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2008-06-11

[]議論に負けていい 22:09 議論に負けていい - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 議論に負けていい - 西川純のメモ 議論に負けていい - 西川純のメモ のブックマークコメント

 教職大学院の職場はいいな~、と思います。

 私の大学の最初の職場は理科コースです。最悪の職場で、徹底的にいじめられ、人が悪くなりました。おかげで、最悪のことを常に考える癖がつきました。そして、議論に強くなりました。そうでないと、私および私の関連する学生さんに被害が起こります。また、偉そうなことを言う人は、その割には、問題が起こっても責任をとりません。したがって、いつのまにか私が尻を拭く役目を負います。だから、何が何でも議論で勝たねばなりません。

 教職大学院のメンバーで色々と議論しますが、「議論に負けていい」という感覚を持てることを不思議に思います。あれだけのメンバーで出した結論ならば、私の考えるより良い結論なのだと思います。また、私がさんざん最悪のケースを警告しても、それを受け入れなかった場合、その最悪のケースが起こったとき、メンバー全員でなんとかするだろうという予想がつきます。だから、ある意味、議論に負けることを待っているような部分があります。だって、「ほ~ら、私があれだけ言ったでしょ」と言えて、気楽なポジションに居られるのですから。

 良き、職場に着けたことを、今更ながら感謝しています。

[]社会科は何故嫌われるか? 08:58 社会科は何故嫌われるか? - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 社会科は何故嫌われるか? - 西川純のメモ 社会科は何故嫌われるか? - 西川純のメモ のブックマークコメント

 この前の埼玉の会で出した事例を紹介します。

 社会科の大好きな先生は、子どもたちが社会科を何故嫌い、何故分からないかを難しく考えすぎです。これは社会科だけの問題ではありません。「なぜ理科は難しいと言われるか?」という本に詳しく書きましたが、よく分かっている人は、分からない人の理解や気持ちを分からないのです。これは、人間の頭がそういう仕組みになっているからです。だから、社会科の好きな先生は、社会科が嫌いな子どもにはフィットしない、色々な「ひねり」を入れ始めます。「ひねり」を入れれば入れるほど、特定の人にはフィットしますが、そうでない人にはフィットしなくなります。これは『学び合い』の基本的な前提である、万人にフィットする教え方はないということです。でも、社会科の大好きな人は、自分にあったフィットをし始めます。そして、それがうまくいっているように感じます。何故でしょう?

 何度かこのメモにも書きましたが、「首都」という言葉を小学生に分かるように説明することは至難の業です。どうせ、政治や経済などの、さらに説明しなければならない言葉でしか説明できなくなってしまいます。我々教師は、相対的に現在の学校教育にフィットしています。そして、相対的にテレビのニュースや新聞を見たり読んだりします。そこで何度も色々な言葉にさらされているので、「なんとな~く」分かった気になることが出来、大抵の場合、大凡の意味を理解することが出来ます。しかし、ニュースも聞かないし、新聞も読まない大人は少なくありません。いや、そっちの方が多いのではないでしょうか?ましてや、小中高生が聞いていません。以前、コンパの時に「さんかいの珍味」と言ったら、キョトンとしてました。そこで、どんな意味かを聞いてみましたら、「太平洋、大西洋、インド洋の珍味」だと思っていたそうです。ちなみに、その学生さんは、某県の教員として一発採用されました。

 改めて社会科の教科書をお読み下さい。そこにはニュースや新聞では当然のように使われているが、日常会話では出てこない言葉に満ちあふれています。日常会話に出てこない言葉が分からない人にとって、それらはどのように見えるのでしょうか?

『「○○への○○の○○がずいぶんすくないから、もっと○○できるようにすることがたいせつね。」

 「でも、まだ日本の○○が少ないといって○○にもなっているそうだよ。」

 「また、○○では、○○がいないので、こまっているそうだよ。」

 「○○のわかい人が、およめさんをさがしている○○があったわ。」

 「考えなければならないことが、ずいぶんあるみたいね。」

 「日本の○○は、これからどうなるかしら。」』

『○○は○○と○○の2つに分かれています。○○は、○○で○○とき○○。同じことを○○で2度も○○のは、重要な○○の○○を○○におこなうためで、このような○○を○○といいます。○○の全員で行う○○を○○といいます。○○の前には、○○などを○○に調べる○○ます。』

 これを読んでいる気持ちを想像してください。実は、以上は小学校の教科書の記述なんです。

 『「外国への農産物の輸出がずいぶんすくないから、もっと輸出できるようにすることがたいせつね。」

 「でも、まだ日本の輸入が少ないといって問題にもなっているそうだよ。」

 「また、農家では、後つぎがいないので、こまっているそうだよ。」

 「農家のわかい人が、およめさんをさがしている記事があったわ。」

 「考えなければならないことが、ずいぶんあるみたいね。」

 「日本の農業は、これからどうなるかしら。」

(平成4年 学校図書 小学校5年上)』

『国会は衆議院と参議院の2つに分かれています。法律は、両院で可決されたとき成立します。同じことを両院で2度もしんぎするのは、重要な政治の決定をしんちょうにおこなうためで、このようなしくみを二院制といいます。国会議員の全員で行う会議を本会議といいます。本会議の前には、法律案などを専門に調べる委員会が開かれます。(平成3年 学校図書 小学校6年下)』

 さて、先の伏せ字の文章を読んでいる子どもにとって、「ひねり」をいれた指導が必要でしょうか?あははははは

 そんなこと必要ありません。必要なのは、「教科書○ページ~○ページの書いてあることをクラス全員で分かるようになる。」だけでいいのです。「ひねり」を入れた指導も、すべて上記の意味に子どもたちは捉えているから意味があるのです。「ひねり」の効果は主たるものではありません。

 結局、教材、指導法にひねりを入れることが大事なのではなく、最大・最高の教材である「みんな」が徹底されているか、否かなんです。効果はあるのは、そこが成立されているかで、それが成立されていなければ全ては意味を失います。