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2008-01-30

[]教師の醍醐味 17:57 教師の醍醐味 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教師の醍醐味 - 西川純のメモ 教師の醍醐味 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 かつて教師の醍醐味に関して以下を書きました。

 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20070619

 最近、私の力不足を感じます。私には欠けたことがあり、正すべきだと感じました。でも、それは愚かな私には分かりません。ですのでゼミの皆さんにお願いしました。私は「私には駄目なところがある。それを率直に教えて欲しい。私はゼミをよくしたい」とお願いしました。本日、ゼミメンバーが集まって議論しました。

ゼミの一人が「結論が出たので、みんなのところに来て欲しい」と言われました。ゼミメンバーがそろったところに、私が座りました。私の心の中にある、浅ましいところ、下劣なところ、自己中心的なところ・・・等の、駄目なところの一覧表が走馬燈のように思いつきます。ゼミのみんなは、おそらく優しく指摘してくれるだろうけど、それらが次々に指摘されることを覚悟しました。それでも何とかすべきだと心に定めてゼミの皆さんに考えてもらいました。ところが、ゼミの皆さんの出した結論は、私が一度も思い浮かばないことでした。それは、「今のままでいい。もし、先生が変われば、ゼミがおかしくなる。方針を与えてくれれば、我々はやる」とのことでした。正直、「え!???????」と思いました。そして、具体的にゼミ運営で自分たちで出来ることを語ってくれました。それから色々の話をして、研究室に戻りました。

 部屋に戻り、席に着き、私は泣きました。ボロボロ、泣きました。感謝しました。心強く思いました。本当だったら、面と向かって感謝すべきなのですが、恥ずかしくって言えませんでした。そこで全国に向かって書きます。この喜びに比べれば、一斉指導で得られる喜びなんて、クソみたいなものです。

 役回りでゼミの皆さんの管理者となっています。私は愚かで、弱い存在です。しかし、その私を管理者として認めてくれる。そして、それを支えてくれる。心から感謝します。彼らのためにも、二枚腰、三枚越しで頑張らねばと思います。

[]学んだこと 17:57 学んだこと - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学んだこと - 西川純のメモ 学んだこと - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は修士2年の4人の口述試験です。4人の発表をお二人の先生にも聞いて頂きました。お一方は、超優秀な国語教育の先生です。『学び合い』とは違った立場の先生ですので、厳しいご意見を頂きました。でも、その先生と色々話して、多くを学びました。異質な人との交流は、常に多くのものを得られます。代表的な二つを紹介します。

 一つは、Fさんの小学校1年生での『学び合い』に関してです。Fさんの実践記録の中の最初の語りを指摘し、「私が子どもだったら、このように言われたら、この先生には逆らえないと思う。そのような強制的な環境の中で『学び合い』は成立しているんだ」とおっしゃっていました。それを聞いて、私は大笑いしました。まさに、そうです。『学び合い』の最初の語りで伝えられるのは、学校観・学習者観・授業観ばかりではなく、いや、それ以上に教師が本気で自分たちに向かってきている、ということだと思います。教師が『学び合い』を子どもに語るとき、それは「やりませんか?嫌だったら、やめるけど」では無いはずです。不退転の気持ちで、語るべきです。その意味でも、最初の語りは大事だと思いました。

 第二は、Oさんの研究に対してです。そこではKineさんの実践が分析されています。従って、子どもたちに指導要領を明示し、教師用指導書、はては業者テストを子どもたちに公開しています。それに対しては、厳しく指弾されました。審査会の後、その先生と腹を割って話しました。その先生は、指導要領や教師用指導書は低いレベルであると指摘されました。私としては、それらが低いレベルであっても、クラス全員が分かる過程で高いものに高めてくれることを説明しました。しかし、その先生は、国語特有の高い問いかけがあることを指摘しました。そして、その問いかけの重要性を語ってくれました。至極、納得できるものです。しかし、「では、どうやったら、それを学べるの?」と聞くと、「教師用雑誌や学会誌レベルで勉強し続ける必要がある」との返答です。そこで、「でも、日本中の教師の中で、そんなことしている教師って何%ぐらいだと思う?」と聞くと、「1割ぐらい」との返答です。そこで、「1割は多すぎだと思うけど、仮にそうだとしても9割の人はそんなこと出来ないよね」と言いました。そこで、その先生が語ったのは「教師の学び合い」が必要であることをおっしゃいました。この瞬間に、全てのことが「すとん」と腑に落ちました。『学び合い』と一致していないようで、結局、最終的には『学び合い』に一致しました。

 現状で国語の課題設定を悩んでいる先生は多いと思います。特に『学び合い』をすれば、この授業の目的は何か、という至極当然の問いかけをしはじめます。そなると、国語の専科の先生であっても、悩み始めます。今までの国語では、やるべき作業は明確なのですが、授業の目標を考えていないように思います。そういう場合は、やはり指導要領・業者テスト・ドリルが手がかりになります。そして、そのレベルであっても、『学び合い』では子どもたちは深い課題に変えてくれます。それは、絶対に正しいと思います。でも、その先があることを否定しません。でも、全ての教師がそれを分かるためには、教師の『学び合い』が必要なのだと思います。さらに言えば、名人級の問いかけで高まる部分はありますが、本当は日常の読書習慣・書く習慣を通してこそ、本当の力がつくと思います。そのためには、それを必然とする課題と集団が必要です。つまり、『学び合い』が必要だと思います。

[]海外からの子ども 解答編 08:48 海外からの子ども 解答編 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 海外からの子ども 解答編 - 西川純のメモ 海外からの子ども 解答編 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 この問題の課題は「海外の子ども」でした。しかし、その部分を「特別支援の必要な子」、「家庭に問題のある子」、「学習意欲の全くない子」、「暴力的な子」・・・のいずれに変換しても、答えは全く同じです。

 解答方法は以下の通りです。

 もし、教師が「その子」一人が担当すればいいならば、もしかしたら「その子」用の最適解があるかもしれません(まあ可能性は低いですが・・・)。しかし、教師は授業で数十人の子どもを担当しています。したがって、「その子」を含んだ数十人全員の最適解を求めなければなりません。これは無理です。無理を承知で精神論で「その子」と何とかしようとすれば、それは「その子」以外の数十人を相対的見捨てることとなります。そして、おそらく改善されないでしょうから、教師が精神的にイライラします。イライラした教師が良い授業、良いクラス経営が出来るわけありません。したがって一人で抱え込むのではなく、数十人の子どもと一緒にやらなければなりません。これは「子どもが有能である」という以前に、自分が解決できるという幻想を捨てるということです。

 次に、みんなでやるとき、「その子」を意識した目標設定をすべきか否かです。もし、「その子」を意識した目標設定を教師が行えば、それは教師が「その子」を一人で背負っているというメッセージを集団に与えます。これでは「みんな」ではありません。教師は「その子」を忘れるべきです。もし、「その子」を意識した目標設定をするとしたら、それは教師ではなく、子どもたちみんながすべきです。

 「その子」の問題解決が、「その子」のためと考えるのはやめましょう。「その子」の解決がクラスのためと考えましょう。