■ [ゼミ]博士
私は1982年に理科教育の大学院に入学しました。そして、1984年に最初の学術論文を学会に載せました。ということで、学術の世界に踏み入れてから四分の1世紀たったことになります。11年前に研究路線を大幅に変更して現在に至ることになりますが、それ以前は完全に「理科教育学」を専門としていました(ちなみに、現在も日本理科教育学会の学会誌編集委員長ですが)。
そのころ血道を上げて研究していたのは、理科の特定の学習内容を確実に理解(もしくは覚える)にはどのようにしたらいいかです。特に、数百万年や数億年というとてつもない年数が生物の進化や地学の地質で扱われますが、それをリアルにイメージして学習するにはどうしたらいいかを中心的に研究しました。そして、それは4年前に博士論文としてまとめました。私の頭が「賢かった」ころのエネルギーを注いだ研究をまとめたものです。自分で言うのも何ですが、実に緻密だと思います。
誰も褒めてくれないので自慢します。私は日本の理科教育学で最初に厳密な統計的手続きによって事実を記載した研究者であると自負しています。また、教科教育学において認知心理学の手法を利用する研究を導入したパイオニアであり、それに関して、最も多くの論文を書いた(それも単著で)研究者の一人であると自負しています。多くの学会から学会賞を頂きました。しかし、あらためて自分の学位論文を読み直すと、傷は少ないと思いますが、「だから何?」と感じます。時間概念は理科教育学の中心課題の一つでありますが、数百万年の時間をリアルにイメージできるか出来ないかで、その子どもの人生が変わるとは思えません。
私は今までに2人の人に博士の学位を主査としてだしました。そして、今年も出そうとしています。その学位論文を読むと、私の論文に比べると「隙」はあります。しかし、しょうがありません、扱っている対象が対象なのですから。そして、その「隙」を補って余りあるものがあります。それは、それによって子どもたちの人生を変える可能性が遙かに高い成果を上げている点です。博士という学位制度が生まれる前から、学術の資格は連綿と続いています。そして、それは、その資格を持つ人の中で特に優れた人たちが集まり、次世代の人に資格を与えるという連綿があります。それはとぎれることなく続いています。私の学位も連綿と続く学灯をたどればアテネのアカデミアに続くはずです。学術は進歩し、変質していき、発展します。与えた人の学術と、与えられた人の学術は違います。私に博士を与えた主査は、元々は理学博士の方で、その後、理科教育で活躍した方です。おそらく、理学の視点で見たら、人を扱う教科教育の論文は「隙」が多いと思います。しかし、その価値を認めて頂いたので、学位を与える労をとっていただきました。その私が、私が学位を得た学術とは違った学術の人に学位を与えます。感慨深いものがあります。
次に学位を与えようとする方の論文を読みながら、上記を思いました。た、だ、し。私は、「まだ」48歳です。感慨に浸ってばかりいられません。己の頭は馬鹿になっても、チームとして仕事を出来る力はまだ残っています。次に学位を与えようとする方に負けないような成果を上げるつもりです。負けないぞ~(最近の息子の口癖です)。