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2008-02-06

[]宮城ライブ 22:44 宮城ライブ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 宮城ライブ - 西川純のメモ 宮城ライブ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『お願いです。是非、うん、と言ってください。 今月22日に登米市立豊里小中学校で講演します。 おもに異学年学習を中心に話そうと思います。 その際、『学び合い』のライブ参観を誘おうと思います。 是非、○○さんの授業を公開してください。もちろん、平常通りで良いんです。ライブによって得るのは、参観者より、参観される子どもの方です。見られると美しくなるのは、若い女性ばかりではありません。私としては、講演で「我々の授業はイベントではありません、平常の授業です。いつでも参観OKです。ただし、年度末ともなれば、イレギュラーな時間割になるのは当然ですので、それは含んでください。また、来年にということも可能です。一見、授業崩壊のように見える子どもたちの会話を聞いてください。そして、幸せそうな子どもたちと教師を見て下さい。お誘いします。」と大見得を切りたいと思います。 宮城にタネをまき、それを芽を出したいと願います。よろしくご承諾下さい。』

 と、ある同志にお願いしました。その結果、即、OKです。

 その同志のメールに「『学び合い』と出会ってから授業公開なんてぜんぜん平気になっちゃいましたね。これはたいへんな財産です。逆にいえば今まで何と「自分のため」に授業をしていたかと思うと恐ろしい…。」とありました。そりゃそうです。だって、普通通りにやっていれば、子どもが凄いことを普通にやってくれるのですから。あははは

[]志 22:00 志 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 志 - 西川純のメモ 志 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、ある学生さんよりメールを頂きました。まず、紹介します。

 『同志社の○○です。先日は、二日間に渡って本当にお世話になりました!西川先生と飲むお酒は大変おいしくて、たくさん飲んでしまいました、笑。しかしながら、やっと、『学び合い』が完全に腑に落ちて、考え方に落ち着きました。(中略)

あと、少し嬉しいことがあったのでご報告します。私は個別指導塾で講師をしていますが、授業前に、この間明日の教室で購入した『学びあう国語』を読んでました。生徒が来ましたので、本をそばに置き、授業を始めました。「じゃあ、このプリント、やってね。プリント終わったら…」。そこで、置いておいた本が目に入ったので、特に何も考えず、「…その本、読んでていいよ」と伝えて、もう一人の子を教えるために隣のブースに移りました。それで、しばらく経って戻ってみると、その子が本を読んでいます。まさか読んでるとは思わなかったのですが、授業を進めようと思い、「あ、プリント終わった?じゃあ、答え合わせしようか…」と言ったところ、「私、こっちのほうがいい!」と、本を指差します。「この本読むほうがいい!」。おや?と思いました。その子は普段、勉強はとてもできますが、いわゆる無気力と言いますか、授業に対しての積極性があまりない子だったので、すごく珍しかったのです。「あ、じゃあ、『学び合い』についてちょっと話しよっか」と言って、『学び合い』について説明しました。

 そうして思ったことは、実は児童・生徒の方が『学び合い』を理解するのが早いのではないかということです。今リアルに、一斉授業を受けているからこそ、『学び合い』のよさがわかるのではないか。ガチガチに教えたい欲求に固められている、教員志望の学生だからこそ、『学び合い』を受け入れることが苦痛なのではないか。

 事実、次の授業で高1の男子生徒に『学び合い』を同じように伝えたところ、「そんな授業ができるなら、先生に広げて、自分が通っている高校を変えたい!!」と彼は言い、しかしながら、「君一人がいくら騒いでも、ただ生意気な生徒としか思われないかもよ」と、伝えると、「じゃあ、保護者から変える!保護者を変えるために、母親からわかってもらう!!」と意気込んでいました。さらに、手引書を読むと言っていました。僕はすごく嬉しかったです。もしかしたら、『学び合い』を広げて行くためには、教師を変えて行くのももちろんですが、「生徒」たち、そして「保護者」を変えて行くことの重要性もあるのだなと感じました。

