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2008-01-29

[]志の重層関係 22:52 志の重層関係 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 志の重層関係 - 西川純のメモ 志の重層関係 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ちょっと難しい、哲学的な表現です。すんません。

 我々は、基本的にはエゴイストです。でも、家族という自分以外の人の幸せを本気で願うと自分が幸せになることを知っています。

 でも、それより抽象度が高くなると理解するのが難しくなります。我々は「成績が上がり、人間関係が改善し、特別支援が楽になる」と主張しています。多くの人にとっては、誇大広告に過ぎると思うでしょう。そう思うのは当然です。でも、私には驚きなのは、それが誇大広告ではないと分かっても、それにシフトしない人がいるからです。でも、しょうがありません。狭い、狭いエゴの立場に立てば、赤の他人の子どもの成績が上がること、人間関係が改善すること、障害が楽になることは、どうでも良いんです。ようは、自分のクラス、授業で文句を言われるずに終わり、あまり遅くならずに自宅に帰れれば良いんです。残念ながら、それが現実なのかもしれません。

 でも、本当のエゴを実現するためには、より高い望みを実現しなければなりません。家族と自分の関係と同様に、子どもたち一人一人、そして全員の幸せは、自分の幸せにつながります。そして、自分のクラスが幸せになり、自分が幸せになった後は、その後があるのです。それは、自分の学校、自分の地域が幸せになることが、自分の幸せになるのです。自分が正しいと思っていること、自分が幸せに思っていること、それを広げる努力をしないのは、狭いエゴなんです。でも、愚かな私には、その力はありません。私が伝えられるのは、数少ない同志ぐらいです。とほほ

 同志に求めます。自分の知っていることを、自分が知っていることでよしとしていないでしょうか?そして、この1年、それを広げ、同志を求める努力をしているでしょうか?もちろん、手強い相手を説得せよ、とは申しません。でも、説得できる人はいるはずです。では、何人、説得できたでしょうか?しょうがない、と諦めているのは狭いエゴです。伝えることによって高まる、これは子どもの『学び合い』だけではありません。そして、それによって、多くを得るということも子どもの『学び合い』だけではありません。

 ちなみに、下の「Q&A」の同志のメールの最後に以下がありました。その伝えた人によって、自分が高まっていることを、その同志は知っています。

『うれしいことがあります。本校の○年生の担任の先生は若い先生です。私が昨年持った子どもたちを今年度もってくださっています。私の学級を引き継いでもらったこともあり,よく子どもや授業の話もします。その先生も私の情報をもとに「学び合い」に取り組んでいるのですが,その学級の成績がどんどん上がっているみたいです。「え,あの算数の苦手な○○ちゃんが90点!?」「○○君が100点?」という感じ。さらに驚きなのは,算数の苦手な○○ちゃんにその先生が「すごいねえ~,がんばったねえ~」と言ったら○○ちゃんは「みんなが90点取らなきゃ意味ないじゃないですか,先生いつもいってるでしょ。」と答えたそうです。ヒエ~。そのことをまたうれしそうに話してくれるその先生にもまた脱帽です。その先生も一緒に高崎におじゃまするつもりです。よろしくお願いします。』

[]海外からの子ども 22:52 海外からの子ども - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 海外からの子ども - 西川純のメモ 海外からの子ども - 西川純のメモ のブックマークコメント

 もし、あなたが以下のような状況だったら、どうされます?

『私の学級には海外から来た子どもがいます。来た当初は日本語は全く分からずコミュニケーションがとれない状態でした。1学期は泣いたり大声を出したりすること,そうじロッカーやトイレに隠れることも多くありました。遠い外国から来て,言葉も分からない世界に突然やってきたのですから,当然精神的に不安定になるのは仕方がありません。幸い優しい子どもたちなので,彼とトラブルがあってもうまく子どもたちの中で相談して解決していました。1学期はまだ私も『学び合い』はとってはいなかったのですが,彼には彼のペースがあるし,まずもって学級の中にいて他の友達と交わることで日本人とのコミュニケーションの力もついていくと考えました。日本語を教える,よりもただ子どもの中にいたほうがいいと思っていました。(実際そうだと思います。)なので授業中は他の子どもが学習しているなかで,興味のあるものは自分も加わり,ないときは自分の参加したい時だけ参加する,という感じでした。でも不思議と教室から出て行ってしまうことはありませんでした。

2学期になり,日本語もずいぶん覚えてきて,私や友達の言うことの大意は理解できるとようになり,2学期後半には片言ながら自分の意志も日本語で伝えられるようになってきました。

またまた前置きが長いのですが,その子にも『学び合い』は成立するのでしょうか。私の結論では成立する,となりますが。それは分かっているのです。私が個別指導をしたところでどうにもならないのですから。ただ,日本語で十分コミュニケーションがとれない子ども(日本語で書かれた文字を読めず書けない)に対して,学級に「みんな」をどれほど要求してよいものやら…。』

 ちなみに、この方は私の「応え」を分かっています。ただ、それをハッキリと私に指摘されることを求めています。そこで、私は「学び合いの手引き書」の該当ページを指摘しました。結局、基本方針を示した後、どう語るかは、その方しか分からないことです。でも、その方なら、必ず語るべきことは分かります。いや、それが「すべって」も、分かる子がいます。その分かる子が実現します。

[]校長来る 16:51 校長来る - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 校長来る - 西川純のメモ 校長来る - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、上越に『学び合い』のライブを見に校長が来ました。いつも通りの『学び合い』です。見終わった校長の感想は、実に典型的な反応です。それは、「子どもたちが自然ですね」という反応です。『学び合い』を本などで読むと、何か魔法の何かがあると感じます。そうでなければ、「2週間以内に、成績が上がり、人間関係が改善し、特別支援が楽になる」という、とてつもない効果はありえないと思うのが普通の考えです。しかし、ライブを見れば、それが、ごくごく自然であることが分かります。

 でも、同時に「これを、どのように職員に伝えたら・・」とおっしゃっていました。これまた典型的です。そこで、「私を呼ぶお金があったら、管下の職員をライブ参観させて下さい。百の言葉より、ライブが一番です。できれば二人以上で派遣するといいです。何故なら、帰りの車中で自分が見たものを語り合うことによって理解し合えます。そして、帰ってから他の職員に語るとき複数だと心強い。上越までおいでにならなくても、最寄りの実践者のところを紹介します」と申しました。

 教育センター、教育研修団体、県市町村教育委員会の主催するような多人数の研修の場合は、派遣して下さい、とも言えません。でも、学校単位の研修会だったら、私を呼ぶより、その予算で、こちらに来て頂いた方が、数段効果があると思います。

追伸 今回は、上記の提案をして校長がライブ参観です。でも、上記のような提案をして、「いや、時間がなくって」と断るようなところだったら、とてつもなく失礼ですよね。だって、私だって時間がありません。その私を呼んで、自分は忙しいというのは・・・。まあ、その失礼を乗り越えるだけの講演料を頂けるのであれば、いいですけど。あはははは。

 なお、ライブにまで来ていただいた、その校長の学校に3月におじゃまします。がんばるぞ~