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2008-01-22

[]簡単 22:16 簡単 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 簡単 - 西川純のメモ 簡単 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 色々な人から『学び合い』に関して聞かれます。とても簡単なので、直ぐに応えます。そして、とても簡単なので、すぐに説明できます。逆に、何故、今までそうやったかを説明してもらうと、説明できないのが普通です。『学び合い』は本当に簡単です。分からないのが分からないのです。

 ある課題に熟達した人が、初心者の気持ちが分からない、というのはよくしっている現象です。しかし、私が分からないというのとはちょいと違います。というのは、上記の場合は、熟達者が初心者に説明しようとしても、説明できないのが普通なのです。ところが、私が説明すると、それを理解してもらえます。問題は、そうであるにも関わらず、それを実行してもらえないことが分からないのです。例えばです。

 世の学び合い学習では、「はい、まず自分で考えてみてね」と言って考えさせます。そして、5~10分後に、「はい、では、みんなで相談してね。」と言います。私にとっては、とてつもなくばかげているとしか思えないのです。

 そうやっている人に、聞きます。「何故、そういう風に指示するの?」と。そうすると、「そうしないと、何も考えずに、人に聞いてしまう」と応えます。そうした人に私は問います?「じゃあ、あなたに偏微分方程式を与えて、さあ、自分で考えてね」と私が言ったら、その5~10分間考えさせたら何をする?と聞きます。そうすると「何もしない」と回答します。「で、その時間に意味がある?」と聞きます。そうすると「意味がない」と回答します。そこで「分からない子どもにとっても同じですよね。」と語ります。

 また、続けて聞きます。「その問題を1分で解答できる子どもは、あとの4分~9分何していればいい?」と聞きます。そうすると「待っている」と応えます。そこで、「その時間に意味がある?」と聞くと、「意味がない」と応えます。(なお、「その子に対応した課題を与える」と応える人には、「そんなこと毎日やれる?」と聞くと、首を振ります)

 また、続けて聞きます。「その問題を人から聞けば、分かる子どもがいたとして、その子が聞くことは何かは一通り?」と聞きます。すると、多様であることを認めます。続けて聞きます。「では、自分がどこが分からないか、また、どこが分からないかが分からないことに気づくのは、何分ぐらい?」と聞きます。そうすると多様であることを認めます。続けて聞きます。「では、自分が疑問にも思っていないことを、説明されて身になる?」と聞きます。と首を振ります。そこで、「結局、自分が分からないことを、分からないな~、と思った時に聞かなければ意味がないよね。じゃあ、なんで、5~10分間、一律に考えさせ、そして、一斉に相談させるのは何故?」と聞くと、何も答えられません。そして、「人の答えを、まるっぽ写しするつもりだったら5~10分の時間を与えても、その時間は何も考えず、5~10分後にまるっぽ写しするだけだよね。だから、一人で考える時間を形式的に与えても意味無いよね。大事なのは、人の答えをまるっぽ写ししようとする考え方を捨てさせることだよね。じゃあ、なんでそんな考えをすると思う?そりゃ、人の答えをまるっぽ写しすると、その子にとってメリットがあるからだよ。具体的には、まるっぽ写しすると点数がもらえるような評価をしているからだよ。」と言います。

 さて、上記の私の説明のどこに無理や難しさがあるのでしょうか?教えて下しさい。それを説明した後にも、「一人の時間」を確保する人がいる。私には分かりません。本当に分かりません。教えて下さい。

 なお、上記は序の口です。私にとっては、現在の教育はとてつもなく、馬鹿馬鹿しく見えるのです。

追伸 学び合い、ではなく『学び合い』を実践している方ならば、おなじみですが、『学び合い』が成立しているならば、教師から強いられなくても、自分で考えられるところは自分でやります。だって、「みんな」自分が分かりたいと思っているのですから。これまた、馬鹿馬鹿しいほど当たり前のことです。