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2008-09-20

[]考え方 18:33 考え方 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 考え方 - 西川純のメモ 考え方 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 現在、ゼミ生が教育実習です。だいぶ悩んでいる様子なので、大学にふらりと立ち寄り、「どう?」と聞いていました。それによると、子どもたちに課題を与えても、それが分からない子どもが多く、机間巡視をしまくっているようです。しかし、それでも分からない子がいるそうです。

私:そんなことは当然だよ。どんな名人が説明したって、分からない子どもはいるよ。まあ、名人とへたくそとの違いは、分かる子どもの程度の問題で、全員ということはありえないよ。とうことは『学び合い』をしていないわけだよね?(ニコニコ)

ゼミ生:はい、教育実習では、採用された後のことを考えて、一斉指導でやっています。

私:それは君が周りの先生から虐められないという理由で、子どものための理由ではないよね。(嫌みったらしく、ニコニコ)

ゼミ生:(うなずく)

私:で、どうするの?

ゼミ生:課題の出し方を考えたいと思います。

私:で、具体的にはどういう課題なの?

ゼミ生:「スーパーマーケットで働く人について知りたいことをノートにまとめてみよう。」です。

私:で、どういう風になおしたいの?

ゼミ生:説明を加えたいと思います。

私:で、どういう説明を加えたいの?

ゼミ生:「例えば、イラストの中でトラックで荷物を運んでくる人がいるね。荷物は、何時頃運ばれてくるのだろう。」というような説明を加えたいと思います。

私:あはははは(呆れて)。まあ、それが普通の対応だろうね。でも、そんな説明をしたとしても分からない子はいるよ。そうなると、別な説明を際限なく加え続けることになる。それに、具体的な方法を説明すると、子どもはそれを「例」だとは思わず、ただ一つの方法だと思いこむよ。そして、君が与えた例の名詞の部分がちょこっと変わったことばかりする子どもがわんさか産まれるよ。それじゃ嫌だよね。本当は、子どもが自分にあった方法を自分の頭で考えられるようにすることが大事なんだ。『学び合い』は考え方だよ。一斉指導のやり方をやってもかまわない。でも、『学び合い』の考え方で、一斉指導をやりなよ。『学び合い』で大事にするのは、「何のために学校教育があるのか?」という学校観と、子どもたちは有能であるという子ども観だよ。聞くけど、「スーパーマーケットで働く人について知りたいことをノートにまとめてみよう。」という課題は何のためにやっている課題なの?

(ゼミ生が言う理由を私がどんどん論破します。そして、最終的に彼は・・・)

ゼミ生:彼らが大人になって必要な、大人の人とコミュニケーションをとれるようになるためです。(こう言えるのが、我がゼミ生です。エッヘン)

私:おそらく、私が「何のため?」と聞くまでは、「何のため?」とは考えず、「どうやって」で頭がいっぱいだったでしょ?

ゼミ生:うなずく

私:おそらく、多くの先生は君と同じように、「どうやって」で頭がいっぱいだよ。そして、「何のため?」と改めて聞くと、教科の内容レベルで止まってしまう。しかし、そのレベルでは子どもたちを説得できないよ。第一、そんなレベルの説明では、かなり能力のある子どもしか理解できない。我々は「他の人と折り合いをつけて課題を達成する」という目標を掲げ、一貫している。また、多くの先生は子どもたちはそれほど有能だとは思っていない。だから、我々と同じような目標を心にある先生であったとしても、それを子どもにちゃんと話さない。だって、分かるとは思っていないから。そして、自分が分かっていていればいいと無意識に思いこんでいる。『学び合い』は「何のために学校教育があるのか?」という学校観と、子どもたちは有能であるという子ども観を大事にする。立ち歩きを許す、とか、私語を許す、とかいうことはしなくてもいい。でも『学び合い』の考えは大事にしてね。子どもに方法レベルのことを言う以前に、何のためにということをちゃんと語りな。月曜日に授業見に行くけど、5分間以内で、「何のために」をビシッと言えるようになっててね。

 と言って、「期待しているよ」と言いながら、ゼミ生の頭をなでなでして、家内と息子の待つ家に帰りました。

 我がゼミ生であっても、「考え方」ということを理解せず、方法のレベルで『学び合い』を捉えている。業が深いと思います。現在の『学び合い』の姿は、「考え方」から導き出された現在の姿です。そして、未来の『学び合い』の姿は、「考え方」に基づいて、どんどん進化します。「考え方」と姿は、実体と影のような関係です。考え方が分かれば、影はいくらでも理解できる。実体はちゃんと言葉に書いています(例えば手引き書にも)。しかし、実体を理解するには影を通してしかない、難儀なものです。

追伸 つまり、『学び合い』を実践している方ならば、必ず、何のために学んでいるのかを、「子ども」にちゃんと語っているはずです。そして、子どもたちに問題があるとき、その「何のために学んでいるか」のレベルに戻って語っているはずです。