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2007-12-14

[]表現 00:03 表現 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 表現 - 西川純のメモ 表現 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は物言いを知らない人です。いろいろな方から、表現が過激だといわれます。言われることは妥当であると理解しています。また、表現を変えた方が政治的に正しいことも理解しています。本日、じっと考えました。結論から言えば、今のままの方が正しいと判断しました。理由は以下の通りです。

 例えば、私は「教えること」は教師の仕事ではなく、「やる気にさせる」のが教師の仕事だと主張します。これが多くの教師には「気に障る」と指摘されます。では、私が学習の方法のレベルにおいても「教師が教えなければならないこともある」と表現したらどんなことが起こるでしょうか?結局、その教えなければならないことがどんどん拡大解釈されて、結局、元の木阿弥です。

 「教師は最善の教え手ではない」という表現も論理は全く同じです。私が「『学び合い』と一斉指導との併用もありえる」と言ったら、今までの考え方とどこが違うのでしょうか?考えてください。日本中の教師の中で、「一斉指導のみにすべきで、子どもたちの”学び合い”は不要だ」と考えている教師がどれだけいるでしょうか?『学び合い』の同志が運用で一斉指導を併用することは当然だと思います。それを否定するつもりはありません。しかし、私が理解して欲しいと思っている人は、旧来の枠組みを持っている人です。当然、その枠組みで言葉を理解します。従って、違いを曖昧にすれば、あっという間で元の木阿弥です。

 原理原則は大事です。しかし、現実的な運用を否定するわけではありません。しかし、運用に合わせた原理原則を作り始めればすべては崩れてしまいます。原理原則から外れる運用をする場合、それは「まずいな~」、「ただすべきだな~」と思っているという動的なバランスが一番良いのだと思います。だから、せめて私は原理原則を気に障るような表現で主張することは意味あるのだと思います。

 もちろん私の場合も運用はします。しかし、それを恥じています。もし、運用が当然だと思ったとしたら、それは、私自身が同志ではないという証拠です。

追伸

 共産革命の成長当時は、党員に清廉さと求めました。しかし、政権を取った後、それが崩れました。レーニンはスターリンの求めに応じ、党員に特権を認める小さな譲歩をしました。それを制度としたことによって、政治局員という大公を、書記という貴族を生み出しました。

[]ライブが一番 08:08 ライブが一番 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ライブが一番 - 西川純のメモ ライブが一番 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日いらした学生さんたちよりメールを頂きました。

『今日は本当に本当にありがとうございました!!私、○、○みな、『学び合い』の魅力にとりつかれましたー。持ち帰って他の仲間と共有し、次に伺う際は多くの仲間と伺わせていただきます!また研究室のみなさまにも大変お世話になり、ありがとうございました(>_<)西川先生、研究室のみなさまのお心遣いに感謝です。。。』

『今日実際に小学校の授業を見学させていただいて、事前にメールで西川先生に質問させていただいていた学び合いの不安点がすべて吹き飛びました!実際に見ないと分からないものですね。いろんな心配をしていたことがうそのようです(笑)すっきりしました。

 学び合いは校種にかかわらず実践できることが実感できました。というか学び合うことは人の本能だから、すべての年齢でできて当然なんですよね~。とくに、クラスで学び合いをすると特別支援教室にいた生徒も一緒に、普通の生徒と同じように同じ教室で学びあえることができることを知ることができて、学び合いの必要性をさらに感じました。以前から、すべての生徒が同じ環境で勉強できたらいいのになと思っていたので。

 本当に今回はいい体験をさせていただきました。貴重な時間を割いていただきありがとうございました。また、僕の質問が言葉足らずの分かりにくい質問で申し訳ありませんでした。にもかかわらず的確に答えていただきありがとうございました。学校で生徒を持つ前に学び合い必ず自分のものにしたいと思いました。また上越によらせていただきます。そのときはまたよろしくお願いします。』

 百万の言葉より、実際の子どもと教師が何よりの証拠です。『学び合い』はイベントではありません。いつでもウエルカムです。