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2007-12-01

[]併用 23:40 併用 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 併用 - 西川純のメモ 併用 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日の「教師の仕事」というメモは、力のある先生が一斉指導と『学び合い』を併用する限り、最高度の『学び合い』には達することが出来ない理由を書きたいと思って書きました。しかし、電車の移動中だったので見直していませんでした。帰宅して見直してみると、関係ない内容が混在してしまったので、分かりづらいと感じました。そこで、改めて書き直します。

 一斉指導は、教師が綿密に手を入れます。ただし、全ての子どもに適用できる手だてはないので、あまり効率は良くありません。ところが、力のある先生は、6、7割にフィットするという驚異的な手だてを考えられるので、子どもたちの最低レベルを保証できます。しかし、綿密に手を入れるので、子どもたちはそこから逃れることが出来ません。結果として、教師が用意した通りに動きます。まあ、そうできるのも力があるからです。でも、子どもは教師が想定したゴールには行きますが、ゴールを越えたところには行きません。

 『学び合い』では、クラスのみんなの力で、ゴールを越えたところに行く可能性が生まれます。ところが、一斉指導を併用していると、子どもの方が、教師の思ったとおりの行動を期待されているのか、教師の予想を超えたところに行くことを期待されているのかが迷う場合があります。

また、力がある先生の場合は、子どもの動きを予想できます。そうなると、それから外れそうになると、敏感にそれを感じます。無意識に修正してしまう可能性があります。他ならない私も、そうです。義務教育の授業のことは現職院生さんより遙かに劣ることは分かっていますが、こと研究に関しては、私はプロです。研究テーマのタイトルを聞いただけで、必要となる最低限度の先行研究が思いつきます。そして、どのようにデータを出して、どのようにまとめたらいいか、それが直ぐに思いつきます。だから、学生さんと研究のことを頻繁に議論すると、私の枠組みに当てはめ、誘導してしまうのです。これは、それが馬鹿げたことだと理解しても、してしまいます。だから、研究計画の最初の段階で議論したときに、私の思いつくレベルのことを「荒く」語ります。そして、最低限、そこを押さえれば研究の形になることを説明します。そして、それは最低限のことであり、それをなぞったら、思いっきり馬鹿にするぞ、と言います。そして、それ以降は、意図的に学生さんと研究の話をしないようにします。

 私も、私の型にそった研究を指導すれば、学生さんは今より比べものにならないほど効率よく学術論文を書けるようになります。それは学会誌レベルを下がることは絶対にありません。でも、それは私にとっては、そのテーマを設定した段階から予想できるものであり、心ときめくものではありません。私は学生さんから学びたいという欲望を持っています。だから、そのような指導はしたくありません。私は子どもからいっぱい教えてもらいました。そして、それを子どもに還元したいと思います。

 力のある先生の達成度は極めて高いものです。しかし、それ以上のものがあります。特に、学習を成立させるという玄妙な世界の奥義は、子どもたちの中にあると私は信じています。一人一人にとって最高の指導法、最高の教材は、その子の中にあり、その子たちの中にあると信じています。

 『学び合い』のフォーラムを主催している会の名前は「子どもに学ぶ教師の会」です。

[]風呂入れ 22:10 風呂入れ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 風呂入れ - 西川純のメモ 風呂入れ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は新潟市で講演しました。気持ちよく語ることが出来ました。懇親会も楽しかったのですが、途中で失礼して特急に乗り、家に8時20分に到着しました。直ちに、息子と風呂に入り、添い寝をしました。今、息子が寝たようなので、布団から出ました。風呂でも、布団でも、いっぱいチュッチュをしました。

 息子の風呂入れと、添い寝は私の担当です。出張の時間は、この時間に帰れるように設定する場合は少なくありません。そのため、関係者にご迷惑をおかけすることは多いと思います。しかし、これによって息子からエネルギーをいただき、心と体の健康を維持できます。感謝です。

[]教師の仕事 11:58 教師の仕事 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教師の仕事 - 西川純のメモ 教師の仕事 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 最近の「ゆきこさん」のブログに対する「カタギリ」さんのコメントを読んで、「うまく説明しているな~」と感じました。それに触発されて、以下を書きます。

http://manabiai.g.hatena.ne.jp/miyoshiyukiko/20071125

 もし、管下の職員集団が仕えるに足ると判断する校長から、子どものため、学校のため、地域のため、そして自分たちのため、自分のためになると納得できる課題を与えられたとします。そして、「これこれのことは縛りですが、あとは皆さんにお任せします。皆さんにはそれが出来る。全て任せました。とにかく、目標を達成してください。必要な予算は取ってきます。必要ならば、どこにでも行って頭を下げます。問題が起こっても、私が後始末をします。みなさんは目標を達成する、その一点に集中してください」と語られたとしたら、どうでしょうか?職員は燃えるでしょうね。

