■ [愚痴]良い先生
『学び合い』における教師の姿は、今までの良い先生の姿とは対極です。教材研究はしなくてもいいよ。一人一人の子どもの学習面、生活面の問題を知らなくて良いよ。そして、一人一人の学習面、生活面の問題を解決しなくて良いよ。そして、子どものことを考えるのは、勤務時間内で良いよ。と主張します。となると、なんか、いい加減な先生のように感じですよね。
でも、教材研究をいっぱいする。一人一人の子どもの学習面、生活面の問題を知り、解決する。一日中、子どものために尽くす。というのが本当に良い先生なのでしょうか?私は違うと思います。そんなことをしたら体をこわします。家庭を壊します。そして、教師を辞めます。それが理想の教師の姿ではないはずです。教師以外の人が、最終的には教師を辞めた熱血教師をカリスマとして称えるのは理解できますが、教師までそうなるのは理解できません。冷静になって欲しい。その人が教師時代にやっていたことを肯定していたとしたら、その人の言っていることの先には、教師を辞める道が待っています。
私は高校教師を辞めました。おそらく、あの状態を続けたら、体をこわしたはずです。毎日、毎日、1升の酒を飲み続けバカ野郎、バカ野郎と叫んでいました。そして、それでも子どもたちの問題を解決できなかった。だから、今は、その当時の私と逆なことを主張しています。
『学び合い』に関して、色々な質問を受けます。でも、私は問いたい。それじゃあ、今までの教育で、それを達成したのでしょうか?一斉指導で、どれだけ子どもの学習面、生活面を解決したのでしょうか?どれだけ教材研究をしたのでしょうか?子どものことを一日中考えていましたか?そんなことしているわけはない。それは責められるべき事ではありません。だって、それだからこそ、体と家庭を保ち、楽しみ、教師を続けることが出来るのだと思います。しかし、教師は勤務時間内に関しては、最善を尽くして子どもの学習面、生活面の問題を解決すべきだと思います。子どもの学習面、生活面の問題を解決し、体と家庭を保ち、楽しみ、教師を一生続けるのが理想の教師です。そのためには、教師一人で背負ってはダメなんです。
私は、一人の子どもも見捨てたくない、と願っています。同時に、一人の教師も見捨てたくない。そして、それによって私も見捨てられたくない。でも、少なからざる教師が、「とりあえず、みんながやっている今のままのことをすれば、人から文句を言われない」という呪縛にとらえられている。どうしたらいいのだろう・・・・
ま、愚痴です。