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2008-06-08

[]昨日話したこと 22:33 昨日話したこと - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 昨日話したこと - 西川純のメモ 昨日話したこと - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日は『学び合い』の社会の話をしました。参加されていない方々から、その内容に関する問い合わせが何通も来ています。そこで、以下に概略をアップいたします。当日は、事例を挙げながら、詳しく説明いたしました。

『「『学び合い』は単元や教科や学年や学校段階に依存するか?」いう疑問をよく受けます。私は0.2秒もかからず「そんなことはありません」と応えます。しかし、初めてその教科をやる方にとってやりやすい教科と、やりにくい教科があることは確かです。やりやすい教科は、算数・数学、体育、音楽、美術、家庭科などが代表格です。何故やりやすいかといえば、課題の設定が簡単だからです。

学び合い』の課題は、短くて、そして子どもが分かる課題を与えます。例えば、算数・数学の場合は「教科書○ページの問題をクラス全員で解けるようになる」と求めます。体育であれば、「クラス全員が逆上がりを出来るようになる」、「クラス全員が15mを息継ぎをしながら泳げるようになる」と求めます。音楽だったら「クラス全員が○○をリコーダーで吹けるようになる」、「クラス全員が大きな声で○○を歌えるようにある」と求めます。家庭科だったら、「○○円で3品以上のおいしい食事をクラス全員が作る」、「今年一年間使える雑巾を作る」と求めます。そして、いずれにおいても「○月○日にテストをやるので、クラス全員が○○を達成する」と求めれば、いい加減なことは出来ません。いずれもシンプルで分かりやすい。一方、取り組みにくい教科としては国語と社会があります。しかし、実は社会科は非常に簡単なんです。一度分かってしまえば、算数・数学以上に簡単な教科です。事実、社会科において成果を上げている同志は少なくありません。

まず、何故、社会科が嫌いで、社会科が分からないか、それを多くの教師、特に社会が得意な先生が理解していません。我々は、社会科の『学び合い』における子どもたちの呟きを拾いました。『学び合い』においては、自分が分からないことを素直に言葉にします。自分がつまらないところを素直に言葉にします。それ故、本当に子どもが何が分からないのか、何故、嫌いなのかが分かります。その結果分かったのは、子どもは教科書に書いていること(従って、教師が言っていること、板書していること)が分からないのです。それも、教師にとってはとてつもなく簡単な言葉をです。

例えば「首都」という言葉を子どもに分かる言葉で説明してください。おそらく、「政治」、「経済」といような、子どもに説明しなければならない言葉を使って説明しようとします。それでは分かりません。また、「政治の中心」といった場合の、中心とは何を指すのでしょうか?とたんに、どう説明したらいいか分からないのではないでしょうか?そういう視点で改めて教科書を読んで下さい。教科書に書かれている名詞の殆どは、それにあたるはずです。それらはテレビでは説明不要な言葉として使われています。特にニュースではそうでしょう。しかし、それらは社会科の得意な人にとっては分かる言葉ですが、日本中の子どもが分かる言葉でしょうか?いや、日本中の大人が分かる言葉でしょうか?違います。

社会科が嫌われ、分からないといわれる原因は、「何を言っているか、何を書いてあるかチンプンカンプンである」というとてつもなく簡単な理由なんです。従って、社会科が分かるようになり、社会科が好かれるようになるために必要な手だては、「何を言っているか、何を書いているか分かる」ことなのです。従って、社会科における毎日の課題は非常に簡単です。算数・数学では、「教科書○ページの問題をクラス全員で解けるようになる」という課題が普遍的に使えるのと同じように、社会科では、「教科書○ページ~○ページの書いてあることをクラス全員で分かるようになる」が普遍的な課題になります。もちろん同志は「信長、秀吉、家康の違いをクラス全員で分かるようになる」とか、「日本の政治を支える基本的組織をクラス全員で分かるようになる」というような表現を使います。しかし、それを達成するためには「教科書○ページ~○ページの書いてあることをクラス全員で分かるようになる」と全く同じなのです。そして、「○月○日にテストをやるので、クラス全員が○○を達成する」と求めれば、いい加減なことは出来ません。冷静に考えて下さい。もし、教科書に書かれていることを理解できたならば、義務教育段階のテストであれば、業者テストの期待得点を取ることは当たり前ではないでしょうか?

「信長、秀吉、家康の違いをクラス全員で分かるようになる」とか、「日本の政治を支える基本的組織をクラス全員で分かるようになる」は、極論すれば教師の趣味の問題であって、どうでもいいのです。一番大事なのは、「教科書○ページ~○ページの書いてあることをクラス全員で分かるようになる」なのです。「信長、秀吉、家康の違いをクラス全員で分かるようになる」とか、「日本の政治を支える基本的組織をクラス全員で分かるようになる」を達成するためには、「教科書○ページ~○ページの書いてあることをクラス全員で分かるようになる」に繋がるから意味を持ちます。もし繋がらなければ意味を持ちません。例えば、信長、秀吉、家康のデータが箇条書きに誰かがまとめたものを、出来ない子が暗記し始めたら全く意味を持ちません。

今までの教材研究は、教師が万巻の書を読み、研修を深めて、指導要領に書かれたこと、教科書に書かれたことに何かを加えることだと考えていると思います。加えるものは、発問の仕方、説明の仕方、ゲーム性の高い課題などです。しかし、『学び合い』における教材研究は指導要領、教科書を読み、そこで求められているものを限界まで削ることなのです。ある同志は、それを極限まで削り、指導要領自体を子どもに公開し、それで「さあどうぞ」で数ヶ月間任せるという、離れ業をやっています。

では、教材研究をそれほどまでに削ったとき、教師に残されている教材研究とは何でしょうか?それは、以上のように削りきった課題を与えても、クラス全員が達成できるようなクラス作りに意を尽くすのです。さらに、子どもたちが、もっと広い範囲で「みんな」を意識できるよう、校内・校外で政治をすることです。』

[]自転車 18:35 自転車 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 自転車 - 西川純のメモ 自転車 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は家族で買い物です。大きくなった息子に合わせた自転車を買いました。今までに比べて格段に大きい自転車ですが、すいすいと乗りこなしていました。