■ [大事なこと]本日
ある種の生物の特定の属性に着目すると、圧倒的大多数は「普通」です。しかし、必ず少数の規格外の個体はいます。そして、ありとあらゆる属性に着目すると、規格外の個体は様々にいます。結局、圧倒的大多数は普通なのですが、全ての属性に関して普通な個体は一つもありません。我々の圧倒的な大多数は普通なのですが、全方位で普通な個体は一つもいません。これは大学の生物学で学んだ進化の考え方です。我々生物は一様で、かつ、多様であるからこそ長い進化の中で生き残ることが出来ました。
多くの教師は、周りと同じをやる「普通」の教師です。でも、必ず、普通ではない教師はいます。『学び合い』に対する反応も同じです。つまり、私の『学び合い』の話を聞いて、変わらない人が大多数であるのは当然です。本日、富山で七百人弱の先生方の前で語りました。同志の指導主事によれば、私の講演の後、「あんなの、出来るわけ無いよ~」と言っている人がいたと笑って言いました。まあ、そうでしょうね。どんなに論理的に説明しても、普通ではないのですから信じられないのは健全です。でも、少数ながら違った反応をする先生もおられたと語っていました。
私は芸人ではありません。私の講演で「笑って」いただいてもしょうがない。そんなことのために時間を費やすのは嫌です。私が時間を費やすのは、少数でも分かっていただける方がいることを知っているからです。私は講演会の最後に、「グーグルで西川純と引けばヒットします。ありとあらゆるデータが公開しています。質問には絶対に応えます。」と連呼します。しかし、講演会が終わって1時間で忘れる方が大多数であることを知っています。でも、それを試みる方は少数方であるもののいらっしゃることを知っています。その数は、本日の七百人弱のうち十数人でもいたら凄いと見切っています。このメモを見ている富山県西部の先生方へ「よくぞおいでいただいた!」と伝えたい。私、及び同志のみんなは「どうぞ、実践にトライして欲しい」と願っています。
『学び合い』において一番大変なのは、やってみる、それです。やりはじめれば、子どもが教えてくれます。それにいたるためのサポートはみんながやります。「よくぞ、これをよんで頂いた。」と再度、申し上げます。
■ [大事なこと]会則
はなっこりーさんのブログに面白いことが書いていました。
『ところで、今頃になって分からなくなったことがあります。通常の研究会?では、年会費を払ったメンバーが構成員となり、所属人数もはっきりしています。この『学び合い』は、どういうネットワークになっているのでしょう?会費も払わず特に活動もせず、ブログでご指導を賜っているだけのビギナーとしては、自分の立場をどう説明したらいいのだろう・・・なんて困ってしまいました。「あなたは『学び合い』の何なの?」と聞かれて、説明できなかったんです。例えば、S先生の「学びの共同体」は、実践校ということで学校全体を1つの方法で方向付けしようとしているような気がしますが、『学び合い』 は、実践する「その場にいる教師」をとても大切にしています。何をしたのか、何をどうするのか、という方法だけを情報交換するのではなく、どうしてそうし ようと思ったのか、なぜそう判断したのか、という実践知を議論しているような気がするのです。しかも、それらがネットでオープンにされているということ は、いつでも誰でも、自分がそうだと思った時が『学び合い』のメンバーですよ。ということでいいのでしょうか・・・???』
たしかにそうですね。でも、私自身はゴチャゴチャとした方が良いと思います。しかし、『学び合い』と同様に達成すべき課題、方向性は一致しなければなりません。では、「私」はどう思っているかと言えば、『学び合い』の定義とは、「手引き書」の学校観・学習者観に書いてある「あたりまえ」のことが定義です。おそらく、「たてまえ」として、あれを否定する人は少ないと思います。しかし、現実の場面では、あれに矛盾することをしている人が大多数です。『学び合い』の同志とは、あれを実践している人、そして、それを目指している人です。また、「子どもに学ぶ教師の会」の趣旨はhttp://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20060508にあります。子どもに学んだ結果が、『学び合い』です。
その前提の上に、会員証は心の中に。会費は行動で。特典は、あなたと子どもと同僚の幸せ。
追伸 蛇足ながら、あなたの家族の幸せも。当然ですが。