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2008-03-02

[]学生さん 22:41 学生さん - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学生さん - 西川純のメモ 学生さん - 西川純のメモ のブックマークコメント

 6日は大阪で博士課程の仕事です。最近、京都の学生さんから「いっしょに、飲みたい」との言葉を頂きました。そこで、5日の前泊は大阪泊ではなく、京都泊としました。若い人のエネルギーを頂きます。と、ゼミではなかなか味わえない「教える」楽しみを満喫します。あはははは

[]口コミのすすめ 11:20 口コミのすすめ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 口コミのすすめ - 西川純のメモ 口コミのすすめ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、ライブを参観した九州の学生さんからメールを頂きました。その学生さん以外にも多くの学生さんがライブを参観しました。このメモは『学び合い』ライブを見た学生さんも見ていると思います。その方々へのお願いです。

 是非、自分で見たことを、自分の言葉で周りの人に伝えてください。皆さんの語りは強い力を持ちます。私は日本各地で講演をしています。そして、本を書き、ブログを書いています。しかし、読者・聴衆の方々は、「大学の先生が脳天気なことを言っている~」と思って私の語る言葉を割り引いて理解します。そして、数日後には忘れてしまうかもしれません。しかし、皆さんは私の言っていること、書いていることが本当であり、いや、事実はそれ以上であることを知っています。もし、皆さんが自分の言葉で語っていただければ、私の言葉では伝えられない人に伝えられます。是非、お願いします。でも、おそらく疑うでしょう。しかし、我々は皆さんをサポートします。つまり、疑う人にライブをお見せします。皆さんが伝えきれなかったことを、子どもと教師が伝えてくれます。その強力さはみなさんはおわかりのはずです。まだ、我々の力は十分ではありません。しかし、現状でも一泊する覚悟があれば、日本中の人にライブを見せられるレベルにまで成長しています。そして、すくなから無い地域は日帰りでも可能です。ご安心してください。そして、みなさんが教師となりライブを公開していただければ、もっとも広がります。

 私は西川ゼミの学生・院生さん、また、同志の方々の耳元で語ります。

 「○○さん、助けて~、助けて~、という声が聞こえない?今の教育でどんなに子どもが苦しんでいるのは知っているよね。だって、我々だって苦しんだでしょ。我々は学校教育にフィットしているから大学まで行けた。でも、日本には現状の学校教育にフィットしない子どもは多い。その子も『学び合い』では救われる。もし、あなたが結果を出せば、一人でも多くの教師の心に届くかもしれない。そして、もしかしたら自殺する子どもが自殺しなくなるかもしれない。日本中に、助けて~、助けて~、と声があふれ低るんと思いません?

 いいんだよ~。遊んでも良いんだよ~。手を抜いても良いんだよ~。でも、子どもたち、そして教師の叫び声を耳を澄まして」と語ります。その顔は満面の笑顔で、そして、声は冗談っぽく、でも、目は真っすくと、その人の目を見つめて。

 皆さんにも語ります。皆さんには力がある。皆さんにも今、出来ることがある。皆さんが見た教育を受けられない子どもが日本中にはあふれています。そして、皆さんが見た子どもたちも、来年はそれを受けられない可能性が高いのです。助けを求める子どもの声に耳を澄ませてください。

追伸 上記は全国の同志に向かっての願いでもあります。自分のクラスがいいから、いいやでは自分が腐ります。

[]私の妄想が私には妄想に思えない理由 11:20 私の妄想が私には妄想に思えない理由 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 私の妄想が私には妄想に思えない理由 - 西川純のメモ 私の妄想が私には妄想に思えない理由 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日のメモの続編です。私が『学び合い』を進める理由は、日本を変えることです(世界とはまだ言えない・・)。そして、私は小中高12年間の学習を6年間に圧縮し、中高ではレベルの高い大学教育を国民全員が学ぶことを考えています。この妄想が、私には妄想に思えない理由を書きます。まあ、多くの人にとっては読み終わっても妄想でしょうが。

 まず、前者です。『学び合い』を実践している方だったら実感していることでしょうが、『学び合い』をやれば従来の三分の二の時間で課題を達成できます。おそらく二分の一にまで短縮することは比較的難しくないと思います。今、その段階に至っていないとしたら、それは子どもの能力を見くびっているからです。そして、毎日ごとに課題を与えているからです。一ヶ月ぐらいをまとめて課題を与えてみれば上記は実感できるはずです。想像してください。校長から仕事を与えられて、毎日、校長室で報告を求められたらどうなります。おそらく、依存的になるだろうし、校長へのプレゼン作成にエネルギーを費やし、本来の課題解決へのエネルギーがそがれます。そんなことより、「君に任せた。期待しているよ」と任されたら、自分の考えをフル回転しますよね。もちろん、その時は、相談できる職員集団がいるはずです(『学び合い』が分かっている校長ならね)。

