っても納得しないでしょう。市街地で次に多い花はキく科植物です。タンポポが代表的ですね。でも、この花は集合花です。つまり、普通の人が花びらの一つと思いこんでいるのが、実は花一つなんです。さらに特殊化が進んだコスモスヒマワリなどは、花びらにも見えません。コスモスヒマワリの花の中心のテンテンは一つ一つが花なんです。チューリップユリはごく普通の花に見えますね。でも、よく見てください。それらには萼(がく)がありません。実は、外側の三枚が萼で、内側の3枚が花びらです。萼があまりにも美しいので、萼に見えません。春の花として代表的なサクラは観察に適切のようです。しかし、サクラなどのバラ科植物はおしべの数が多すぎて、数えきれるものではありません。以上のようなことから考えると、アブラナ以外は観察に使えないのです(例外はカタバミがありますが、花が小さすぎる)。認知心理学では族類似という概念があります。我々が持っている自然カテゴリーの多くは、そのカテゴリーのものが持つ特徴を多く持っていますが、その全てを持つものはほとんど無いのです。

 「手引き書」に書きましたが、身分制度が崩壊することによって、教育は一つ一つの職場教育から離れていきました。そして、それら全ての職業の基礎となる知識・技能を学ぶ場として学校が生まれました。共通項を見いだしていくと、結局、どの職業とも関係ないものが生まれます。昔から、読・書・算は、どの職業にも関係する基礎的なものです。それ故に、非常に広い範囲の共通項であることを国語は求められます。それ故に、ある意味現実から離れてしまい、ある意味で最も醜悪なものとなっているように思います。

 例えば、作文です。我々は小中高と数多くの作文を書きました。思い出してください。その作文は誰に向けた作文なのでしょうか?考えてみれば、それが曖昧であることに気づくと思います。「自分ですか?」でも違いますよね。現実問題としては、「先生」が見ることを予想しています。しかし、「先生」へ書いたとも言えそうもないですよね。変なことだと思いません?学校卒業してから、一度でも「誰に」を意識しない文章を書いたことがあるでしょうか?ましてや、日本語は「敬語」が特に発達してるという特徴を持つ言語です。それなのに国語で、この異常な作文が不思議に思われないということが、私にとっては不思議でしょうがありません。逆に言えば、国語『学び合い』に関して大鉱脈だらけと言えます。そのごくごく手始めを「学び合う国語」(東洋出版社)に示しました。その本の副題である「国語コミュニケーションの教科にするために」は、我々の本当の願いです。

追伸 このメモの前置きは長すぎですね。ごめんなさい。私は元々は理科教育学出身で、理科教育学で学位をいただき、現在日本理科教育学会の学会誌の編集委員長を務めています。が、大学の都合により、理科教育の授業を出来ない状態におります。そのため、たまに、長々と理科のことを書きたくなります。

追伸2 ということで国語は面白いと思っているのですが、同志Kさん以降、国語をやりたいという人は私の研究室に来ない。残念だな~。国語国語の立場でやることの意味を否定しませんが、一歩離れた立場から見るほうが斬新な発展が出来るのに・・

[]源氏物語 22:51 源氏物語 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 源氏物語 - 西川純のメモ 源氏物語 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 源氏物語を読むと、かなり違和感を感じます。古文の多くは、貴族を読者として想定しています。決して、庶民を読者として想定していません。庶民の私にとっては、違和感を感じます。貴族社会を描いても、読者を一般庶民を想定している近代文学とは違うように思います。そして、源氏物語の読者の常識もかなり現代人と異質です。ラブレターで愛の告白をしているところは純情派のように見えますが、いきなり夜ばいするなどは破廉恥に見えます。源氏物語中高生の教材にするのは、ペントハウス小学校英語に使うようなものではないかとも思えます。

 国語教育の専門の方に、ご意見をいただきたいな~

[]仲人 07:15 仲人 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 仲人 - 西川純のメモ 仲人 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 埼玉県先生『学び合い』ライブをみたいと希望されました。早速、私が仲人となって、埼玉県本庄市の仁手小学校佐藤準先生を紹介しました。11月19日です。その日は、ライブ希望先生の代休の日で、教務の佐藤先生が授業をやる日で、両者が一致した日です。なお、『学び合い』は人数が多いほど、多様な人がいるほど、簡単に質高い学びが成立すると考えています(一般の少人数・習熟度別と真逆、でも、我々の方が本当の少人数・習熟度別ですが)。ご希望の方があれば、私にメールください。佐藤先生との仲人をしますよ。

 ライブは、いいですよ~!