 そこでです。その校長が職員に「例の件はどうなった?」と報告を求めたらどうでしょうか?その報告の求める頻度が1日ごと、二日ごと、1週間ごと、一ヶ月ごとで職員の行動はどうなるでしょうか?短い頻度になる度に、校長が自分たちを信頼する気持ちに疑いを持ち、さらに、職員のエネルギー配分が、課題達成から校長への報告へ移動するでしょうね。

 別の校長の場合は、1週間たっても、2週間たっても、校長は報告を求めません。職員間で「これでいいのだろうか?」という不安が広がって、校長に途中経過を見せようと言うことになりました。ところが、校長はその途中経過を一瞥もせず、「私は皆さんを信じています。だから、皆さんにお任せしました。責任はとります。期待しています」と職員集団に宣言したらどうでしょうか?あきらかに後者の校長の学校の職員の方が、すばらしい達成度をするでしょう。前者の場合は、校長の悪しきカーボンコピーが生まれます。カーボンコピーは、現物を超えることは絶対にありません。

 さて、後者の校長のことを考えましょう。上記に書いたように、そのことに関しては、完全に任せてくれます。ただ、別なこと、例えば、保護者とトラブッテいる学年に対しては、その報告をこまめに求めていたら。一方、ある校長はトラブッテいることの状況を理解し、最低限の条件(例えば、いつまでに解決すべきであるという日時)を与えた後は、何もしません。ただ、その学年集団が、集団として問題を解決しているかを、職員室での職員の動きからら判断します。集団として動いていると判断したら、何も言いません。ただ、その学年から、これこれのところに行って頭を下げて欲しいと求められたら、それを受け入れます。どちらの校長の下で働きたいですか?

 個々の具体的な事例から言えば、校長がこまめに報告を求めるべき事例があることを否定しません。上記の例は、管理職の信頼と管下の職員の行動には関連があることを理解してもらうための例です。結局、管理職の信頼している範囲内で、管下の職員は行動するのです。そして、管理職が信頼できず、自らが判断すれば、自らのレベル以下になることはありません。しかし、自らのレベル以上になることもないのです。一斉指導と『学び合い』の併用の弊害は、まさに、ここにあるのです。指導力のある先生のは、子どもたちにとって、指導力のある校長と同じです。その方針の下に、気持ちよく働くことが出来ます。それは一斉指導でも、『学び合い』でもです。ただし、子どもも管下の職員も、その管理職のすべての言動を通して、自分たちへの信頼を判断します。そして、それに合わせた行動をします。

 『学び合い』で最高の達成度を実現できるのは、数十人の子どもたちが全員、自分たちの頭の考え、必死にならせる必要があります。限りなく信頼する必要があります。では、管理職は何もしなくて信頼すべきなのでしょうか?そんなことはありません。管理職には管理職だけの仕事があります。私を例にして説明しましょう。

 私は今から14年前に助教授になり、一つの研究室を主宰することになりました。当時の状況は悲惨な状況でした。理科コースに所属していましたが、こく一部ですが、教科専門の先生が理科教育の学生・院生に対してイジメをしました。ご本人は自覚がなくとも、受けた我々はそう判断する言動がありました。まあ、しょうがありません。そのころには我がゼミは理科という縛りがきつくなっていました。理科以外の教科の学習も視野に入れた研究をしていました。それが気に障る先生もいてもしょうがありません。それ故、2年間の政治の結果、学習臨床コースを設立しました。それに必要な会議があり、それに必要な山のような書類を書きました。学習臨床コースに移動して、ゼミの協働が進み、従来のアカデミズムの枠がきつくなってきました。そこに教職大学院の話がありました。それ故、3年半の政治の結果、このたび教職大学院が認可されました。そのために、星の数ほどの会議、嫌になるほどの出張、山ほどの書類を書きました。

