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2008-05-12

[]課題 21:53 課題 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 課題 - 西川純のメモ 課題 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 我々の体は10代後半~20才ぐらいがピークで後は老化します。これは頭も同じです。これが数学や理論物理などは如実です。知識や経験の積み上げによって伸びる部分はありますが、老化の効果を入れると博士課程の前期ぐらいがピークで、助手、講師、准教授、教授になるに従って「バカ」になります。だから賢い准教授や教授は決して助手や大学院生を敵に回しません。だって、彼らの方が利口ですから、下手するといたぶられます。

 では、准教授や教授はいかにして自分より賢い助手や大学院生を指導しているのでしょうか?年齢でバカになっているので、問題をどう解くかに関しては助手や大学院生にはかないません。しかし、知識の積み上げ、経験の積み上げが決定的に効き、助手や大学院生に勝る部分があります。それは「良い問題は何か?」という部分です。自分では解くことは出来なくとも、その問題が解ければ数学全体・物理学全体に大きな意味を持つ問題は何かを判断する能力です。

 「数十人の子どもが課題を達成する」という課題に関しては教師は子どもたちにはかないません。教師は分かりすぎるために、分からん子どもの気持ちが分からんという決定的なハンディキャップを持っています(認知心理学での自動化)。しかし、それ以上に全ての人は1時間は60分間であるという物理法則に支配されていることが決定的です。どんな教師であったとしても、1校時45分(もしくは50分)の三十倍の時間をかけた指導には負けてしまいます。でも、勝てる可能性があるのは、子ども集団が「燃える課題」、「適度な課題」は何かを理解し、設定する部分です。『学び合い』において、この部分は教師が日々、子ども集団を前にして磨いている部分ですから。

 ここで勝たねば、教師ではありません。

[]理論と実践の一致 08:36 理論と実践の一致 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 理論と実践の一致 - 西川純のメモ 理論と実践の一致 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 理論と実践の一致のことを書きたいと思います。『学び合い』の理論は極めてシンプルです。第一に、学校教育の目的は、大人になることであり、具体的には、人と人との関わりによって問題解決できるようにすることである。第二に、子どもたちは大人と同じぐらい有能であり、また、限界もある。この二つに尽きます。

 この考え方は、先人の教育書の中にも見受けられるものだと思います。しかし、一見似ているようで、先人の教育書に書かれていることとは違います。何故なら、上記の結果として表れるべき実践が全く違うことが証拠です。

 例えば、学校教育の目的は、大人になることであり、具体的には、人と人との関わりによって問題解決できるようにすることであるならば、関わる時間を確保しなければならないのは理の当然です。人と人とは教師と子どもではなく、子ども同士であるはずです。学校教育の時間は有限ですので、子ども同士の時間を確保するためには、教師と子どもとの時間を削減しなければなりません。そして学校教育の殆どの時間は教科教育の時間です。従って、教科学習の時間で、教師がゴチャゴチャ語る時間は大幅に削減されるべきです。だから、『学び合い』では全ての時間・教科で、教師は殆ど時間を子ども「たち」に任せて授業展開をします。子どもは自分たちと同じだけ有能であり、限界があるのですから、自分たちに置き換えて、望ましい環境を整えます。ね、当たり前でしょ。それを、実際に実践しているのが『学び合い』です。

 我々の二つの考え方に一見似た様なことを書かれている方の実践ですが、同じか、違うかは実践を見れば一目瞭然です。

 例えば、ある教科でやって、ある教科でやらない。これは、大人になることを学ばない教科があるということでしょうか?

 ある時間でやって、ある時間でやらない。これは大人になることを学ばない時間があるということでしょうか?

 込み入ったテクニックを用いる。校長と自分との関係に置き換えてください。それって、有り難いですか?これは、子どもたちは自分より劣るということでしょうか?

 人と関わる授業は人間関係作りが主眼で、学力向上は特に意図していない。これって、人と人との関わりによって問題解決する、問題解決には三桁の足し算は含まれないのですか?

 結局、上記が起こるということは、『学び合い』の考え方と違うということの証拠なんです。もちろん、同志(もちろん私も)が上記に対して全てをクリアーできているか、といえば、そうではないでしょう。しかし、『学び合い』の目指す最終的な姿が何であるか、また、その段階には最終的には到達可能であるという考えは一致しているはずです。

 それ故に、『第一に、学校教育の目的は、大人になることであり、具体的には、人と人との関わりによって問題解決できるようにすることである。第二に、子どもたちは大人と同じぐらい有能であり、また、限界もある。』ということを本気で信じている、そして実践しているという点で、革命なのです。