お問い合わせ  お問い合わせがありましたら、内容を明記し電子メールにてお問い合わせ下さい。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。             

2008-03-11

[]学校を変える 21:15 学校を変える - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学校を変える - 西川純のメモ 学校を変える - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、Y小学校のO校長先生が上越に来られ、飲みました。お忙しい中、私と飲むことのため「だけ」に数百キロはなれた上越に来られます。O先生とのお付き合いは3年半です。夏の講演に呼ばれたのが最初です。そこから学校として『学び合い』に取り組むことを推進されてこられました。その先生が、今年でご退職です。最後の「ご挨拶」に上越に行きたいと連絡がありました。私としては「ご挨拶」するとしたら私の方ですし、退職の最後の月は殺人的に忙しい状態ですので、固持しました。が、どうしても引き下がって頂けません。根負けして、「ご挨拶」を有り難くお受けすることとしました。(かあちゃんからは「挨拶する側が逆じゃない、と叱られました」)楽しく飲むことが出来ました。

 最近の我々は「学校を変える」ことがテーマになっています。学校を変えたいと考える方(校長、研究主任、教諭(新採数年の先生も含みます)・・)から相談を受け、我々がサポートします。学校変えるというテーマが、それ以前の我々のテーマとは大きな違いがあります。それは、今までは「変えたい」と思った先生に対してサポートしているのに対して、学校を変えるという場合は「変えたい」と思っていない先生「集団」にサポートしなければなりません。成功した事例も、失敗した事例もあります。さらに、今年の場合は、それ自体を研究テーマとする修士の院生さん、博士の院生さんがいます。それを通して、私なりの確信を持っています。それは学校を変えることと、クラスを変えることは同じだということです。

 必須条件の第一は、拡げようとする最初の方が『学び合い』を正しく理解しようとしていることです。必ずしも最初から正しく理解する必要はありません。自ら実践し、また、人の実践を見ながら理解を深めることはOKです。しかし、自らの身銭を切って本を買い、自らの時間を費やし学ぼうとすることは必要です。時には、出張してライブを見るということもあります。自分は赴任地に「どん」と座って、私に講演・指導してもらえばOKだと思っている場合は無理です。理由は、その様な方の場合は、以降でしめす必須条件を満たすことは絶対にあり得ないからです。

 必須条件の第二は、拡げようとする集団の一部(出来れば2割)を説得し、「まあ、その人の授業を見てみよう」、「ちょっと試しにやってみよう」とすることです。はるか彼方にいる私が出来るのは、「変わりたい」と思っている方をサポートすることです。それだったら、電子メールでも十分に大丈夫です。しかし、私には「変わりたい」と思っていない方をどうこうする力は全くありません。それが出来るのは、その場にいる人だけです。どの時期に、どうやって説得するかは私には分かりません。その方の判断が、最も正しいと思います。

 クラスに『学び合い』を拡げると全く同じです。普通、このようなことをする場合、「出来ない子(出来ない人)」を頭一杯に思い浮かべてしまいます。そして、「無理だ~」と思ってしまいがちです。また、「時間がかかる~」と思ってしまいがちです。たしかに「出来ない子(出来ない人)」を「その人」が説得するには時間がかかりますし、多くの場合は無理です。しかし、集団には「出来ない子(出来ない人)」と同じ人数だけ、変わろうとしている子ども(変わろうとしている人)はいます。その様な方に伝えればいいのです。出来ない子(出来ない人)に拘るのは時間の無駄です。

 そのような人に対しての伝え方は、自らの実践を見せることが第一でしょう。HPや本を紹介したり、色々と議論したりすることは有効でしょう。我々もライブをお見せするなど、様々なサポートが出来ます。繰り返しますが、「変わろうとする人」に対するサポートは我々でもできます。

 以上の段階だけでも『学び合い』を実践する人を増やすことが出来ます。しかし、その方々が何を求めて『学び合い』で変わろうと考えているかで、その後の展開が違います。先ずは「自分を変えたい」、そして、「それによって自分の授業を変えたい」と願うのが最初でしょう。必須条件2で拡げる人も「自分を変えたい」と思っているはずです。それだけでも小さいグループぐらいにはなるでしょう。でも、それ以上には絶対に広がりません。何故なら、我々の本能にある「みんな」の範囲は狭いものだからです。子どもたちを自由にさせれば、教師が何をしなくても、子どもたちは関わり合います。しかし、その集団は小さく、固定的です。あれが人間の本性なんです。教師も同じです。小さい集団の場合は、そのパワーが弱く、脆弱であることは、子どもたちの集団を見れば一目飄然ですね。それに、ちょっとの異動で崩壊する危険性さえはらんでいます。

 以上の限界を超えるには、第三の必須条件をクリアーする必要があります。それは、教師の課題を「自分、自分たちの○○」ではなく、「みんな」とする必要があります。少なくとも、「学校を変えよう」とか「○○市の先生方に見てもらおう」という課題にしなければなりません。そのようにするためには、必須条件2で述べた集団が必要です。一人では無理です。これに関しては、高度に政治的な部分が含まれています。これまた、はるか彼方にいる私に出来ることは殆どありません。それが出来るのは、その場にいる人だけです。どの時期に、どうやって説得するかは私には分かりません。その方々の判断が、最も正しいと思います。そして、集団の課題となった後はサポート出来ることは少なくないと思っています。

 本日、O先生に「教員を変える最強の方法は何ですか?」と聞きました。その応えは「同僚の実践によって子どもが変わっていることを見せることだ」とのことでした。つまり、必須条件2~3のことです。意地悪く、私が「でも、それでも分からない人っているんじゃありません?」と聞きました。そしたら「そんなのは例外的な人で、まずいない」とのことでした。心強く思いました。

追伸

学校を変えるということに困難を感じる同志の方へ。それだったら市、県、国レベルで考えましょう。学校を変えるより、国を変える方が、簡単な場合もあります。まあ、こんな発想は『学び合い』ぐらいでしょうが。あはははは