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2008-06-13

[]学び合う学校の発進 22:06 学び合う学校の発進 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学び合う学校の発進 - 西川純のメモ 学び合う学校の発進 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は下越の学校にMさんと一緒に行きました。この学校の校長先生は、本当に陽性で、指導力ある先生です。そして、私が大学院で最初に授業した派遣院生さんでした。当時は私は26歳でした。人の縁を感じます。もともと大学院で子どもの自主性を最大限に生かす研究をされた方です。『学び合い』の根っこの部分を理解されています。本日は、おいしいおそばをご馳走になってから学校に行きました。そして、『学び合い』のトライをしている先生の授業を参観しました。一生懸命でした。頼もしく感じました。授業の際、その先生のそばにいてささやきました。ささやいたことは3つです。

1)関わりを褒めて下さい。ただし、褒めるのは「その子」へではなくクラス全体にメッセージを伝えることです。

2)1)が成り立つためには、クラス全体を見て下さい。個々を細かく見ると、クラスが見えなくなります。

3)課題は子どもが関わる必然性のあるシャープなもの。

 いずれも、上記を、その時の具体的な場面で語りました。分かっていただき、それによって子どもが変わるのを実感していただきました。その先生も言われていましたが、本で書いていることの意味というのは、このような現実のライブで伝えるといいですね。

 最後のまとめの部分に関して質問を受けました。超具体的な質問です。このようなことは小学校教師の経験のあるMさんにはかないません。「Mさん助けて」とお願いして、私は下がりました。Mさんの提案によって、あの状態における、最善の展開になったと思います。

 実践された先生の今後の成長が楽しみです。そして、これからは、より多くの先生方のトライにサポートしたいと思います。なにしろ、Mさんの新潟市の家から20分ぐらいということですから。あはははは。

追伸 8時20分ぐらいに家に到着したので、息子と風呂に入って、添い寝をしました。ホッとします

[]算数・数学、物理、体育の陶冶価値 06:49 算数・数学、物理、体育の陶冶価値 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 算数・数学、物理、体育の陶冶価値 - 西川純のメモ 算数・数学、物理、体育の陶冶価値 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 色々な先生から、出来る子と出来ない子の差があることを相談されます。そして、どうやって差を埋めるかを相談されます。

 それに対して、差があるのは当然であり、差を埋めることは不可能だと語ります。『学び合い』によって、「みんな」が業者テストの期待得点以上になる程度のことは、そりゃ出来ます。でも、そういう状態になったとき、出来る子はもっと凄い高見に至っています。

 私は差があることは当然だと思います。そして、それを学ぶことはとても大事なことです。自分が出来ないことを、出来る人の前に立って卑屈になる必要性はないことを学ぶことは大人社会で大事なことです。逆に、自分が出来ることを、出来ない人の前になって尊大になることは愚かであることを知ることは大人社会で大事なことです。そして、出来る/出来ないの違いはあっても関わることによって、両者とも得るものが多いことを学ぶことは、とても、とても大事なことです。だから、私は数学・算数、物理、体育が学校教育にあるのだと思っています。この教科ほど、出来る/出来ないの差が激しい教科はないと思います。そして、最終的に分からん、出来ないという子どもが残る可能性が高い教科です。しかし、そこが大事だと持っています。

 差があることを悩む必要性はありません。冷静に考えれば、分からなくても、出来なくても良いんです。三桁の足し算が分からなくても電卓があります。「摩擦のない状態の運動」なんて大人になってから考える必要なんてありません。町を歩いていたら跳び箱に出会い、それを飛ばなければならない状態は永久に来ません。大事なのは、色々な人たちと折り合いと付けて、各々がそれぞれの課題を達成する(達成できなかった)過程が大事なんです。

 ただし、教師は「みんな」を求め続けることは大事ですよ。出来ないと分かっていても、それを求め、それが実現することを本気で願い続けることは。

追伸 だから差があることを悩むことはありません。差があれば、それを生かせばいい。差があってよかった、と思えるようになりましょう。だって、それが現実なんですから。特に、障害のある子の場合、必要だと思います。出来る/出来ないと人間的な価値は違うことを学ばなければなりません。そして、出来なくても、仲間と受け入れてくれる人は少なくないことを学ぶことは大事なことです。(当然、健常者もそれによって安心できるようになることは、「気になるこの指導に悩むあなたへ」で書いたとおりです)