■ [大事なこと]成長をずっと続ける方法

以前にメモりましたが、同じことをやり続ければ、子ども集団が腐り、そして自分も腐ってしまいます。例えば、最初の語りをちゃんと語れれば、『学び合い』をやり始めれば2週間以内に初期段階に達します。それだけでも、今までの教師が悩んでいたことの多くは解決できます。しかし、同じことをやり続ければ、やがて子ども集団は腐ります。なぜなら教師が「みんな」を求めることが弱いならば、そこから集団は崩壊します。ちゃんと「集団」に「みんな」を求め続ければ、6週間程度で充実段階に達するでしょう。でも、同じことをやり続ければ、やがて子ども集団が腐ります。なぜなら、子どもが他の子どもの関わることの有効性を知れば、今まで困難であった課題さえも彼らにとっては簡単な課題になってしまいます。例えば、「クラス全員が90点以上」という普通だったら想像できないレベルの課題であっても、子どもは、ある程度手を抜いても大丈夫だと判断してしまいます。そうなると子どもは腐ります。そして、その子どもの腐る姿を見ながら、教師自身が腐ってしまうんです。他ならない私も、何度も、何度も陥った罠です。結局、最大の原因は教師自身の怠惰に基づくものです。だって、あることをやり続ければ、今までには想像できなかった成果を得てしまえば、そのことをやりさえすればいいと思うのはしょうがないのかもしれません。結果として考え方ではなくテクニックとしての“学び合い”に陥ってしまうのです。『学び合い』の基本の一つである、子ども集団の有能性を忘れてしまっているのです。
それではどうするか、より困難な課題を子どもたちに、そして自分に課すしかないのです。ただし、ごく一般の教師が思いつくような「教材研究の罠」に陥りそうな高度な課題にいってはいけません。むしろ「みんな」のレベルを高めていくのです。「クラスみんな」「学年みんな」、「学校みんな」、「地域みんな」・・・・と高めていくことが望ましいと思います。それは教師も同じです。優れた教師であれば、クラスにクローズした『学び合い』の「旬」をのばすことは出来るでしょう。しかし、絶対に限界があります。その限界を超えるためには上記しかないと私は思っています。それ故、私はいろいろと愚痴を言い続けますが、上記を自身に課し、ゼミ生に課します。自分のため、そして我がゼミのために。私の課題は、このことの意味を同志に理解していただくことだと思っています。
■ [親ばか]本日(その1)

息子は電車が大好きです。現在工事中の北陸新幹線の電車の名前が何になるかで「上杉謙信号」はどうかと言いました。私が、それでは石川の人が「「前田利家号」の方がいいと言うだろう、だからダメだよ」と言いました。そこで家内が、「今までの名前は人の名前がないよ」と言いました。息子はしばらく考えて「輪島塗号」と言い出しました。発想の豊かさに大笑いしました。息子によれば、輪島塗号には金箔が押してあり、車内では高級加賀料理が食べられるそうです。まあ、新潟・富山・長野の人たちの同意は得られないでしょうが。
■ [親ばか]本日(その2)

昨日は地元の公立高校の入試がありました。そのため、本日の地方紙はその問題が載っていました。高校入試とは何かを聞く息子に、「こんな問題を解くのだぞ」とその紙面を与えました。それを一人で読んでいるうちに、社会科の問題は分かりそうだと言い出しました。そして、2問だけですが、小学校1年生の息子は正解しました。親ばかの私は、それだけで目を細めてしまいます。あはははは