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2008-07-31

[]学年 23:00 学年 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学年 - 西川純のメモ 学年 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 実は昨日の小学校の先生方での研修会では、鳥取の同志の方がおられました。そこで、「どうです?」と聞いたところ、今年は小学校1年生のために躊躇しているとのお答えでした。昨年、それと全く同じことを私に言った○さんにサポートをお願いしました。思った通り、低中高学年で『学び合い』を実践している○さんらしい以下のメールをいただきました。

 『初めまして。G県○小学校の○と申します。昨年度まで、学校として『学び合い』に取り組むY小学校に勤務していました。Y小では、西川先生に色々ご指導いただきながら、3年前より『学び合い』に取り組んできました。

 1年目は、6年生の担任でした。とても、恵まれた担任集団でしたので、お互い学び合いながら、3学級でそれぞれ素晴らしい子ども達の姿を、全校の先生方に自慢することができました。でも、「6年生だから・・・」「あの6年生なら・・・」という声は少なくありませんでした。

 2年目は、3年生でした。とにかくにぎやかなクラスではあったけれど、一斉指導では味わえない成就感を味わわせてもらいました。それでもまだ、「3年生ならできるけど、低学年には、無理・・・。」という声が聞かれました。研修主任を任されている私は、「そんなことはない」といいたいけれど、「そうなのかなあ」という疑念もありました。『学び合い』を実践されている方は、そういえば、皆さん、中・高学年の先生方が多かったような気がします。

 そして、3年目、ついに1年生の担任となりました。正直なところ、高学年でガンガンやりたい思いがあったので、少々ショックでした。ところが、結果として、これまでで一番感激の1年を過ごさせていただくことになりました。

 1年生は、学習というより生活指導がスタートですので、とにかくそこから「みんなで」を強調しました。困っている子にも、私は、手を出さず、「助けてほしい人がいるよ」と「可視化」をしながら、とにかく待ちました。いつでも帰りの支度が一人でできずに、友達に手伝ってもらっている子が、初めて友達のところへ手伝いに行ったのが、忘れもしない7月10日でした。3ヶ月、待ったことになりますね・・・。

 授業では、当初は「1年生なので、~ができない」という縛りは、やはり自分の中にあって、それを、西川先生にまず指摘をされました。5月の末でした。自分でも、それなりに学び合わせていた「つもり」だったのですが、まだまだ縛っていたのだと思います。それ以来、子ども達は、教室中、教えてくれる友達を求めて机を持って動き回るようになりました。1年生の教室ですが、国語辞典も常備しておくと、ひらがなの言葉集めに大活躍でした。保護者に、初めての懇談会の席で、「子ども達にどんな学校生活を望むか」と聞いたところ、全員が「友達との円滑な交流」を望んでいることがわかりました。そこで、『学び合い』の話をして、こんな指導方針で1年間をやっていきたいと伝えてありました。学校で起きている子ども達の様子を学級便りで伝えると、『学び合い』のファンが増えてきている手ごたえがありました。西川先生に、直接メールを送る保護者もいました。

 色々な場面で、子ども達からは、感動をもらいました。西川先生に伝えたくてメールをして、ブログにアップしていただいたことも忘れられません。授業を参観していただいたたくさんの先生方からも、子ども達の学びを褒めていただきました。3月には、課題を与えなくても、2時間たっぷり自分たちで自由に自習していました。学び合う子ども達の机には、国語辞典はもちろん漢和辞典、地球儀、世界地図、日本地図・・・

 1年生の教室とは、思えないほどでした。1年生が学び合えないなんて有り得ません。1年生だからこそ、できることの方が多いかもしれません。一斉授業が染み付いていないのですから。

 最後には、校内の先生から「1年生だからできるけど、型ができている高学年ではできない」と言われてしまいました。(笑)「~だからできないというのは、やめましょう」と、初めて実践を示して言う事ができました。

 長いメールになってしまいました。お話したいことは、山ほどあります。もし、●先生のお力になれることがありましたら、ご連絡をいただければ嬉しいです。今後とも、よろしくお願いいたします。』

[]誤解 07:49 誤解 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 誤解 - 西川純のメモ 誤解 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 我々の『学び合い』では、子どもを信じます。今までだったら、教師の管理下に、教師の与えた方法に従って学習を進めていました。ところが、『学び合い』は放任のように見えます。そして、教師が教えていないのに子どもが分かるなんてありえない、と思われるでしょう。最近の講演に参加してくれたishinomakiさんのコメントにもありましたように、このあたりの誤解を解く必要があると思います。ただし、全てではありません。詳しくは署名のHPにある手引き書にあります。

 まず第一に、『学び合い』は一斉指導以上に厳しい管理下に子どもいます。その理由は二つです。第一に、彼らを管理する力の源泉が、たった一人の教師のパワーによるものではなく、クラス全員(もちろん異種でありますが教師も)のパワーによるものです。第二に、ことの正否の責任を子どもたち「も」持っているからです。これって、職員室に置き換えると簡単なのですが。http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20070510/1178780412

 第二に、我々が子どもと書くと、それは「子どもたち」を指します。個々の子どもの場合は、私は「その子」と書く様にしています。ところが、多くの先生は子どもと書くと「その子」を思い出します。多くの先生から、「そんな指示だけで、子どもが出来るんですか?」と疑問を持たれます。それに対して、「確かに、出来ない子が多いでしょう。でも、そんな指示だけで出来る子もいるでしょ?まあ、5、6人はいるでしょう。その子どもが広げれば良いんです。先生一人が教えようとするより、効率が良いと思いません?」と応えます。たいていの先生は、気になる「その子」に頭が一杯になり子どもの能力を否定的に見積もります。しかし、出来る子「も」いることに注目すれば見方が変わります。

 第三に、我々の書く子どもの姿を「仲良し」ととらえられがちです。そうすると、「そんなに仲良くなるはずはない」と思うのも当然でしょう。しかし、我々は子どもたちに「仲良くせよ」とは求めません。そんなの無理です。我々が求めるのは「折り合いをつけて、みんなが課題達成をせよ」と求めるのです。つまり、我々の職場の人間関係を目指しているのです。

 最後に、私が「子どもが有能である」と主張しているのは、感情的な物言いで書いているのではありません。徹頭徹尾、学術データに基づいております。熱き思いはありますが、私は研究者です。熱き思いに絡め取られてはいません。熱き思いと冷静な頭、そのバランスの中で、今の主張があります。http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20050418

 考え方が、あまりにも違うので誤解もしょうがないのですが・・・

[]昨日 07:12 昨日 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 昨日 - 西川純のメモ 昨日 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日は、センター講師を1日務めました。Sさんの子どもたちの声を聞けたり、楽しかった。夏休み明けに『学び合い』をトライしてもらえたらな~っと思います。『学び合い』は簡単です。少なくとも手引き書に書いているような最初の語りをして、手引き書に書いている「やってはいけないこと」をしなければ、初期段階にはたやすく達することが出来ます。そして、初期段階であったとしても、多くの先生方が悩んでいることはクリアーすることが出来るでしょう。そのあとは、悩んでいることを一人でため込まず、『学び合い』をやっている人と相談することです。が、今までの考え方と革命的に違うので、飛び込むのは大変でしょう。何度も書いているようにバンジージャンプのようです。バンジージャンプには技術はいりません。単に、あと一歩踏み出すだけです。踏み出せば、自然法則によってことは進みます。

 本日も鳥取で別な方々に語ります。一歩を踏み出す勇気を与えられたらと願います。