■ [嬉しい]机

地元の上越で学校として『学び合い』を取り入れる学校が生まれました。学部生が複数おじゃましています。本当に大事にしてもらっています。このメモで紹介したように、教育実習でもないのに、授業を任せてもらっています。本日、ゼミ生から報告がありました。なんと、職員室にゼミ生用の机を用意していただいたそうです。感謝です。そして、自慢です。
■ [う~ん]罪なお菓子

年末、年始はごちそうが続きます。私のほうも年末・年始は特別なのだから、という都合の良い理由付けで食べます。ということで体重は増えます。新年度になり控えねばと心に誓います。が
ゼミ関係者は全国的です。現職院生さんの場合は、伴侶の実家に帰省される場合もあります。それらの方々は、地域のお菓子をおみやげにします。ということで、ゼミの控え室横のお茶飲み場には、あふれるようなお菓子があります。どれも、おいしそう、いや、本当においしいものばかりです。一つだけ、と心に誓っても、もう一つ、もう一つ、となります。罪なお菓子です。
■ [大事なこと][Q&A]昨日の問題

昨日のメモに二つの問題を書きました。第一問は、「子どもたちが課題を解決するために、学び合っています。そこに成績のよい子が近づいてきて「先生、先生、私こんなに早くできちゃったんだよ」とニコニコして言ってきました。あなたは、どうしますか?」という問題です。第二問は、「子どもたちが課題を解決するために、学び合っています。そこに成績の良くない子が近づいてきて「先生、先生、私こんなに早くできちゃったんだよ」とニコニコして言ってきました。あなたは、どうしますか?」です。
この問題の典型的な不正解(つまり、一斉指導の教師が行うこと)とは、その子に聞こえるレベルの声の小ささで褒めるということです。「頑張った子を褒めるのが、何が悪いのか?」と思う教師が多いと思います。しかし、これをやるとクラスの子ども(特に成績の良い子)が、「あ~、先生は「その子」が出来れば褒めるんだ(評価するんだ)」と見破ります。そうすると、他の子どもと関わると言うことをやめ、自分が出来ることを優先します。
この問題を解答するための『学び合い』の基本的な「考え方」とは、「教師の仕事は集団の管理者である」ということとです。教師が子どもたちに求めるべきことは、「お前が出来るようになれ」ではなく、「お前達全員が出来るようになれ」なんです。二つの問題とも子どもが「自分が出来た」ということを教師に言いに来ているのです。ですので、本来求めていないことを言いに来ているのです。ですので、それにはあまり取り合わず(まあ、傷つけるほどの冷淡さはいけないですが)、「私はみんなができることを求めているんだ」ということを伝えなければなりません。さらに、それを伝えるべきは、「その子」ではなく、「みんな」なんです。
ここから先は、各人が自分のクラスに置き換えて考えればいいと思います。まあ、典型的な解答は、前者に対しては、「ふ~ん、で、みんなは出来たのかな~。先生はみんなが出来ることが大事だって言ったよね。みんなが出来るようになるよう、よろしくね。」とクラスに聞こえるような声で言って、ニコニコしてするというのが一つです。あくまでも一例です。後者に対しては、「そうか、良かったね。どうやって分かるようになったの。そ~か~、●●ちゃん、●●ちゃんと相談して分かったんだね。いいな~。このクラスは、みんなで分かろうとするクラスなんだね。先生はとても嬉しいよ」と言うのが一つの例です。しつこいですが、考え方が大事で、その具体例は影にすぎません。
なお、上記は学び合いの初級編、または、入門編にすぎません。中級段階に進めば、子どもは上記のような言いに来ません。彼らが本当に喜ぶのは、教師の与えた「みんなが出来る」ということをみんなで達成したときですから。だから、上記のような事例がある限りは、「私もまだまだだな~・・」と気を引き締めなければならないということです。
追伸です。
言うまでもないことですが、「先生、これであっている?」と聞きに来たら、初期段階さえ成立していないことを意味しています。