 もう一ついい出会いがありました。そうやって、塾で『学び合い』について色々話しているのを聞いた、塾のある女の先生(京都大学4回生)が、「私、そのような形式の授業、小学校の時受けてました!」と言ってくれたので、非常にびっくりしました。なんと、学校全体でやっていたとのことです。そして、逆に、その『学び合い』形式の授業のよさを語ってくれました。その小学校での授業が、現在の自分の学びのスタイルを形づくったと断言していました。そして聞くところによると、今でも小学校の頃の友だちが一番仲がよく、頻繁に小学校の時のクラス会が行われるそうです。学力ばかりで判断するわけには行きませんが、その先生が強くおっしゃるには、全校生徒60人中、京都大学に5人進学しているそうです。そしてそれは、小学校での『学び合い』が土台としてあるそうです。確かに、それだけでもすごい割合だなと思います。まだまだ、話が聞けそうなのですごく楽しみです。』

 読みながら、子どもの反応にニコニコしました。でも、これは予想の範囲内です。また、『学び合い』と同じ方向性の授業をやっている学校が、今から十年以上前からあったといことも、予想の範囲内です。だって、正しいことは、先人が気づくことですから。しかし、私がこのメールを読んで一番考えてしまったのは別なことです。

 この学生さんと会った日数は6日ぐらいです。そして、ちゃんと話したのは2回ぐらいです。そして、その学生さんと私が話した時間を抽出してみて、その積算をしたら、おそらく2、3時間を超えないと思います。では、その時間で私が彼に語ったことは何かを思い起こせば、具体的な方法のレベルのことではないように思います。そのレベルのことは、彼は「『学び合い』の手引き書」で自習していました。私の話の中で、おそらく、最も反応してくれたのは、私の志や願いの部分です。

 思い起こせば、私と話すために、彼と一緒に関西から上越に来た二人の学生さんもそうでした。そして、この前、京都で一緒に飲んだ、もう一人の同志社の学生さんもそうでした。若い人の心の中には志があり、そこに伝えられれば、短い時間でも『学び合い』は伝えられるのだと感じました。考えてみれば当然です。だって、『学び合い』は、とてつもなく当たり前な学校観と学習者観につきるのですから。それさえ不動となれば、後の方法は必然ですから。

 涙もろい私なので、本来だったら感激で涙がボロボロ流れるところです。ところが、涙が出ません。感激しているのですが、涙が出ません。何故かな~っと、不思議になり、自己分析しました。十数分、自分の心を探ってみました。その結果、今の私の心は戦闘モードになっているようです。「やらねば!」という気持ちがワクワクしています。日本には志の高い、若い人がいる!と感じています。でも、このドキドキしてワクワクする気持ちって、なんかいいな~

[]講演 14:09 講演 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 講演 - 西川純のメモ 講演 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 2月22日には宮城県の登米市の豊里小中学校で講演をします。直ちに、群馬に移動し、23日は群馬の『学び合い』の会の発会です。よろしければどうぞ。世界に一匹しかいない(トキより珍しい?)西川純というホモサピエンスの亜種に合えます。

[]海外からの子ども(続報) 08:27 海外からの子ども(続報) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 海外からの子ども(続報) - 西川純のメモ 海外からの子ども(続報) - 西川純のメモ のブックマークコメント

 「海外からの子ども」というタイトルでQ&Aを出しました。

http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20080129

http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20080130

 その続報です。その方から、以下のメールを頂きました。

『先日はアドバイスありがとうございました。

振り返ってみると,子どもたちには「みんな」を要求し続けてはきたのですが,私の心の中では「(○○君以外の)みんな」となっていたのだと思います。それを言葉に出して子どもたちにいった覚えはない(たぶん…)のですが,そういう雰囲気は子どもたちには伝わっていたのかもしれません。だから,途中までは関わろうとする姿はみられたものの,困るとあきらめていた姿が(そういえば)思いだされます。

