■ [大事なこと]判別法

私は出張が大嫌いです。毎日、毎日、家族と食事をして、息子を風呂に入れ、添い寝をしたい。でも、日本全国に講演に行きます。それは、一人でも分かってもらえれば、その人が教える数百の子どもに安心できる時間を与えられる、そして複数の教師に伝えてくれる、と願うからです。
最近、ある同志からメールをいただきました。私が講演に行った遠方の学校で公開があり、そこに参観したそうです。同志のメールには『パンフのなかに西川先生の名前をみつけ、どう生かされているのか楽しみに授業を参観したのですが、従来の型どおりの学び合いだったので、やっぱり教師の「常識」の壁は高いとと思いました。』とありました。虚脱します。おそらく、その学校の先生の何人かは分かっていただけたと信じたい。でも、少なくとも教師集団の常識はなかなか手強い・・・・。
いろいろの判別法がありますが、もっとも簡単な判別法があります。教師の「仕切る」時間が15分以上であったとしたら、それは『学び合い』と縁もゆかりもないものです。逆に言えば、学級崩壊のように子どもたちが自由にたち歩き、相談出来る時間が30分以下であれば、それは『学び合い』とは縁もゆかりもないものです。もちろん、教師の「仕切る」時間が15分以下であれば、即、『学び合い』とは言えません。そこから先は、子ども集団の形成・消失の姿、教師の言動、子どもたちの会話の質・・等で判断しなければなりません。しかし、教師の「仕切る」時間が15分以上もあるということは、教師は子どもを有能とは見ていない何よりの証拠であり、論外です。
追伸 ちなみに『学び合い』では、教師が仕切る時間が、3分、いや1分、いやいや0分ということは、ごくごく普通に行われています。だから15分も演説したり、板書しているとしたら、「長い」としか思えません。