■ [お願い]エネルギーを下さい
自分の将来を考えてみました。私は学会から5回も賞をもらいました。人文系では珍しい博士の学位を得ています。23の本を書き、そのうち11は単著もしくは編著です。130の学会誌論文の業績があります。4人の人に主査として博士の学位を与え、3人の大学教師を育てました。おそらく平均的な教科教育の研究者が一生で積み上げる業績の十倍以上の業績があります。今の大学のシステムでは学生指導をいくらしても給料は変わりません。博士の指導をすれば幾分あがりますが、出費の方が多い。私は今48才です。定年まであと17年間あります。その17年間、「十年一日の講義案で講義をして、学生指導をせず、月に一度の会議にでて無言で過ごし、もちろん研究もせず、学会活動もせず、講演もせず」とも私の給料は変わりません。世間は狭くなりますが、もともと人と関わることは不得手です。家族と一緒の時間が増えます。そして、おそらく学内での私は「いい人」となります。何もしなくても過去の圧倒的業績があるので「無能」とは分類されないでしょう。
だから、「なんでおまえは走るのか?お品が良い程度に規模縮小した方がいいよ」と思います。
現代の教育は前時代のシステムを引きずっています。さまざまな機能不全を来しています。その病状が最も顕在化しているのは子ども以上に教師です。病気をやむ教師の増加、数ヶ月で止める新任教師、退職に追い込まれる中堅教師は今後増大するでしょう。私の職場である大学でもそれを感じます。私が勤め始めた二十年ぐらい前は、上越教育大学の学生さんは殆ど全員が教師を目指していました。ところが、入学後、教師を目指さなくなる学生さんが増大しています。我々大学教師の努力不足もありますが、教師という職業が魅力を失いつつあるのだと思います。まあ、あれだけマスコミにたたかれれば、腰が引ける学生さんが増えても当然だと思います。
行政はそれに危機感を持ち、官製の研修を充実し、初任者にはお世話係をつけます。教員はその負担に苦しみますが、しかし、それらが無かったら右往左往してしまいます。官製の研修に代わるべき自主的研修を企画する力も、初任者を育てる教育力も現場は失っています。山のような書類を書かされますが、とにかく書けば責任は問われないのです。書類なんて無視して、実績で対抗する、と大見得を切れる自信もありません。
『学び合い』にトライし、維持するには高い志と大きな決意が必要です。今の日本においては希有な方々であり、学校だと思います。私はそういう方々と繋がることが出来ます。だから、なんとか志を維持することが出来ます。しかし、私は常に最悪を思い描き、それに対応するために頭をフル回転する癖がついています。共感能力が異常に高く、悲しい映画を最後まで見られません。そんな私のところに日本全国から悩みが集まり、私に関わる人の心配をします。同志から得られるエネルギーと、放出するエネルギーのバランスが崩れると鬱になりそうになります。
同志各位へ エネルギーを下さい。それさえあれば、「今」悩んでいる人にエネルギーを与えることが出来ます。