その後,○○君個人を,いい意味で意識しないように心がけてみました。そして。「みんな」を要求するときも「当然○○君もね」というニュアンスを含めるようにしてみました。あえて名前は言わずに。そうやってよく見ていると,何人も○○君と何らかの関わりをもちながら学習しようとする姿がみられました。もちろん学習の道筋からはずれたものもあるのですが,それでも多くの子が○○君と関わりをもっているのだなあと思いました。あるいみ,他の子どもと同じ学習の課題を達成できないとしても,そんな関わりこそ彼にとっての貴重な学習じゃないかと考えることもできますよね。

先日は社会科の業者テストを実施しました。すると,なんと○○君の両隣の子どもが「○○君といっしょにやってもいい?」と尋ねるので私は「もちろん!」と答えました。その結果,○○君は100点です。初めてです。今までは,テストは「ワカラナ~イ」と言って私が説明しても「ワカラナ~イ」だったのに。(教えていた子は95点。なぜか…)○○君がテストで尋ねられていたことが100%分かってはいなく,教えられたままに答えて○になったところも当然あるでしょうが,それが今の彼にとってはたいした問題ではありませんよね。今の彼にとっては,友達と学習できる喜びと,自分でもやれる感覚が大事なのでしょう。○○君が100点をとって,拍手をして喜びこそすれ「ずるい」とか声に出して言わなかった子どもたちもまたえらいなあと思います。

今日,何人かの時間のある先生に声をかけ,算数の『学び合い』の授業を見てもらいました。本公開のまえに少しずつ慣れてもらおうと思って。本校でも微力ながら布教活動?をしています。少しずつ浸透してきた感じがします。学級通信でも頻繁に写真を入れながら保護者にその様子を知らせています。これは結構前から。子どもと保護者が味方をしてくれることが一番重要ですからね。戦略としては。

私は,今までずっと○○のサークルに所属し,一人一人の内面に寄り添った実践を心がけてきました。それは,これからも大事にしていきたいと思います。先日のブログを拝見すると一見『学び合い』の考えと相反する印象をもつ人もいるかもしれませんが,私は帰って共通点を感じます。一人一人の生活から生まれる思いや考えを大切にする,という根本が同じだと私は感じたからです。一人一人を大事にしたい,という基本的な考えが同じです。今回『学び合い』の出あえて,今までの見方とはまた別な視点が持てたことは私にとってたいへんな財産になりました。目指すところは○○サークルも『学び合い』も共通ですよね。当たり前ですよね。「人格の完成」ですから。手段はその時々に使い分ければいいことですよね。』

私の返信は以下の通りです。

『有り難うございます。同志。私は今、ボロボロ泣いています。感謝しています。よかった、よかった。

もうお分かりなので、蛇足ですが、どんどん○○君を忘れて下さい。意識すると、みんなに関わりを強いることになります。そうなると、1ヶ月ぐらいから歪みが表面化し始めるはずです。原因は一人一人、その時その時の間合いを子どもたちが選択できないからです。我々はクラスの担任です。クラスをよくすることによって、全てを解決しようとします。

それと、『学び合い』で大事にしているのは、「我々は人格の完成を目指して教育しているということを、全ての時間(もちろん教科学習の時間も)一貫している」ということです。もし、それに反しないなら、どんな方法をとるか、どんなサークルに所属するかはどうでもいいことです。『学び合い』は考え方です。方法やサークルの次元を超えたところにあります。考え方に反しないと判断したならば、その判断は正しいですよ。ただし、人間は旧来の習慣に囚われがちです。方法と利用していたものが、いつのまにか目的になってしまうことがありがちです。そこは注意すべきです。判断する指標は、子どもの姿です。子どもを見ていれば、自分の心が写ります。』