■ [大事なこと]思い出しました
我々は死にます。それは辛いもので、誰も小学生頃には真剣に悩んだのではないでしょうか?しかし、大人になるに従って、「しょうがない」と思うようになり、死を考えないようになります。小学生の頃は、最終的には死ぬことを淡々と受け入れている親を理解できませんでした。しかし、今の私も、あのとき親と同じです。何故なら、生きているものは全て死んでいるのですから。しょうがないと納得しています。
昨日のメモに対するコメント、また、それを発展させたブログの記事を読みながら高校教師の時の私を思い出しました。
当時の私はテレビ番組の主人公のように熱血だったと思います。最底辺で苦しんでいる子どもを何とかしようと思いました。特に、担任している子どもはかわいい、本当にかわいい。高い高いしたり、本当にべろべろなめて猫かわいがりしました。その子どもが学校に来なくなれば、ありとあらゆることをしました。何とかしたい。その気持ちには偽りはありません。しかし、定時制が終わる9時ぐらいから保護者に電話をかけます。愛に満ちあふれた内容だと思います。私も涙を流していましたが、保護者の方も言葉になりません。そんなとき、私の頭の中には「あと半月ぐらいで、向こうから退学を申し出るだろうな」ということが浮かびます。
当時の私の頭の中には、いくつもの区分けがありました。一つは子どもを最後まで追いかけて、学校に引き戻そうとする私がいました。一方、最終的に退学の手続きをとる際、円満に手続きをとってくれるように立ち回っている私がいました。退学して良いことなんて、これっぽっちもないことをよく知っています。そうでありながら、猫かわいがりしている子どもが退学に向かっていることを冷静に分析し、それに対処している自分がいます。
テレビ番組の熱血教師の頭の中は単純です。ドラマの設定も単純ですから。でも、実際の学校の設定はごちゃごちゃしています。単純な枠組みでは生きられません。その中で、自らの精神の健全を保つために、頭の中をいくつかの区分け、お互いに干渉しないようにしていました。たまに干渉しそうになると、無意識に「しょうがない」と思い、それ以上考えないようになっていました。本当にしょうがないと思っていました。だって、他の先生方も全員、そうなんですから。
『学び合い』を深めるにつれて、自分の考えがシンプルになっているのを感じます。そして、「この場合はこう、あの場合はこう」と区分けをしていたのが、「本来は一貫したものであるべきだ」と思い区分けをしないようになりました。区分けをせざるを得ない場合は、両区分の干渉を避けず、とことんまで考えるようになりました。
思い出しました。善良な多くの先生は、頭の中に区分けがいっぱいあるのだと思います。それによって精神の健全性を保っているのだと思います。