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2008-05-22

[]目標 22:24 目標 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 目標 - 西川純のメモ 目標 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 大学教師の目標ってなんでしょか?まあ、人並みに教授になって退職したいというのを願っても罰は当たらないでしょう。歴史に残る、大発見なんて殆どの人が出来ません。出来ないからこそニュースになります。結局、毎日の講義をこなし、ゼミ生を育て、その成長を喜び、学校を送り出します。結局、大学教師も教師なんです。私も教師です。でも、物理的には合ったこともない数百キロ彼方の方に、夢を語り合える、そんな今の状態を不思議に思います。圧倒的大多数の大学教師が味わえない今を過ごしていることを光栄に思います。

 私のHPには様々な情報を書いています。その中には多くの方はお読みにならないものもあります。その一つに、我がゼミのメンバーに対して書いている一文があります。ここにアップします。私は革命に参加しています。ただし、ピストルや大砲は使いません。私は毎日、息子と風呂に入り、添い寝をしています。ごく普通の生活を維持できる革命をしています。苦労している同志の存在を感じ、アップしたくなりました。

『西川研究室の目標

本研究室の目標を「自分の心に響き、多くの人の心に響く教育研究を通して、自らを高め、教育を改善しよう」としました。

 おそらく皆さんの本当の希望は「自分の心に響き、自らを高め」であると思います(単に修了・卒業したいレベルの人は、西川研究室に所属しよう何て思いませんから)。実は私もそうです。しかし、そのレベルを超えた目標を、研究室の目標として掲げることは重要だと考えています。

 世の中には倫理学というのがあります。大学生の頃、それを読みあさった時があります。でも、カント、ヘーゲル、西田は全く分かりませんでした。相対的に分かりやすかったのは和辻です。でも、それでも分かりませんでした。それいらいずっとご無沙汰でしたが、「利己的なサル他人を思いやるサル」という本はどんな倫理学の本より面白く、ためになりました。それによれば、サルにおいても倫理的と思われる行動が見られます。そして、その行動が発生する理由は、その行動によって間接的に利益を得るからです。つまり、弱い仲間を助けたサルは、その群れの他のメンバーから「お返し」が来るんです。なぜ、そんな「お返し」をするかといえば、自分が弱い立場になった時の「保険」みたいなのものです。カント、ヘーゲル、西田のように、どっかに純粋無垢な「善」があるように書かれるのではなく、生々しく、かつ、凄く納得出来るものです。我々は、学び合う能力は本能の中にあると考えています。だから、ゴチャゴチャ言わなくても、自然に発生するものだと信じています。上記の知見は、教師がゴチャゴチャ言わなくても、自然に助け合いが起こるであろうと期待出来ることを証明するものだと思います。

 しかし限界があります。別な猿学者の「ケータイを持ったサル」という本によれば、サルが自身の群れと感じる範囲は極めて狭く、基本は親兄弟で、広がっても普段見知っている集団を越えることは無いそうです。そして、現代の「ひきこもり」や「傍若無人の若者」は、人間の本能の中に組み込まれた「群れ」の範囲がサル並だと考えると、至極当然に解釈出来るとしています。おそらく、これは若者に限らず、人間全般の本能の限界と考えるべきなのでしょう。例えば、年配のおばちゃんが、人の迷惑考えず大声を出しているのは、自分が話している以外の人を、「群れ以外」と分類し、人と認識していないからです。

 私はサルと同じように、自身の損得と、社会の損得自身を冷静に分析し、社会の損得に矛盾しない自分の損得を設定することは「得」だと思います。つまり、みんなを助けるという社会的要請に応えることが自分の得になっていることは、サルと同様に人間でも正しいと思います。ただし、人間の本能に組み込まれている「みんな(もしくは群れ・社会)は、サルと同様に親兄弟、もしくは見知った狭い集団レベルが限界なのだと思います。教師の例で言えば、せいぜい自分の学校の職員集団レベルで、それを越えた集団を群れと認識することは困難で、従って、郡市レベル、県レベル、日本レベルの集団に対する倫理的な行動をすることは困難なのだと思います。それを越えられるのは、本能ではなく、教育によらねばなりません。