 また学習内容も削減します。現在の学校教育では、成人になってから使うこともないこと、そして成人になってから意味があると実証されたことのないこと、つまり学校教育でしか意味のないものが山ほどあります。それを組織的に調査して削減するのです。例えば、私は古典は現代語訳で学んだ方が良いと思います。(その代わり、古典をもっと読むべきだと思います。個人的には徒然草や方丈記は全編読んだ方がいいと思っています。ありおりはべり、を覚える時間に、人間は昔も今も同じことを悩み、それ故に古典は大事だということを学ぶべきだと思っています)また、仮定法過去完了を学ぶ必要性はないと思います。(私は大学、大学院時代、そして学者人生のおいて仮定法過去完了の文章に出くわしたことは一度もありません)。跳び箱より、歩くことを学んだ方が良いと思います。ただし、以上は直感に過ぎません。それを学術で精査するのです。

 以上のように内容の精選と『学び合い』を併用すれば12年間の学習内容を6年間に短縮することは不可能ではありません。

 次に、『学び合い』で理科をやった教師であれば、発想の豊かさ、自由さが半端ではないことはご存じですよね。小学校高学年であっても、大学の卒業研究レベルは出来るのではと感じている同志はいるのではないでしょうか?少なくとも、それが出来る子どもは少なくありません。その子どもと関わることによって、周りの子どもがそのレベルに達せいると思います。ましてや中学生が出来ないわけはない。それは他の教科でも同じだと思います。

さらに、高校では選択制を高めます。数学や理論物理の大発見は二十代で成されることが多く、三十代では難しく、四十代では殆ど不可能であることはよく知られています。数学のフィールズ賞は40歳以上は受賞できない規定があることが象徴的です。そうであるならば、15,6才でノーベル賞・フィールズ賞をねらっても罰は当たりません。そこまで行かなくても、現状の高校物理・数学は理系の人間にとっても馬鹿馬鹿しい。ありゃクイズに過ぎません。大学で解析学・線形代数学を学べば、高校数学の内容は馬鹿馬鹿しい。本当の数学の美しさを醜悪にしています。高校物理の大半を占める力学などは、解析的に扱えばシンプルで美しく、かつ、コンパクトに学べます。もちろん、あれが全ての人がフィットするとは思えません。しかし、フィットしている人間にも、現状の物理や数学を学ばせるのは罪だと思います。これは文学でも同じだと思います。

では、どうやって教育内容の精選、順序性をどうやって研究するでしょう。おそらく、多くの研究者は旧来のパラダイムで研究するでしょう。でも、少なくとも私はそうしません。『学び合い』研究と同じです。教師が出来るのは目標の設定と評価、そして環境の整備なのです。どうやるかは当事者しか分かりません。最初は高校3年でとてつもない課題を与えるのです(例えばノーベル賞をとれ、とか)。また、中学校3年生で大学の卒研レベルの課題を与えるのです。その中で、必要な学習内容は何かを子どもから学ぶのです。それは臨床的に分析します。今の私には想像できませんが、子どもたちが教えてくれるでしょう。私はそれを疑うことが出来ません。さらに言えば、高校入試、大学入試は、現状の大学院修士課程・博士課程レベルの問題を出すんです。あ、ごめんなさい、おそらく彼らにはそれは失礼ですね。もっと高いレベルを与えなければ。現状の「業者テスト的テスト」はせいぜい中学受験で終わりです。

さて、このような社会はどんな社会でしょうか?学校教育を通して、常に他者と関わりあい課題解決することによって、「みんなとは折り合いが出来る」、「みんなは自分と折り合ってくれる」ということを無条件に信じられる。人は多様であることを理解し、単純に序列化しない。それが日本人の殆どなんです。究極の民主主義が成立します。そして、日本の中にはノーベル賞・フィールズ賞・芥川賞・直木賞・・・・をねらっている人がゴロゴロしているんです。その他の人も、それぞれの職場で、家庭で、他の人と関わりながら創造的な活動している人ばかりなのです。どんなに豊かな社会が生まれるでしょうか?

マルクスが夢見た共産社会より、ずっと、ずっとユートピアです。まさに地上の楽園です。考えると、クラクラしてしまいます。私は、そのことがリアルに思い浮かべられるのです。それが、自分でも恐ろしい・・・