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2008-06-09

[]折り合いを付けて 08:51 折り合いを付けて - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 折り合いを付けて - 西川純のメモ 折り合いを付けて - 西川純のメモ のブックマークコメント

 テレビなどの報道で、受けられるべき生活保護を受けられず餓死者が出た、というものがあります。大抵の場合は、行政の不備を指弾するコメントが付けられます。でも、そうでしょうか?考えて下さい。その人は何故、生活保護しか収入の術は無いのでしょうか?若いとき、壮年の時代、人並みの老後の備えをすれば、そんなことにはならなかったはずです。もちろん、生まれたときからの障害で苦労された方もおられるでしょう。でも、そうであるならば、そういう状況になる可能性は高いことは数十年前から明らかです。それなのに、生活保護等の情報は何故知らなかったのでしょうか?

 また、人並みに地域の人とのコミュニケーションがあれば、民生委員が気づく前に、地域の人が生活保護の情報を流していたはずです。何故、その人は、地域の人とコミュニケーションが取れなかったのでしょうか?何らかの原因があるはずです。それの責めを行政、民生委員、地域の人が受けるべきなのでしょうか?

 その人が人並みの老後の備えをせず、その時、その時でお金を使った不備を、社会全体で帳尻を合わせなければならないのでしょうか?地域の人とコミュニケーションを取れない人を全員抜けがないように、民生委員を確保するべきでしょうか?私は「否」だと思います。そんなことをしたら、資源は有限なのですから、本来配分されるべき人の配分が減ります。そんなことになったら、公的社会保障に対する信頼が揺らぎ、かえって多くの人が被害を受けます。

 しかし、「その人」だけに責めを負わせ、切り捨てるのは我々の考え方ではありません。では、どうするか?それは公的保証はギリギリの範囲で良いように思います。それは現在よりもレベルを下げて良いぐらいだと思います。しかし、一方、地域コミュニティーを育てることに資源配分をしたほうがいい。米・塩の貸し借り、多めに作った総菜を隣にお裾分け・・・、そんなことがベースです。また、簡単な手間仕事を紹介する、そして、本当にどうしょもなくなったら、公的機関に一緒に陳情するということもあるでしょう。しかし、その互助の程度は、公的社会保障のような一律ではありません。その人が若いとき、壮年だったときの姿に影響されるでしょう。また、その人が、その地域での活動に、どのように関わり合っているかによるでしょう。その人、その地域が折り合いをつけた互助をやります。残念ながら、そのような場合においても餓死者は出るかもしれません。しかし、現在の資源であっても、その数を限りなく少なくすることができるはずです。

 さて、長い前置きでした。今回の埼玉の会で私が一番多くの受けた質問は「学び合っても最後まで残る子どもがいるため時間がかかってしょうがない。どうしたらいいでしょうか?」です。

 この場合では、教師が公的機関で、クラスが地域コミュニティーで、その子がその人です。与えた時間内でクラス全員が達成しなかったとき、クラス全員の問題だと評価し、規定通りに次に進むべきです。もし、「その子」のためだけに、貴重な時間を配分するならば、結局、その子以外に被害が行きます。そして、最悪は、「何であいつばかりのために」となってしまいます。それに、そんな風に教師が対応したら、「その子」の対応するのは教師の仕事だと子どもは思ってしまいます。それでは子どもたちは頭を使わない。戦略的に動かない。それ故、何が何でも指示した時間で切ります。しかし一方、一人の子を切り捨てるクラスは結局バラバラになることを述べ「みんな」を求め続けるのです。そうすることによって子どもたちは折り合いを付けます。

 『学び合い』では原理・原則を大事にします。しかし、現実の場は多様です。頭を使って、折り合いを付けてやらねばなりません。しかし、頭を使う、折り合いを付けるのは、教師ばかりではなく子どもたちもです。そして、「学び合っても最後まで残る子どもがいるため時間がかかってしょうがない。どうしたらいいでしょうか?」のレベルのことに関して頭を使い、折り合いを付けるのは子どもたちであって、教師ではありません。教師が頭を使って折り合いを付けるのは、学校、地域における政治のレベルです。

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 仲良くなるにはどうしたらいいでしょうか?多くの教師が、そのためにピアサポートやアイスプレイクや・・・と様々なテクニックに走っています。しかし、そんなのはチンケだと思います。大事なのは、一緒の課題を達成することだと思います。思い出して下さい。学校異動で移ってきた人が、その学校になじむのはどういうことがきっかけでしょうか?コンパではないと思います。学年を組み、分掌を組み、そこでの課題を達成したときではないでしょうか?

 部活でもそうです。部の練習には殆ど参加しないが、コンパの時に参加する人っています。面白いキャラの人だと、それなりに重宝されます。しかし、それであっても芸人として思われているのであって、仲間とは思われていません。そして、部活のコンパの話題は部活が主なので、それを一緒にやっていない人にとっては楽しめる話題とはなりません。

 今回の埼玉の会で、一番楽しめた人、一番多くを得た人は誰か?そりゃ、会を企画運営した人、そして発表した人です。それに準じて楽しめた人、多くを得た人は誰か?そりゃ、普段から『学び合い』の情報発信をしている人です。そういう人であれば、「中学生」であっても(失礼)、楽しめる、多くを得ることは同志の方であればご存じなはずです。実は、「中学生」、「保護者」、「非教育関係者」、そして「教師」の分類はあまり意味はありません。いっしょにやっているか、やっていないか、が大事なんです。

 普通の教師は、「学び手が多くを得て、教え手に悪いな~・・」と思っています。その免罪符として、「教えることによって学びは深まる」と子どもや保護者に説明していますが、教え手の方は相対的には得るもの少ないと思っているので、教え手に対して「悪いな~」と思っています。しかし、本当は教え手は多くを得ています。だから、続くのです。滅私奉公で学び合いを強いたら、1年間、続くわけありません。まあ、最大、2ヶ月で限界が来ます(学術データもあります)。これは教師も同じです。多くの教師は授業を見られることを嫌がります。しかし、ライブを公開した同志ならばお分かりのはずです。ライブを公開した側の方が多くを得ます。私も、多くの方から質問メールを頂きます。毎日、その処理に2時間~5時間ぐらいかかります。正直大変です。でも、やります。何故かと言えば、それによって得ることが多いからです。

 さて、もっと、もっとを得ようとしたら、もっと、もっと高い志を持つことです。そして、そのために仲間を増やし、実現することです。そうすれば、自分のクラスの向上を願うレベルより、遙かに高いものを得ます。いや、自分のクラスで悩み多い方であっても、それより高いレベルに参画することによって、自分のクラスの悩みが解消されるのだと思います。そして、そのためには、先ほどの例でいえば「コンパの時しか参加しない幽霊部員」を巻き込むことが必要です。それが、実は自分のためになります。

 『学び合い』は単なる指導法ではありません。ホモサピエンスの生存のための戦略です。

追伸 ちなみに、我が研究室の目標は「自分の心に響き、多くの人の心に響く教育研究を通して、自らを高め、教育を改善しよう」としています。その説明はHPに書いてあります。