 研究を進めるには、予算も必要であり、施設も必要です。それを得るためには学内外の高い評価が必要です。学術論文の数、学術著書、学会賞が必要です。また、ゼミ希望者の数、卒業生の教員採用率、学校現場における評価、教師用図書、教師用雑誌・・、そのすべてにおいて勝る必要があります。その殆どはゼミ生の皆さんがやってくれます。ただし、それを正しく社会に評価させるためには、出版社、学会、学内、学校現場との交渉をしなければなりません。それは私の仕事です。そのために、膨大な書類を書き、出張をし、会議をしなければなりません。

 でも、これって校長の仕事と同じじゃありませんか?以上のような仕事をせずに、毎日毎日、学校にいて、庭の手入れにエネルギーをついやす校長がいい校長ですか?違いますよね。では、教員は違いますか?実は同じなんです。『学び合い』が進めば、子どもたちは「もっと」出来るようになります。そこで、教師が「もっと」を求め続けなければ、クラスは腐ります。安易な解決策を選び、いつの間にか仲良し集団のセクトが生まれてしまいます。もし、「もっと」と教師が求め、子どもも求めたら、安直な右にならえでは実現できません。周りの先生を説得し、一緒にやってもらわなければなりません。保護者を説得し、一緒にやってもらわなければなりません。そのための証拠は、子どもが出してくれます。しかし、それを正当に評価してもらうには、教師の政治が必要です。ある場合は、校外の研究会で発表し、校外にシンパを増やす必要もあります。校長が理解してもらえないならば、もっと力のある人に理解してもらう必要もあるでしょう。また、「もっと」を実現するにはボランティアも予算も必要です。経営学のドラッカーは非営利団体の管理職はボランティアと予算を獲得する能力が必要だと看破しています。

 日本教師の中で、どれだけの先生が、子どもの「もっと」を実現するために政治をやっているでしょうか?自分の開発した教材、いや、自分を見せるためではなく、まず、子どもを見せるために校外で発表している人がいるでしょうか?世の中に「助成団体要覧」というものがあることを知っている人が、どれだけいるでしょうか?そして、それに応募するために、書類を書いた人がいるでしょうか?

 一流の経営者は、管下の職員を信頼し任せます。それは「勉強しなさいを言わない授業」で紹介したリッカートの研究で明らかです。ただし、リッカートが集団参画型と分類した管理職は、むやみやたらに信頼しているわけではありません。失敗した場合には、どのようなことが起こるか、リスク評価をしています。そして、受け入れられるリスクはどこまでで、受け入れられないリスクはどこまでかを判断しています。そして、受け入れられないリスクを避けるためには、最低条件としてどのような条件が必要かを分析します。そして、その最低条件を明示した後で、全面的に任せています。私だって、細かい指導はゴチャゴチャしません。しかし、修士1年の学生さんには、夏と秋の学会に参加し、冬の学会に発表することを求めます。そして、修士2年の学生さんには夏と秋と冬の学会に発表することを求めています。もちろん、その学会発表の詳細を私は知りませんし、指導もしません。しかし、ゼミが集団として取り組んでいれば、絶対にすばらしい研究が成り立つことを知っています。では私は、ゼミが集団として取り組んでいるかを知るために何をしているか?

 学生控え室に行き、ソファーで寝ころび、コーヒーを飲みながら漫画を読んでいます。控え室のドアの外で学生の声が聞こえると、ドアの影に隠れて声を潜め、入ってくる学生を「ワッ」と脅かしてからかいます。毎日、昼にいるゼミ生と学生食堂で飯を食べます。その間話していることは徹頭徹尾、馬鹿話で、研究の話はしません。ゼミ生によれば、私は「頭の良い中学生みたいで、いつも悪戯のことで頭をくるくる回している」そうです。でも、それを通して集団が健全であるか、否かは分かります。

さて、そのようなことを実現できる教師に「専門性」がないでしょうか?馬鹿げています。そのような教師は「暇」でしょうか?馬鹿げています。そして、上記の仕事をせずに、毎日、「右」と「左」の書き順を板書している教師「だけ」が仕事をしているのでしょうか?馬鹿げています。

 私にとっては、これほど自明で当たり前のことを、伝えきれない、自分を自己嫌悪します。とほほ

 本日は、上記の一環の営業活動のために、妻子をおいて、上越から120Kmはなれた新潟市で昼から講演です。このメモも移動電車車中の1時間半で書きました。自宅に帰るのは20時半ぐらいです。

追伸 政治のために心ならずも併用している同志へのアドバイスです。そのことは子どもにちゃんと語ってください。そうすれば理解します。そして、全面的な『学び合い』に極めて近い行動をします。ちゃんと信頼することが大事です。