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2007-11-23

[大事なこと]使用上の注意

 最近のコメントに触発されて、使用上の注意を再度書きます。これは、今から5年前にも書いています。

http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20020930

 最近でも、以下のように書いています。

http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20070803

http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20070725

http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20060914

 しかし、何度も、何度も書かねばならないと思いました。

 『学び合い』は強い薬みたいなモンです。効果は強いのですが、使用上の注意を誤ると毒となります。使用上の注意は、本にもHPにも手引き書にも何度も書いています。しかし、誤る人がいます。理由はいくつかあります。

 『学び合い』の考え方が、従来の考え方と革命的に違います。人は既存の知識で物事を理解します。異質なものは、既存のものに引き寄せて、脚色して理解します。端的に表れるのは「考え方」の読み飛ばしです。多くの教育ノウハウ本はすぐに「どうやるか」で始まります。それに慣れているので、「そもそも」の部分は読み飛ばして、「どうやるか」を読む癖を教師は持っています。しかし、『学び合い』において一番大事なのは、その「そもそも」なんです。具体的な「どうやるか」は、「そもそも」の影に過ぎません。そのクラス、その状況によって光の方向は変わります。分かりやすくするために、私はもっとも典型的な光の方向に現れる影を例として書きます。しかし、それはあくまでも影の一つです。残念ながら、考えることを放棄する先生がおられる。「そもそも」を理解せずに「どうやるか」をやります。

 例えば、我々は、教師の仕事は目標の設定、評価、環境の整備だと主張します。ところが誤解する先生方は「教えない」だけが頭に残り、さらには「しゃべらない」と理解してしまいます。そして一番大事な目標の設定がなされません。

 残念ながら「目標の設定」というと、たいていの先生方は「その日・その時間」の目標の設定だと解釈されます。しかし、我々の大事にする目標は「みんなで課題を解決する」の「みんな」なんです。それを語るためには、「何のために学校で勉強するか」を子どもにちゃんと語る必要があります。ところが、それは建前論だと解釈して省略する先生が実に多い。語っても、それが本当に信じられなければ、子どもに見透かされます。それでは、周りの子は出来ない子どもをほっぽらかしにします。そして、教師は「しゃべらない」と念仏のように唱えていたら、だれも出来ない子をサポートしません。そして、出来ない子をサポートすることによって多くのことを得る出来る子が何も得られないことになります。

 我々が「みんなで」と主張すると、それを「仲良く」と解釈する先生がいます。ところが「仲良く」を求めたって無理です。相性がありますから。それでも「仲良く」と強いれば、教師の陰に回って陰湿になります。われわれは「仲良く」を強いません。我々が求めるのは「折り合いをつけて」です。我々は子どもは大人と同じだけ有能であり、限界があると考えます。自分を振り返れば、同じ職場のみんなと仲良くできないのは理の当然です。我々が出来るのは「折り合いをつけて」です。

 先に述べたように、目標の設定が大事だということを読んだ方は、とにかく「その日・その時間」の目標と考えます。そして、旧来の考え方のように「特別に興味をわかせられる目標」とか「特別に分かりやすい課題」のために「ひねり」を入れたがります。だって、今までは「それが良い」と教え込まれていましたから。しかし、「ひねり」を入れれば入れるほど特殊化することになります。結果として、多くの子どもには分かりづらくなってしまいます。われわれは「ひねり」を入れずに「教科書○ページから○ページの問題を全員が解けて、その解き方を説明できるようにしなさい」のようにシンプルな課題を与えます。こんなクソつまらない課題であったとしても「みんな」という縛りがありさえすれば、興味をわかせられるということを知っているからです。

 こんなことは、今までの本にも書きました。そして、無料で公開している「手引き書」にもちゃんと書いています。そして、それは大事だよ、と書いています。ところが二百ページにも満たない、その本を読んでいただけない。また、それを現実のクラスの状況にあわせて、自分の頭で考えていただけない。そして分からなかったらメールしてください、トライし続ける限りはちゃんと返信しますとメールを公開しています。そして、いままで一度たりとも、まじめな先生のメールにちゃんと返信しなかったことありません。

 ところが無料で公開している二百ページ弱の「手引き書」を読みもしない。読んでも自分の頭で解釈もしない。そして、「おかしいな~」と感じているのに相談もしない。それで失敗した責任を『学び合い』の責任だと思われる。正直言って「ふざけるな!」と怒鳴りたくもなります。しかし、怒鳴ってもしょうがないので、手引き書の注意書きを書き足すことになります。しかし、書き足すと長くなり、読む人がさらにすくなくなる。しょうがありません。家電製品のマニュアルの最初に馬鹿馬鹿しい注意書きがいっぱい書いてあります。あれは「文句言われない・裁判で負けない」ための免罪符なんです。そして、それを見るユーザーはいなくなる。悪循環です。

 分からない人を責めて、その人が馬鹿だと合理化するのは簡単です。でも、そのような安易な合理化には進歩はありません。我々教師は、そのような人に伝えることによってお給料を頂いております。誤る人も、悪意がある訳じゃないんです。とにかく、疲れているんです。

 私は今後もHPにおける情報発信をし続けます。しかし、そこにあるテキスト情報、動画情報の限界も知っています。結局、「考え方」は人「集団」の中でしか伝えられません。それも大人数でなければなりません。人の相性があるからです。自分の疑問を解決できる説明を出来る人は、同じ学校の同じ学年の人とは限りません。少なくても最善の教え手である可能性は、低いはずです。むしろ、今は別な学校に移動した、あの先生かもしれません。いや、ネット上でしかおつきあいのない人かもしれません。せめてクラスの子どもたちが持っている選択肢(つまり30人程度)は保証しなければなりません。

 その集団は多様でなければなりません。つまり、分かった人、わかりかけている人、疑問を持っている人であらねばなりません。なぜならば、集団は多様であるとき安定するからです。等質な集団は、はじめは仲良しこよしですが、やがて、どうでもいいことで軋轢を生じます。また、疑問を投げかけられることによって進歩するのに、その機会を失います。重要なのはネットワークです。そのために、様々なネットワークの仕組みの種を蒔いています。あとは、そのネットワークに参加する人の数と多様です。それが一定以上になったとき、爆発するはずです。その発火点は近いと信じています。

 そのために、若い教職志望の学生さんの心に種を蒔こうと大阪に来ています。

追伸

つっこまれない前に、言い訳します。『学び合い』に関しては十冊の本、50以上の学術論文、数え切れないほどの実践の蓄積があります。そのような膨大な情報を、私との人間関係もない、いや「行けと言われた研修についている講演だから聞く」程度の人も多数含んだ方々に2時間で語るのが私の仕事なんです。すべては無理であることはご容赦下さい。しかし、興味を持たれた方へのサポートは、私の最善を尽くしているつもりです。