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2008-09-04

[]幸せ 22:12 幸せ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 幸せ - 西川純のメモ 幸せ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 かなり以前の話です。西洋人に初めて接した南洋の人の文章がありました。それによれば、「西洋人は何故、時計を気にするのか?」、「いつ病気になるか、いつ死ぬかを心配するのか?」とその人は思ったそうです。そして、そんなこと気にしなくても、家族が腹一杯食べられるならば、それでいいんじゃないかと書いてありました。それを読んだ当時は、そんなことだから進歩がないんだ、と思いました。

 結婚して、家内があれこれと悩み私に相談します。その内容は、どこの店が安いだの、だれがこう言っただの、のレベルでした。余裕がなかった私は、「そんな下らないこと悩むなよ」と言いました。家内は、「その下らないことを一生懸命考えているのが私の仕事なの」と言って泣きました。最初は泣いた家内に驚きましたが、しばらくして、その「下らない」ことを一生懸命に考えている家内がいるから、毎日が普通に流れることに思い至り、土下座をして謝りました。

 本日は、我が家にとって、重要な記念日です。ありとあらゆる神仏に願った子どもが、家内の体にいることが分かった日です。本日は、家族で乾杯して祝いました。お酒にほろ酔いして、家内と息子の面白い話を聞きながら、おなかいっぱいになっている時、幸せを感じます。どんな富貴も足元に及ばないと思います。そして、出張は嫌だな~っと思いました。

 総理大臣になることが幸せ、大金持ちになることが幸せ、ノーベル賞を取ることが幸せ・・・では、みんなが幸せになれません。でも、色々な人と関わりながら、大事な人とおなかいっぱいになれる、それを目指したい。それは、みんながなりたてば可能だと信じたい。

[]最初に自分で考えさせる 09:28 最初に自分で考えさせる - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 最初に自分で考えさせる - 西川純のメモ 最初に自分で考えさせる - 西川純のメモ のブックマークコメント

 最近受けた質問に応えました。なお、手引き書に加筆しました。

 一般の学び合いでよくやる馬鹿馬鹿しいことに、最初に自分で考えさせ、その後、交流するというのがあります。でも、考えてください。まったく分からない子に5分間考えさせて、何か考えつくと思いますか?第一、考えるでしょうか?想像してください。数学者が我々に偏微分方程式を与えて「さあ、5分間考えてください。人に相談してはいけませんよ」と言ったら、どうします?まあ、何も考えないでしょうね。

 逆に、塾や予備校で既習済みで、「学校の勉強は簡単だな~、つまらないな~」っと思っている子はどう思うでしょうか?まあ、「学校って馬鹿馬鹿しいな~」っと確信を強めるでしょうね。

 一人で5分間ぐらい考えれば思いつくレベルの子どもは、教師が指示しなくても自分で考えます。考えてください。もう少しで分かりそうなパズルを人に聞く人いますか?

 以上のように、上記はとてつもなく馬鹿馬鹿しいのです。では、何故、そのような馬鹿馬鹿しいことをするのでしょうか?一言で言えば、子どもを信じていない、この一点です。『学び合い』と一般の学び合いの決定的な違いです。我々は、そのようなことは不必要だと思います。教師が「さあ、どうぞ」と言えば、全然分からない子どもは、分かりそうな子どもの近くに行って「わかんない~」と言うでしょう。もう少しで分かりそうな子どもは自分で考えるでしょう。分かっている子どもは、分からない子どもをサポートするでしょう。分からず人に聞いて分かりはじめ、もう少しで分かりそうになれば、「もういいよ、後は自分でやってみる」と言うでしょう。それぞれが、自分の最善のことをし始めます。

 ところが一般の学び合いは子どもを信じられません。特に信じられないのは、出来ない子どもです。そのような子どもは安易に答えを丸写しにしてしまう、と思っています。しかし、考えてください。そのような子どもに「5分間、自分で考えて」と言ってまじめに考えるでしょうか?否です。ぼーっと5分間すごし、5分後に丸写しにするだけです。第一、何故、丸写しという方法をその子がとるのでしょうか?きつい言い方ですが、丸写しでもOKな評価を教師がしていることの証拠です。

 我々は全員が一定以上の点数をとることを求めます。当然、丸写しでは点数はとれません。丸写しをするような子どもは、その馬鹿馬鹿しさに気づかないかもしれません。しかし、写される側の子どもは、その馬鹿馬鹿しさを理解しています。だから、丸写しをしそうになったら「駄目だよ。ちゃんと話を聞いて分かってよ」と言うでしょう。

 人との交流を制限することはナンセンスなことです。根本的な解決は、みんなが本当に分かるということをクラスの文化にすることです。このことは「座りなさい!を言わない授業」(東洋館)の10章に書きました。

[]コの字に座らせる・ペア学習 09:28 コの字に座らせる・ペア学習 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - コの字に座らせる・ペア学習 - 西川純のメモ コの字に座らせる・ペア学習 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 一般の学び合いでよくやる馬鹿馬鹿しいことに、「コの字」に座らせるということがあります。「座りなさい!を言わない授業」(東洋館)に書きましたが、子どもたちは課題によって集団を最適に構成します。例えば、ちょいと分からないことを聞く、というならば二人が基本です。しかし、何らかのものを作りだそうとする、例えば実験とか、難しい問題を解決するというのは4、5人が基本です。ところが、集団としての目的を確認しようとするとクラス全体で話し合います。これは職員会議(その他の職場も)同様でしょ。それを分からない人が、運動会の入場行進曲を職員会議にかけます。非常に時間の無駄です。コの字の配置は、全体の目的確認の配置です。ところが、個々人が学習する場面では、そのような場合は希です。

 ペア学習も同様です。この形態は「ちょっと聞く」レベルには最適です。しかし、難しい課題を解決するには不向きです。第一、教師がクラス全員の最善のペアを作れるはずありません。馬鹿馬鹿しい。その最善のペアもその日、その時、いや、その秒分によって動的に変化します。

 一人一人の子どもが、様々な課題を抱えています。ある子の場合は一人で自学自習したい、ある子はペアで相談したい、ある子は数人で相談したいのかもしれません。それらは別々で動的です。その中で、行き詰まりを感じ、全体の確認をとる場合もあります。そんなときに、固定的な椅子の配置はじゃまです。