■ [う~ん]ロード
昨日をもって「夏休み」のロードは終わりました。7月27日から昨日までの36日間で、出張もなく、家で家族と一緒に寝られたのは13日に過ぎません。つまり、二十数日はゆっくり眠れない状態でした。それが昨日の大阪出張で終わりです。本日、9月以降の予定を整理し始めました。今後の予定はすべてHPで公開している基準を満たしたものです。しかし、それでもだんだん体が重くなりました。今後は、「おもしろい話を聞きたい」というところに行く余裕は無いと思いました。
■ [大事なこと]禁じ手
本日、同志と話し合ったとき、これから実践しようとしている方、また、実践で苦労されている方の中には似たような誤解が多い、と教えてもらいました。それは、「私」がやってはいけない禁じ手を規定しているという誤解です。
私は「してはいけない」と禁じることは殆どないと思います。まあ、『学び合い』の基本である学校教育観・学習者観と反することを主張されたら、断固として反対します。しかし、方法論レベルはそれほど拘りません。
たとえば、私は「教材研究は不要だ」と主張します。しかし、「教材研究してはいけない」と禁じたことはないと思います。私は教材研究をしなくていいと主張し、それよりも大事なことがあると主張しているのです。余裕がある方ならば、教材研究しても結構です。事実、『学び合い』をすれば、子どもたちが多様な発送を教えてくれるので教材研究がしたくなります。そして、教材研究をいっぱいした教師は、それをしていない教師に比べて、すばらしい『学び合い』を実現する可能性が高いです。が、私が「教材研究も大事だ」と一言でも書けば、あっという間に元の木阿弥になってしまう人が少なくないと思っています。だから、教材研究は不要だと主張せざるを得ません。教材研究の要・不要を論ずるよりも、もっと大事なものに目を向けていただきたいと思います。
また、「授業の最後のまとめ」も不要だと主張します。まあ、正確に言えば馬鹿馬鹿しいと思っています。が、どうしてもしたいならば、するのは勝手です。ただ、そのまとめをする理由が子どもを信じられないというものであるならば、その心を子どもが見透かす危険性を自覚してほしいと思います。
個に対応することは、すべきではないと思います。それをやりはじめると、あっというまに『学び合い』が壊れてしまいます。が、しなければならない場合があります。例えば、他の子どもとのいざこざを乱発する子どもがいる場合、せざるを得ません。しかし、危険性を自覚してほしいと願います。難病の治療に猛毒を利用するようなものです。だから、基本的には、「それは猛毒だよ」と私は書かざるを得ません。
大事なのは、『学び合い』の学校観、学習者観を理解し、自分の頭で悩んでください。その場にいて、ありとあらゆる情報を得ているのは自分なのですから。けっして数百キロかなたの私ではありません。あははははは。「西川先生が禁じている」って、言わないでね。