 私の大学院の同級生に「教材レベル」の修士論文を書いた人がいます。修了した時に、「お前が作った教材を お前自身が使うの?」と聞きました。彼の返答は「使わない」とさばさばと答えました。つまり、彼にとっての、その教材は自分が修了するため「だけ」の意味しかありません。仮に、自分が使ったとしても、それだけでは、自分のため「だけ」の意味しかありません。ただし、これは教材レベルの研究に限りません。もし、自らが2年間かけてなしたものを自らが使わないならば・・。仮に、自分は使うとして、それを他の人に知ってもらえないならば・・・。私の知る限り、2年間の研究が終わったとたんに、「思い出」の中に死蔵される研究が多すぎるように思います。そして、そんな人は「損」だと思います。

 私には、自分のため、家族のため、そして自身の狭い群れである西川研究室のためという、相対的に狭い範囲の目標があります。しかし、同時に「専門職大学院のため」、「上越教育大学のため」、「学会のため」、「地元教育界のため」、「日本の教育界のため」等々の様々なレベルの目標があります。そして、それぞれに矛盾が生じないよう、相互に関連づけています。そのような多層的な目標を持つため、様々な人とリンクを持ち、かつ、その援助を得ることが出来ます。その結果、とても「得」をしています。

 一方、比較的狭い範囲の群れのための目標しか持たない人もいます。人それぞれですから、完全否定するわけではありませんが、「損な生き方だな~」と思います。そんな「自分」だけの視点でしか捉えられないならば、結局、周りの協力も限られたものです。色々な場で、短期的には要領よく立ち回っているため、長期的には損をして、そのことに気づいていない人を少なからず見てきました。要領よく「美味しい仕事」だけをかっさらって、「大変な仕事」をうま~く逃げる、そして口先だけは当たりがいい人っていますよね。そういう人って、本気でそれでOKだと思っているようです。でも、ちょっとの期間つきあえば、そのような人の「底」が見えます。そうなると、そういう人とのお付き合いは要領よく避けます。だって、そんな人とつきあうことは「損」ですから。

 以上の理由から、本研究室の目標を「自分の心に響き、多くの人の心に響く教育研究を通して、自らを高め、教育を改善しよう」としました。是非、皆さんの中で、この目標を基に、多層的な目標群を設定して欲しいと思います。』

[]政治的に 21:50 政治的に - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 政治的に - 西川純のメモ 政治的に - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は「政治的に」と書きます。では、一番、強力な「政治的」な動きとは何でしょうか?「うまく説明する」、違います。「人間関係を考える」、違います。一番強力な政治的な動きとは、どんなにたたかれ、どんなにされても、何度でも戦いを挑むということです。頭でっかちの人に対する戦いに関しては、まず、100%勝てます。自分が負けたと思わなければ、いつか勝てます。

 同志各位へ 子どものために、したたかに、負けずに。

[]久しぶりのライブ 16:58 久しぶりのライブ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 久しぶりのライブ - 西川純のメモ 久しぶりのライブ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、久しぶりのライブをゼミ生といってきました。楽しかった。6年生が去年の顔と別人になっていたのが印象的でした。本当に人は関係の生物だと思います。3年生は、じっくりとクラスを育てていることが分かります。

 明日の3時間目は、6年社会科、3年算数です。6年の社会科は『学び合い』の初回です。4時間目は6年、3年の合同(いっしょにいるだけの『学び合い』)です。6年と3年がどう化けるかが面白いです。関係を変えるとき、一時的に独りぼっちになる子どもが生じる可能性があります。その事を担任の先生に申し上げると、「いつまでも独りぼっちじゃありませんから」と笑っておられました。長いスパンで、クラス作りをお考えであることを感じました。

 あ~、楽しみ。